やはり、台湾の人々は大きな負の遺産を背負わされたという印象が拭えない会談だった。昨日のシンガポールにおける台湾の馬英九総統と中国の習近平国家主席の会談のことだ。
会談は、双方の思惑に多少の違いはあっても、話し合う必要性を認めるがゆえに成立する。今回の会談における「必要性」とは何だったのか。なにを「確認」あるいは「主張」したかったのだろう。それは双方が一致した点をみれば自ずと分かるのではないか。
会談は習近平氏から切り出し、冒頭、「中台双方で『一つの中国』の原則を確認したとされる『92年コンセンサス』を『堅持』し、『民族の復興の繁栄を享受しよう』と呼びかけた」(産経新聞)という。これに対して馬英九氏は、下記の5点を主張したという。
1)「92年コンセンサス」を強固なものとし、平和の現状を維持する。
2)敵対状態を緩和し、平和的に争いを処理する。
3)両岸の交流を拡大し、互いに利益のあるウィンウィンを増進する。
4)両岸間のホットラインを設置し、緊急の問題に対処する。
5)両岸が共に協力し、中華を振興する。
「主張」というより「提案」に近い5項目だが、2の「敵対状態の緩和」では、具体的に中国が台湾向けに配備している弾道ミサイルを後退させるよう求めたというが、習氏は平然と「台湾に向けたものではない」と答えたという。
また3の「両岸の交流拡大」では、アジアインフラ投資銀行(AIIB)への加入を求めたとされ、これに対しても習氏は「適当な方法」での加入という、これまでの中国政府の公式発言と同様のことを答えたと伝えられている。
ただし、4の「両岸間のホットライン設置」については応じる意向を示したという。
つまり、基本的に、習氏の冒頭発言に沿う1の「92年コンセンサスを強固なものとすること」と、5の「中華振興」という点で一致したことになる。4の「ホットライン設置」は、それに付随するものだ。台湾をさらに中国に引き留めておける指導者同士の窓口を固定化できるのだから、応ずるのは当然だろう。中国にとっては願ったり叶ったりの提案と映ったに違いない。
すなわち、双方は「一つの中国」という点で一致したと言ってよい。中国がいう「一つの中国」とは、今年5月に中国国民党の朱立倫主席が訪台して習近平氏と会談した際、習氏はすでに「一つの中国」とは「台湾は中国の一部」と明言したように、中国にとって台湾はあくまでも中国の一部という認識だ。
習氏としては、馬氏が「92年コンセンサス」を主張の第一に掲げたことをもってこの会談の成功を確信したに違いない。ましてや馬氏が「台湾も大陸も同じ中国に属しており、この事実を変えてはならない」と発言したというのだから、内心ほくそ笑んでいただろう。なぜなら、台湾統一の橋頭保を馬氏が担保してくれたからだ。
このような提案に気をよくしたのだろうか、会談で習氏は「両岸の中国人は自分の問題を解決できる能力と知恵がある」「両岸は一つの国家、一つの民族だ」と強調したと報じられている。
台湾と中国の問題は自分たちで解決できる内政問題なのだから、アメリカも日本も口を出すなと言いたいようだ。つまり、台湾と日米の離間をはかった発言ということだろう。
馬氏は帰台便で「当初の目標の大部分は達成した」と語ったと伝えられる。
馬氏の終極の目的は台湾と中国の統一であり、習氏の目的も台湾統一である。その双方が「一つの中国」を確認しえたのだから、馬氏が上機嫌で帰台したのもうなづける。
台湾では次期政権が中国国民党から民進党の替る可能性が高い。台湾の民意がすでに中国との統一から離れているにもかかわらず、馬氏は次期政権ならびに台湾の人々に「一つの中国」という負の遺産を背負わせたといってよい。つづめて言えば、やはり馬氏は台湾を中国に売ったのだ。
日本のメディアはこの馬習会談をどうみているのだろうか。朝日新聞、読売新聞、産経新聞の社説がこの会談を取り上げ、ニュアンスの差はあるものの、台湾の人々の民意と両首脳の思惑との懸隔を指摘、双方への厳しい見方で一致した。
産経新聞の社説「主張」は下記に全文を掲げるとおり、「昨年の地方選で与党の中国国民党が大敗したのは、台湾の民意の表れだ。……この会談を行った馬総統の判断は厳しく問われよう。共産党の一党独裁体制をとる中国と台湾との間で、どのような『一つの中国』を構築できるのだろうか」と手厳しい。
朝日新聞も同様に、台湾の人々の中国への距離感と台湾に向けたミサイルを問題視する。
<中台の経済関係は深まったが、独裁政治と闘って自由を勝ち取った台湾の人々にとって、いまの中国は統一の相手とするには遠い存在なのだ。
しかも武力による台湾統一の選択肢を捨てず、1500発前後のミサイルを対岸で構えている。習主席は「台湾に向けたものではない」と説明したというが、東アジアの不安定要因であることに変わりはない。>
そして読売新聞も「急接近は地域安定に役立つか」という見出しの下、中国による台湾併呑に対する台湾の人々の不安感が払拭されていない現在、会談が逆効果となる可能性に言及している。
<台湾住民には、中国に呑のみ込まれるとの不安が広がる。中台緊密化の恩恵が富裕層にしか及んでいない、との不満も根強い。
住民の圧倒的多数は、「中台統一」でも「独立」でもない、「現状維持」を望んでいる。首脳会談が国民党に有利に働くとは限らない。逆効果となる恐れもある。>
本会メールマガジン『日台共栄』第2521号より
中台首脳会談 「現状維持」へ懸念残した 産経新聞「主張」
【産経新聞:2015年11月8日「主張」】
台湾の馬英九総統と中国の習近平国家主席との初会談は「一つの中国」の原則を確認した。
問題は、それが中台双方が口にする台湾海峡の平和に資するものとなるかどうかである。
とくに、習主席が会談のなかで、米国の関与を排す姿勢をとり、独立派を牽制(けんせい)したことは、今後の中国の影響力増大を強く懸念させる。
中国は台湾統一のためには、武力行使も辞さない原則を掲げていることを忘れてはならない。
台湾海峡の平和は、日本をはじめ東アジアの安全保障に直結する。中国が台湾との関係を平和的に進展させるというのであれば、国際社会に対し、台湾への武力行使の可能性を明確に否定することが先決である。
両首脳が確認した「一つの中国」の原則は「92年コンセンサス」によるもので、「一つの中国」の解釈は中台それぞれに委ねられるとされる。独立志向が強い野党、民主進歩党(民進党)が存在を認めないなど、台湾内部でも議論が分かれる問題だ。
馬総統は「92年コンセンサスを固め、平和の現状を維持したい」と述べ、習主席も原則維持の重要性を強調し、民進党を牽制する姿勢をみせた。
会談で馬総統は台湾に向けた中国の弾道ミサイルの後退を求めたが、習主席は「台湾に向けられたものではない」とかわすなど具体的な問題への回答を避けた。
習主席の姿勢をみる限り、台湾との平和的な関係進展について言葉通りには受け取れない。「一つの中国」の原則も今後、中国側に都合のいい解釈で押し切られないか、懸念はぬぐえない。
台湾では、馬総統が進めた急速な対中接近の結果、中国に経済的にのみ込まれ、自らの将来をめぐる議論も中国に主導権を握られるとの警戒論が高まっている。
昨年の地方選で与党の中国国民党が大敗したのは、台湾の民意の表れだ。国民党は来年1月に予定される総統選でも、民進党に大きくリードされている。この会談を行った馬総統の判断は厳しく問われよう。
共産党の一党独裁体制をとる中国と台湾との間で、どのような「一つの中国」を構築できるのだろうか。南シナ海などで強引な対外拡張路線を鮮明にする中国に対する警戒を緩めてはなるまい。