6月28日に逝去された烏来郷高砂義勇隊記念協会理事長だった簡福源(タリ・ワタン)さんの告別式が7月14日、台北県烏来郷の駐車場広場で斎行された。
告別式には、本会から小田村四郎会長の名代として薛格芳・青年部長が参列。台湾留学中の早川友久・理事も参列した。薛部長から当日の模様のレポートが届いたのでご紹介するとともに、改めて簡福源さんのご冥福をお祈り申し上げます。
なお、7月19日には、訪台した本会の片木裕一理事や金光俊典・本会千葉県支部事務局長ら10名も高砂義勇隊慰霊碑に参拝するとともに、簡福源さんのご自宅を訪れ、ご遺族をお見舞いした。
今年3月、県政府との和解により、撤去された石碑の復元や公園としての整備が進められているが、工事はまだ道半ばの模様。御案内いただいた方の説明よると、最近は工事も滞りがちとのことで、一刻も早い完成が望まれる。
故簡福源(タリ・ワタン)さんの告別式に参列して
青年部長 薛格芳
7月14日、簡福源さんの告別式に参列してきました。簡さんは台北郊外の烏来で高砂義勇隊の慰霊碑をずっと守り続けてきた方です。朝10時から、烏来郷の駐車場広場で行われた告別式には、部落の人総出で参列したかと思うほどたくさんの人たち、多くの政治家が簡さんとのお別れにやって来ました。
その中で、日本から簡さんとのお別れに来た、元防衛省の方の心のこもった弔辞がありました。聞いていた私も大変心打たれましたので、ご本人にお願いして弔辞のコピーをいただきました。手書きの原稿は、見ただけで何度も推敲を重ねたことが分かりました。その内容の一部をご紹介しましょう。
「簡福源さんが亡くなられたとの訃報に接し、私達、日本人も深い悲しみに沈んでおります。何か大きなものを失った気持ちです。簡福源さんは、【高砂義勇隊】が南方戦線で大活躍し、日本に対し、死に物狂いで協力してくださった、苦難の歴史について、日本の【産経新聞】に分かりやすく話してくださいました。産経新聞は【高砂義勇隊慰霊碑再建立問題】について、過去10回、日本の全国版で報道してくださいました。その記事は高砂族を知っている高齢の日本人には涙無くしては読めず、又、高砂義勇隊の存在を知らなかった若い日本人には改めて高砂義勇隊に深く感謝し感銘を与えたと聞いております。」
「我々日本人はもっともっと簡福源さんから高砂族と日本との関係の話を聞きたかったです。簡福源さんが亡くなられ、もう話が聞けなくなると思うと、真に、心が寂しくなる思いで大変残念です。」
会場には、李登輝元総統や現在の総統、副総統、党を問わず多くの立法委員、地方議員からの弔電、献花であふれていて、簡さんの人望の厚さが伺えました。
一緒に参列した三宅教子さんは、「2月にお目にかかった時には、咳き込みながらも一生懸命わたしたちに話をされようとして下さった。まるで今、言っておかないともう話をするチャンスがないというような勢いでした」とおっしゃっていました。
私も3月に烏来を訪問した際にお会いして、たくさんのお話を伺いました。その時に、「簡先生、お体を大事にして下さい」と申し上げたら、「私は平気。最後まで頑張るよ」と仰っていたことが今でも忘れられません。亡くなったのは、それからたった3カ月後のことでした。
高砂義勇隊の慰霊碑は3月に県政府との和解で、これから公園として整備されていくことが決まりましたが、これもまた簡さんをはじめとする高砂族の方々が、ずっと一生懸命努力を続けて来られたからこそ勝ち取ったものだと思います。
現在の平和や幸せ、日本と台湾の強い強い絆も、こうした先輩たちの努力によってずっと維持されてきたものです。産経新聞の山本支局長が7月15日付の記事の最後に書いたように、こうした先輩たちの偉業を引き継ぐ責任が私たち若い世代にはあります。これからも先輩たちに恥ずかしくない姿を見せるために頑張っていかなければならないと改めて思いました。
簡福源さんのご冥福を心からお祈りします。