尖閣諸島を突如「あれは中国領だ」と北京が言い出したのは1971年、地下資源の存在が判明したからである。それにすぐ追随して「そう、そう。あれは中国領です」と媚中の大合唱をはじめたのが日本の左翼ブンカジン、就中、井上清、羽仁五郎らである。ひどい売国奴がいるもんだ。
黄文雄氏の新刊『中国の大動乱が日本に押し寄せる』(徳間書店)に依れば、すでに「アメリカ在住の中華民国系学者は保釣運動(釣魚台を守る運動)を起こしていた。(中略)井上清教授は、尖閣は歴史的に中国所属であると主張した。氏は当時、外務省から関係史料を手に入れることができなかったので、史料は、殆どが外務省に勤めている教え子から提供(国家機密の窃取?)されたものと説明していた」。黄氏は当時、日本への留学生で、クルマで友人と京都まで井上の講演を聴きに行ったという。
なぜこういう事態が起きたかと言えば、「戦後四半世紀が過ぎた1960年代、70年代の日本には、まだ文革礼賛派が残っており、日本革命を目指す左翼勢力は、その影響力は徐々に弱くなりつつなったのは確かであるとしても、井上清教授のような「反帝学者」が夥しくマスコミに影響力を保持していたからだった。
つまり、中国の政府機関も学者の主張も、なんと、この井上清の引用や孫引きによっているのである。そのうえ、1972年4月18日付けの『毎日新聞』には「文化人声明」なるものが載っており、次のように言う。
「尖閣諸島は日清戦争で日本が強奪したものであり、歴史的に見れば明らかに中国固有の領土である。我々は日本帝国主義の侵略を是認し、その侵略を肯定することは出来ない」。署名者には羽仁五郎、荒畑寒村、小田切秀雄らが連なり、「日帝の尖閣列島略奪阻止のための会」(仮称)の設立にこぎ着けたという。
沖縄はどうか?黄文雄氏が続ける。「中華民国政府も中華人民共和国政府も、沖縄が日本に所属することは是認してはいない」。
そういえば台湾の事実上の在日大使館ならびに領事館は、「駐日台北経済文化代表処」と言って、東京、札幌、名古屋、大阪、福岡にオフィスがあるが、沖縄だけは『琉球』と表記している。
沖縄は「すでに江戸時代には、むしろ島津藩の影響下、支配下にあった。1871年の台湾牡丹社事件後、1874年に日本の台湾出兵があり、そして1879年には『琉球処分」が行われ、清国も沖縄を日本のものと承認した。決して不平等条約によるものではない。また、中華民国政府が、琉球所属について不満があるのは事実だが、もう一方の人民共和国政府はむしろ黙認してきたのだ」った。
それを「日本の中国侵略は琉球併呑から始まる」という史実無視の政治宣伝の声を、北京が突如大きくしたのは1989年6・4天安門事件後からである。すなわち『民族主義』「愛国主義」「中華振興」の国是がスローガン化してから」というではないか。
北京は沖縄住民が自決できめよ、と言う。だから北京の代理人が沖縄に暗躍し、左翼が跳梁し、沖縄のマスコミは悉くが反日的で中国寄りの言動をする。他方、北京政府は台湾の所属は十三億人の中国国民が決めると僭越にも豪語して、ダブルスタンダードも著しい。まともにとる必要はない。
例によって論旨明快、黄節が冴え渡る。(8月3日「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻2274号より)
■著者 黄 文雄
■書名 中国の大動乱が日本に押し寄せる
■体裁 四六判、上製、320頁
■版元 徳間書店
■定価 1,575円(税込)
■発売 2008年8月1日