11日、東京都文京区内の文京区民センターにおいて、本会主催による「日台シンポ『台湾出身者の戸籍を中国から台湾に改正しよう!』」が開催された。シンポジウムには岩手や広島など遠方から参加される方や台湾からの留学生なども参加、関心の深さがうかがえ、70名入る会場はほぼ満堂となった。また「日本文化チャンネル桜」や台湾紙の「自由時報」や「台湾新聞」などのメディアも取材に訪れた。
定刻の午後2時、本会本部事務局員の佐藤和代さんの司会の下に開会され、まずこの問題で「質問主意書」を提出した大江康弘・参議院議員からの祝辞が披露。続いて柚原正敬・事務局長が経過報告と問題点を指摘。
その後、中津川博郷・衆議院議員、黄文雄・拓殖大学客員教授、梅原克彦・前仙台市長、林建良・メルマガ「台湾の声」編集長、猪鼻嘉行・公認会計士、出町淑貴・青森日台交流会事務局長、小礒明・東京都議会議員の順に、それぞれの立場からお話しいただき、杉本拓朗・本会青年部長による決議文朗読と採択、そして黄文雄・本会副会長による閉会の挨拶で締めくくられた。
また、採択された「決議文」も紹介したい。この「決議文」は、本会が責任をもって法務省に手交する。
日台戸籍シンポ「決議文」─早急に民事局長通達を出し直すよう要求する
言うまでもなく、台湾は中国の領土ではない。
しかし我が法務省は、これまで台湾出身者が日本人と結婚したり帰化した場合、戸籍の国籍や出生地を「中国」や「中国台湾省」としてきた。中国とは中華人民共和国のことであり、中国台湾省とは中華人民共和国の行政区を指す。即ち、台湾出身者を中国人としているのが現在の戸籍制度だ。
戸籍において、台湾出身者の国籍を「中国」としたのは、昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を『中国』と記載することについて」という通達だった。このことは日本政府も、大江康弘・参議院議員の「質問主意書」に対する「答弁書」で明確に認めている。
昭和三十九年といえば東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催された年であり、日本が中華民国と国交を結んでいた時代だ。しかしその後、日本は中華民国と断交して中華人民共和国と国交を結ぶなど、日本と台湾・中国の関係は大きく変わっている。
このような中、東京都は平成二十年五月、住民基本台帳の表記について昭和六十二年の通知が現状に即さず、正確ではないとの判断から、台湾からの転入・台湾への転出の際には「台湾」の表記を認めるという通知を出している。また、平成二十一年七月の法改正による外国人登録証明書の在留カード化措置において、台湾出身者の「国籍・地域」表記は「中国」から「台湾」に改められる。
また、日本政府は観光客に対するノービザや運転免許証について台湾とは相互承認を行い、中国とは行っていないなど、明確に台湾と中国とを区別している。さらに、台湾では天皇誕生日祝賀会が開催されたり叙勲を復活させたりするなど、中国とは状況が異なっている事例には事欠かない。
ましてや台湾は中国の領土ではなく、これまで一度たりとも中華人民共和国の統治を受けたことはない。台湾を中国領土とするのは、台湾侵略を正当化するための中国の政治宣伝以外のなにものでもない。事実、この戸籍表記は日本政府の見解にも合致していない。
このように、五十年前とは様変わりしている事情や現実を踏まえ、戸籍における台湾出身者の国籍表記を早急に改めるべき状況にもかかわらず、これを放置しておくことは中国の政治宣伝を受け入れたことにもなる。
従って、法務大臣は戸籍の国籍欄および出生地欄を在留カードにならって「国籍・地域」とし、台湾出身者は「中国」ではなく「台湾」と表記すべく、早急に民事局長通達を出し直すよう要求する。
右、決議する。
平成二十三年九月十一日
日台シンポ「台湾出身者の戸籍を中国から台湾に改正しよう!!」参加者一同