【自治体07】平成3年(1991年)10月3日 上小阿仁村(秋田県):萬巒郷(屏東県)

昭和16年(1941年)、北林孝一村長が台湾屏東師範学校に入学。1943年に卒業と同じに屏東縣潮州鎮にある四林国民小学で教鞭をとる。この時、故*英祥氏(*必達氏の兄)とともに学校裏で自炊生活をしながら、1年間、四林国民小学で教壇に立つ。(*さんずいに余、以下同じ)

台湾滞在中、萬巒(ばんらん)郷五溝村の*家と親密な関係を持ち、*兄弟の母も、北林村長に対して親子同様に世話をする。1944年兵役につき、翌年に終戦、除隊となり復員する。その後、*英祥氏が亡くなり、弟さんである*必達氏や彼の母、教え子、知人と交流を密にしていた。1990年6月に、村議会議員が海外研修を計画するに当たり、台湾を選定し、萬巒郷も視察する。これを期に、萬巒郷との姉妹都市提携の気運が高まり、翌1991年6月、姉妹都市提携の下準備のため北林村長と村田総務課長とが、屏東縣庁、潮州鎮役場、萬巒郷役場等を訪問する。 10月3日は「上小阿仁村と萬巒郷との友好親善にかかわる姉妹都市提携協定書」調印の日。萬巒郷は、台湾南部の屏東縣の東部に位置し、東西7キロメートル、南北10キロメートルで60.73平方キロメートルとなっている。人口は、25,019人、世帯数は、5,194となっている。特に萬巒豚脚は、台湾における名物となっている。

上小阿仁村役場
〒018-4494 秋田県北秋田郡上小阿仁村小沢田字向川原118番地
TEL:0186(77)2221 FAX:0186(77)2227
E-mail:chidori@kumagera.ne.jp


「台湾と私 -恩情を噛み締めて姉妹都市交流-」秋田県上小阿仁村長・北林孝市(本会理事)

1943年、台湾の屏東師範学校を卒業し、高雄州潮州街の四林国民小学校へ赴任、教員住宅で同年齢で萬巒庄(現・屏東県萬巒郷)出身の☆英祥先生と生活を共にし、物心両面で兄弟以上に温かく支えていただく。現地では先生方や教え子、地域の皆さんと多くの思い出と深い絆を培うも、翌1944年2月、台湾第五部隊(山砲隊)に現役入隊。その時、☆先生が親族に代わって付き添い人として同伴されたご温情は、生涯私の脳裏から失せることはない。

6月中旬、迫撃砲隊に転属となり花蓮港に移動し、敵の上陸に備え、東海岸の陣地構築に従事。B29の空爆、低空飛行による機銃掃射、艦砲射撃などを受ける。1945年3月、桃園街に移動し、資材係班長として移送業務に従事する。やがて終戦となり、現地除隊。四林国民小学校に戻るも、教員住宅が使用できず、困惑していたところ、☆先生が萬巒郷五溝水の私宅に迎えて下さった。特に御母堂は実子のように面倒を見て下さり、家族挙げての温かな人間愛とご恩情の有難さを噛み締めた。

一時は台湾永住を決意したものの、12月に入り、日本軍に籍のあった者は帰国のため台北に集結せよとの布告があり、別離を惜しんで台北市に向った。そして1946年2月、基隆港より駆船艇で鹿児島港へ。鉄路で北上して3月7日、郷里の秋田県上小阿仁村へ帰還した。

その後は村での36年間の教員生活を経て1983年5月、村長に就任。その間、残念ながら先生は病気により、二子を残して他界された。しかし、弟で小学校教師として活躍していた☆必達氏が流暢な日本語を話せたため、文通を通じて交流が可能となり、1990年(平成2年)、村議会が初の海外研修視察先として台湾を選択し、萬巒郷を訪問した。そこで姉妹都市提携を要請したところ賛同を得て、1991年に同郷より曽士忠郷長他22名が来村し、姉妹都市調印式を挙行した。

その後、1992年に本村が提携答礼訪問。1993年、薛重雄代表主席(議長)他20名が来村。1994年、日台地域交流事業として台湾政府が派遣した秋田県農業部門への視察団を本村が受託し、案内を行う。1995年、林昌徳郷長他24名が来村。1997年、本村より18名が訪問。1998年、屏東師範学院の何福田学長、教授5名が本村の小中学校を視察。1999年、屏東師範学院五育樓落成の記念式典出席のため私たち3名が訪問。1999年、林昌徳郷長他31名が来村。2001年、私以下19名が訪問。2004年、徐統盛郷長他28名が親善交流のため来村。そして2005年9月、私以下14名が訪問する予定だ。 本村の訪問団は毎回、屏東県長、屏東師範学院、萬巒郷、萬巒中学校、萬巒小学校、五溝小学校、四林小学校などを表敬訪問し、親善交流に努めている。

2003年、尊敬と信頼を寄せる李登輝前総統が提唱する台湾正名運動に賛同し、台北市で行われた総決起街頭行進に参加させていただいた。その日夜、李登輝先生を囲む懇談親睦の会へのご招待に預かり、日台の提携交流を主唱される先生の燃えるようなバイタリティーの凄まじさに圧倒された。先生の遠大で高邁なる人間性とご人徳に、日本人は大いに学ぶべきだとの思いを深くした。

目下、陳水扁総統閣下は中国の介入問題で苦慮されているが、ここはぜひとも李登輝先生と一体となり、台湾の未来確立と発展のために隠忍自重され、慎重に対処されることを衷心より期待、祈念申し上げる。

本会機関誌『日台共栄』第7号より転載、肩書は当時のものです。

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