今年8月、天皇陛下が「生前退位」のご意向がにじむメッセージを表明されたことをきっかけに、親日感情が強いとされる台湾では「ご訪台」待望論が静かに浮上している。台湾でも一連のニュースは「ご年齢を考慮すれば当然」と好意的に受け止められており、同時に「仮に生前退位が現実のものとなれば、陛下のお立場は今よりも自由になるはず。台湾ご訪問の障害もなくなるのでは…」との期待感が広がっているのだ。しかし、懸念される中国の“横やり”という変数の前では、慰霊の旅を続けておられる陛下にとっても「難題」とみられる。複雑な外交問題とも絡み合って実現までのハードルはかなり高いといえそうだ。
台湾駆け巡った“大ニュース”に期待感高まる
「天皇陛下が『生前退位』のご意向を明らかにされたニュースは、仲間内で大いに話題になりました。またあくまで仮定の話ではありますが、退位された後の台湾ご訪問の可能性についても語り合いました」
台北市内の公共施設で日本語のボランティアガイドを務めている80代の男性は、期待感をにじませながらこう証言した。
「仲間内」とは、主に日本語を話せる80歳以上のことで、自宅ではNHKの海外放送などを日常的に視聴している。
日本列島を駆け巡ったこのビッグニュースは日本に親近感の強い台湾社会でも大きな話題となり、皇室関連ニュースや大相撲中継を好む、こうした高齢者を中心に高い関心を集めた。
旧制台北第二中学1年生で終戦を迎えたという別の男性(83)も「天皇陛下が退位された後に、台湾をご訪問される日がくることを期待しています。もし実現すれば、生き残っている数十人の同窓生全員で、空港でお出迎えしたい」と笑顔を見せた。
この男性の父親は戦時中、国民学校(小学校)校長を務め、自身も戦後の台湾で教員を務めたが、「私は典型的な昭和ひとケタ世代。心情的には、現在でも大日本帝国の臣民のつもりです」と話す。
“日台断交”も、その後環境は大きく変化
その一方で、当時日本陸軍の少年兵に志願した経験を持つという男性(89)は「天皇陛下の台湾ご訪問が実現すればとてもうれしいが、しかし、そう簡単な話ではないだろう」と冷静に分析する。
実際に、京都帝大在学中に学徒出陣の経験がある李登輝元総統(93)が2001年、総統退任後初の来日を果たせたのは、岡山県倉敷市の病院で心臓手術を受けるという“人道的配慮”での大義名分が存在し、日本の各メディアの論調も後押ししたという経緯があった。
仮に天皇陛下が退位された後、台湾ご訪問の機運が高まったとしても、台湾の複雑な国際的地位にからみ、さまざまなハードルが待ち構えているとみられる。
日本は1972年、日中国交正常化に伴って台湾と断交。外務省は2000年代初頭まで、正式な外交関係がないことを理由に課長級以上の台湾訪問を認めないとする内規を設けるなどしてきた。
しかし、中台関係の変化や、日本の世論の変化などもあり、次第に都道府県知事や国会議員らが台湾を往来するように。2003年12月には、大使館に相当する交流協会台北事務所主催で、32年ぶりの天皇誕生日祝賀会が台北市内で開催されるまでになった。
こうした日台関係の変化に対し、強く警戒しているのが、台湾を「不可分の領土」とする中国だ。この祝賀会の開催時には「強い懸念を持っており、外交ルートを通じて日本側に何度も厳正な申し入れを行った」(中国外務省)と、強硬な姿勢を打ち出していた。
議論の先の“声なき声”どう受け止め?
一方、天皇、皇后両陛下は、戦後70年の節目にあわせ、前後して、沖縄、長崎、広島のほか、海外各地を回る“慰霊の旅”を続けられている。
平成27年4月にパラオ共和国をご訪問された際には、「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」と述べられた。
また、今年1月には先の大戦で国外最多の51万8千人の日本人が犠牲になったフィリピンを訪ね、哀悼の意を表された。
だが、戦前に日本が統治していた韓国は、何度もご訪韓が取りざたされながら実現できておらず、外務省関係者の間でも「難題」として残されている。
台湾はさらに難易度が高いとされ、外務省幹部も「現状をかんがみれば、両陛下が台湾をご訪問されることは、韓国ご訪問以上に困難」と指摘する。
2011年に東日本大震災が発生した際には、世界的にも突出した巨額の義援金を被災地に寄せた台湾。その後、日台関係は人的往来の増加をはじめ、各種民間取り決め(協定に相当)の締結などで飛躍的に進展している。
政府は10月から「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」で、生前退位などに関する議論を進めることにしているが、その議論のさらに先に存在する台湾社会からの“声なき声”は、どのように受け止められるのだろうか。【2016年10月6日・産経新聞Web版掲載】