交流協会が12月28日、2017年1月1日から「日本台湾交流協会」と名称を変更すると発表したことを受け、台湾の外交部は同日、「今回の名称変更は、当該組織の台湾における実質的な業務の性質を反映したものであり、台湾と日本の双方関係が前向きに進展していることを意味するものだと指摘」し、歓迎する立場を表明した。
本会メールマガジン「日台共栄」誌上などでこの朗報をお伝えしたとき、台湾智庫の世論調査で在外公館の名称について「変えるべきではない」は21.4%だったが、「台湾代表処に改名すべき」は66.7%にも及んだことを紹介し、台北駐日経済文化代表処の名称変更もにわかに現実味を帯びてきたと指摘した。
すると、台北駐日経済文化代表処の代表をつとめた許世楷氏が、亜東関係協会の名称も日本側に合わせて変更するよう提言し、台湾の外交部が29日午前の定例記者会見で検討する考えを明らかにしたという。台湾国際放送が伝えているので下記にご紹介したい。
ちなみに、日本は台湾と1972年9月末に国交を断絶したものの、1972年12月8日に台湾との窓口機関として外務省と通産省認可の財団法人交流協会を設立した。この交流協会の台湾側カウンターパートが亜東関係協会だ。
同年12月26日、交流協会と亜東関係協会は「在外事務所の相互設置に関する取決め」を締結し、日本は台北に大使館に相当する「交流協会台北事務所」、高雄に総領事館に相当する「交流協会高雄事務所」を設置した。台湾は東京に大使館に相当する「台北駐日経済文化代表処」、大阪に総領事館に相当する「台北駐大阪経済文化弁事処」を設置。横浜、福岡、沖縄、札幌に領事館に相当する弁事処を設置している。
許世楷氏は、日本の窓口機関の本部である交流協会が名称を変更するなら、台湾も本部である亜東関係協会の名称を変更したらどうかと提案したのだ。
名称案の提示はなかったようだが、日本がこれまでの交流協会の頭に「日本台湾」と付したのなら、亜東関係協会は頭に「台湾日本」と付して「台湾日本関係協会」(台日関係協会)という名称もいいかもしれない。また、東京の台北駐日経済文化代表処も「駐日台湾代表処」という改称案もいいかもしれない。
実は、代表処の日本語版広報誌の名称は、機関名称に先行して段階的に改称されてきている。断交当時は「中華週報」だったが、陳水扁政権の羅福全代表のときの2001年5月に「台北週報」と改称し、2004年1月に現在の「台湾週報」に改称している。
また、本会の台湾側カウンターパートの「台日文化経済協会」(黄天麟会長)は、台湾と日本の協力関係を推進するため1952年7月29日に「中日文化経済協会」という名称で創設されたが、2005年6月に現在の「台日文化経済協会」に改称している。
これらの先行事例が示しているように、すでに10年ほど前から実態に即して名称を変更してきている。亜東関係協会の名称もまた、実態に即して変更すればいいのである。カウンターパートの日本側が名称を変更したのだから、日本は「ノー」と言うはずもない。蔡英文政権は許世楷氏の提案を粛々と受け入れ、亜東関係協会の名称変更を実現するよう期待したい。
亜東協会の名称変更、外交部は「検討」
【台湾国際放送:2016年12月29日】
外交部が、台湾の対日本窓口機関の名称変更は慎重に検討するとしている。日本の対台湾窓口機関・公益財団法人交流協会は28日、来年から名称を「公益財団法人日本台湾交流協会」に改めると発表した。元駐日代表の許世楷氏は、台湾の対日本窓口機関である亜東関係協会の名称も日本側に合わせて変更するよう提言した。
これに対し、外交部の王珮玲・報道官は29日午前の定例記者会見で、外交部の立場は日本との交流を強めることだとした上で、日本側の名称変更は交流協会の台湾における業務の内容と性質をいっそうはっきり示すものだと評価した。そして、亜東関係協会の名称変更については、外交部で検討する考えを明らかにした。
また、海外に設けている在外公館の名称を調整する可能性については、「それぞれ事情が違う」と慎重な姿勢を示しながらも、外交部は国交の無い国々との関係をさらに発展させられるよう努力すると述べた。中華民国が日本に設ける大使館に相当する機関は、台北駐日経済文化代表処という名称。