同行記者にも極秘で進められたプミポン国王謁見に出発する李登輝総統を中央社が捉えたもの

タイのプミポン国王が13日、逝去されました。心より哀悼の意を評します。

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李登輝総統は1994年2月、「務實外交(現実外交)」を推めるべく、一週間の日程でフィリピン・タイ・インドネシアのASEAN3国を歴訪した。

ASEAN国家のなかでもタイは特に親中派であったため、政府内では李総統の訪問受け入れに関して相当な反対の声があった。また、中国もタイに対し、7度にわたって強烈な抗議を行うとともに、タイ政府が「一つの中国」を認める声明を出すよう迫ったという。

ただ、タイ王室と台湾は、チェンマイのアヘン産業を果実栽培と農産物加工産業に転換させるための協力関係を有していたため、プミポン国王は李登輝総統の表敬訪問を受け入れ、30分にわたり会見。これは1975年の国交断絶以来、両国の元首による初めての会見であった。チュワン・リークパイ首相との会見は実現しなかったものの、プミポン国王への謁見実現は30年来の台泰関係における大きな意義を生んだ。

写真は、プミポン国王差し回しの専用車で王宮へ向かう李登輝総統を捉えた一葉。

【李登輝総統写真集(国史館発行)4より】