7月30日、石垣島を初訪問した李登輝総統が石垣空港から向かわれたのは、名蔵ダムの畔に建つ「台湾農業者入植顕頌碑」だった。

戦前の1933年(昭和8年)、台湾の農業者が初めて石垣市名蔵に約100人、西表島に約50人が入植する。石垣島ではパイン産業と水牛耕作という技術革新をもたらして農業に多大な貢献をしたことから、それを讃えて「台湾農業者入植顕頌碑」が建立された。2012年8月10日、中山義隆・石垣市長ら建立を呼び掛けた地元関係者と台湾農業者の子孫など約100人が参加し、傍らに水牛の像も建つ顕頌碑の除幕式が行われている。

この顕頌碑前で李総統を待っていたのは、台湾からの移住者でつくる琉球華僑総会八重山分会(湯川永一会長)の皆さんだった。その多くは二世だ。謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表らも参加した。

李総統は「戦中、戦後の石垣で台湾の人々の貢献は大きい。一人の台湾人として誇りを感じる。融和の象徴である碑が台湾と石垣島の友好の証として、歴史を伝えていくことを願う」と挨拶され、石垣に移住された人々のご苦労をねぎらわれた。

琉球華僑総会八重山分会は8月1日、市内の「蓬莱閣」で李総統の歓迎晩餐会を開いている。このときの李総統は終始、満面笑み。とても気分がよさそうで「台湾万歳」や「沖縄万歳」という言葉も発するほどに上機嫌だった。贈られた八重山特産のミンサー織の藍色に近い青色のシャツや、曾文惠夫人に贈られたミンサー織のバックもとても気に入った様子だった。

この席には、ドキュメンタリー映画「海の彼方」(海的彼端)の黄胤毓(こう・いんいく)監督や、映画に登場する移住一世の玉木玉代さんや、息子さんで琉球華僑総会八重山分会の副会長をつとめる玉木茂治氏、『八重山の台湾人』(南山舎、2004年)を著した松田良孝氏なども参加しており、この映画の紹介も行われた。

上映された「海の彼方」のダイジェスト版を熱心にご覧になる李登輝総統

挨拶に立つ玉木玉代さん(右は黄胤毓監督)

実は、台湾の中央通信社がこの映画の詳しい紹介を2回にわたって紹介している。なぜか前編が8月6日、後編はそれより前の8月3日に掲載されている。

台湾の人々が石垣島や石炭採掘のために西表島に移住した歴史は、ほとんど知られていないと言ってよい。そこに光をあてたのがドキュメンタリー映画「海の彼方」であり、李総統の訪問だった。

中央通信社の記事は珍しく長いが、力が入っている記事だ。全文をご紹介したい。


沖縄の台湾移民を写した映画「海の彼方」 家族視点で日台の歴史描く(前編)

【中央通信社:2016年8月6日】

八重山諸島・石垣島に移り住んだ台湾移民の家族の物語を通じ、過去の日台の歴史を描き出したドキュメンタリー映画「海の彼方」(海的彼端)。同作を手掛けたのは、日本への留学経験を持ち、現在は沖縄を拠点とする若手の台湾人監督、黄インイク(黄胤毓)監督。今作が初の長編ドキュメンタリーとなる。同作は7月上旬、「第18回台北映画祭」(台北電影節)で世界プレミア上映された。記者は映画祭に合わせて訪台した黄監督と出演者の一人で日本でミュージシャンとして活躍する玉木慎吾さんに作品の背景、撮影秘話などについて話を聞いた。

作品の中心となるのは、日本統治時代に石垣島に移り住んだ夫に嫁ぎ、戦後の1940年代後半に台湾から同地にやって来た玉木玉代さんとその子孫たち。88歳になった玉代さんの台湾への里帰りの旅と家族の人生を通じ、複雑な東アジアの歴史を辿っていく。同作は八重山の台湾移民をテーマにしたドキュメンタリー三部作企画「狂山之海」の第1弾でもある。

「狂山之海」は2015年ベルリン国際映画祭主催の若手製作者向けプログラム「ベルリナーレ・タレンツ」のドキュメンタリー企画部門に選出。スイス・ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭のピッチングセッションでは大賞を受賞するなど、国際的にも注目されている。

◇隠された歴史
台湾移民は日本統治時代、農地開拓を目的に沖縄へ渡ったが、戦時中に台湾に強制送還される。戦争が終わると政治的問題により彼らの居場所は失われ、再び沖縄へ。移民らはそれから1972年の沖縄返還後に日本国籍を取得するまで、台湾に戻ることも出来ず、無国籍者として生き続けた。

八重山の台湾移民は「台湾の人も、日本の人も知らない隠された歴史」だと語る黄監督。監督自身、以前は大学の授業で少し聞いたことがあるだけで、具体的なイメージは無かった。だが、大学在学時に台湾在住のタイ人労働者をテーマにした作品(「五谷王北街から台北へ」)を製作するなど、かねてから民族や移民に関心を持っており、日本への大学院留学を機に、台湾移民が住む八重山に行ってみたいと思っていたという。

今作を製作する重要なきっかけになったのは、八重山で生活する台湾人の歴史を記録した書籍「八重山の台湾人」(松田良孝著、2012年に台湾でも翻訳出版)。同書を読んだ黄監督は、それが深いテーマだと感じ、2013年の中頃、実際に現地に足を運んでみることに。1年近くに及んだフィールドワークで話を聞いた人数は150人以上に上る。そして2014年の後半に作品を考案。調査から完成までには約3年を費やした。

◇「家族」の視点から
「私は堅い歴史ドキュメンタリーは撮りたくないので、各世代の人もいて、里帰りの旅もあって、という一つの大家族の家族史を通してその後ろの八重山の台湾人の歴史を語れるようにとの大きな野心を持ち、1本目(海の彼方)は製作しました」(黄)

黄監督は「家族視点の作品」にこだわりを示す。同作では玉代さんの孫の慎吾さんがナレーションを担当しているほか、玉代さんの息子で慎吾さんの父である茂治さんが撮影したホームビデオの映像も使われている。

「この作品は歴史の資料もあって、無いものはアニメーションや油絵を使ったりするんですが、もっと親密な視点を入れたかった。『家族視点の作品にしたい』。それは私の最初からの野心でした。通常は歴史を語る時、冷たい。有名人がナレーションを語るとか、全然関係無い人が話すとか。そういう系ではない作品が撮りたかった」(黄)

「玉木一家に会った時、大きな感動を覚えました。おばあさんと息子、娘達の雰囲気が良くて、映画に撮りたいと思って。家族っぽい作品にするということで、慎吾さんにナレーションをお願いし、孫の視点から話してもらうことにしました。でも、まだ足りない。歴史を語るには歴史資料が必要。それは確保するけれど、それでも何か足りない。ようやく足りるようになったのは、茂治さんのホームビデオ。数カ月の撮影の末にようやく信頼を得て、茂治さんから使用許可がもらえて。それがこの作品において私の野心を満たす大きな鍵になったと思います」(黄)

後編に続く


沖縄の台湾移民テーマにした映画「海の彼方」 監督・出演者インタビュー(後編)

◇玉木家との出会い
「家族を選ぶ上で大事だったのは、一つの家族でいろいろなことを語れるということ」(黄)

総勢100人近い玉木家。移民一家としては最大で、孫やひ孫など大勢が一緒に暮らしている上、皆が集まる「アップル青果」という場所があったというのが、玉木家を選ぶポイントになった。また、玉代さんには7人の子供がおり、それぞれが様々な経験を持つ。さらに、3世にはミュージシャンとして活躍する慎吾さんがいたことも決め手になった。だが、一家の撮影は決してスムーズだったわけではないという。

黄監督が玉木家で最初に会ったのは玉代さん。第一印象は「怖かった」と苦笑する。

「おばあちゃんは警戒心が強い。『撮影したい、インタビューしたい』って言われたら『いい、いい』と断るタイプ」(慎)

「わたしは一生懸命台湾語を話したのですが、『このおばあさん、インタビューしにくい、ハードルが高い』と思って。最初、台湾系移民の人が集まる雑貨屋で玉代さんと会ったのですが、他の人は親しみやすかったけれど、玉木のおばあさんは難しいと思いました。そのあとも玉木家には自然と行っていないんですよ」(黄)

そんな状況の中、一家と黄監督を結び付けたのは、玉代さんの息子の茂治さん。華僑会の中心的存在の茂治さんと交流を深めるうちに、玉代さんの米寿の誕生会に招かれ、それをきっかけに玉代さんとの距離も近づいた。そして次第に撮影をしてもいい雰囲気になっていったという。

◇初めて知った祖母の過去
移民3世の慎吾さん。台湾とのハーフだということは小さい頃から認識していたが、祖父母の移民の歴史を知ったのは、「八重山の台湾人」を読んでからだという。

「本を読んで衝撃を受けましたね。おばあちゃんはああいう性格なので、(自分が)若い時は口喧嘩をしたりしてたんですね。口うるさくて嫌いになった時期もあって。だけど本を見て、本当に苦労して、生きるか死ぬかですよね。石垣に来るってことも。大変な思いをして石垣に来て、だからこそ僕はここに存在してるんだ。逆に感謝しないといけないのにそういうことを知らないでおばあちゃんに当たったりしていたので、反省もしつつ。ほかの石垣のおじいさん、おばあさんも昔から交流はありましたが、どういう関係なのかは全く知りませんでした。説明されても理解出来なかったと思う。でも本を読むと関係が分かって、それがきっかけで歴史に興味をもつようになりましたね。それまでは全く無かったんですが」(慎)

慎吾さんは玉代さんの里帰りの旅に同行。台湾を訪れるのは実はその時が初めてだったという。それにも関わらず、外の空気を吸った際、不思議な感覚にとらわれた。

「においが印象的でしたね。懐かしいし、『このにおい知ってる』と思って。外なのになんでって思って。おばあちゃんのにおいがする(笑)。おばあちゃんと一緒に住んでるんですけど、おばあちゃんの部屋のにおい。線香とか化粧品とかのにおいなんでしょうね」

◇近くて遠い… 八重山と台湾
タイトルの「海の彼方」には、近くて遠い台湾と石垣の複雑な悲しい歴史に対する思いが込められている。

「台湾と石垣はとても近いですよ。フェリーでも一晩で行ける距離なのに移民にとっては遠い外国。すごく遠い外国の海の彼方。そう考えるととても悲しい。国境の島とも言えるのに、そんなに近いのに(かつては)密入国しないと行けないとか。今でも那覇を経由しないと行けない。とても遠い。でも地図で見るとすごく近い。玉代ばあさんはラジオで台湾の宜蘭地方の台湾語ラジオを聞いています。ラジオの電波が届くほど近いのに行けない。特に無国籍の時は台湾にも帰れないし、日本人としても認められなくて。そういうのを考えると私は海が重要だと思いますね。八重山という島で、すぐ海が見えるのに、台湾に行けない。台湾、石垣、どちらにとっても『海の彼方』ですよ。どちらにとっても遠い」(黄)

◇ドキュメンタリーの社会的責任
昨年、台湾生まれの日本人、いわゆる「湾生」の姿を追ったドキュメンタリー「湾生回家」が台湾で公開され、興行収入3000万台湾元のヒットを記録した。湾生も、「海の彼方」で扱われる台湾移民も、歴史に翻弄されながらも、これまであまり知られていなかった存在だ。黄監督は「ドキュメンタリーの社会的責任はみんながわからないことを発掘して、世の中に出すこと」だと力説する。

「八重山の移民については研究や論文もありますが、どれだけの人に伝わっているかはわからない。一般の人が読むものではないので。ドキュメンタリーは映画という媒体でより多くの人に見てもらうことができます。去年の『湾生回家』もそうですが、それらはみんなが知らないけれど知るべきテーマ。日本人としても、台湾人としても、自分の国の歴史の一つとして、一つの現状として、今まだ存在するけれども長年忘れられてきた人の歴史や運命、どういう経緯でこうなっているのかを伝えるドキュメンタリーは、社会的に必要だと思っています」

◇歴史を「感じてほしい」
「『人』のドキュメンタリーが好き」だと語る黄監督。ドキュメンタリーは知識を得るとともに、いろいろなことを「体験」できるのが魅力だといきいきとした表情を見せる。

「今まで隠されていた歴史を『知らせる』というよりは『感じてもらう』。見て、一緒に旅をして、石垣にそういう人が存在するということを、映画の家族のストーリーに一緒に入って体験できる。それは映画の力であり、魅力ですよね」

台湾の観客の中には、作品を見て自分のおばあさんを思い出したという人もいたという。同作を通じて自分の家族を思い出し、「自分の過去を反省して、未来を改めて考えてくれれば」と監督は作品にかける思いをのぞかせた。

◇野外上映会や講座を開催予定
同作は台湾では9月30日、日本では来年春に公開予定。同作には映画祭版と劇場版の2バージョンがあり、一般公開では劇場版が上映される。映画祭版は家族の旅にスポットを当てているが、劇場版は歴史的な要素がより多く加えられるという。公開を前に、台湾では様々な催しが企画されている。

9月中旬には、石垣から最も近い東部・宜蘭のビーチで野外上映会を実施。上映後には音楽パフォーマンスも予定されており、慎吾さんもステージを披露する。慎吾さんは玉代さんのために作った歌を「台湾語で歌いたい」と意欲的だ。

また、9月から10月にかけて、台北と台中で八重山の台湾人をテーマにした展覧会を開催する。台中を選んだのは、移民の多くが台中や彰化の出身だからだという。さらに、台湾移民だけでなく、沖縄と台湾の交流史など幅広いテーマを設定した講座を台湾各地の大学を中心に、書店やカフェなどでも複数回開く。

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黄胤毓監督:台湾・台東市生まれ、現在日本在住。政治大学テレビ放送学科を卒業後、日本に留学し、東京造形大学大学院で映画専攻修士を取得。2010年に「五谷王北街から台北へ」でドキュメンタリーデビューし、これまでに製作した作品は世界各地の映画祭に出品されている。2014年には映画監督の河瀨直美がプロデュースした奈良国際映画祭とジュネーブ芸術大学の共同制作プロジェクトに参加した。「狂山之海」の第2弾「緑の牢獄」、第3弾「両方世界」は現在製作中。