紙面より

司馬遼太郎さんは、『台湾紀行』の取材の案内役として当初大学院生を考えていた。ところが、紹介されたのは実業家として成功する蔡焜燦(さいこんさん)さんである。「えらすぎる」。そんな司馬さんの戸惑いを見透かしたように、蔡さんは初対面で驚きの行動に出た。

▼挙手の礼をもっての挨拶である。日本統治時代の台湾に生まれた蔡さんは戦時中、志願して陸軍少年飛行兵となる。陸軍航空整備学校で世話になった教官が、当時陸軍少尉だった司馬さんの同期にあたるという。司馬さんは“上官”として答礼せざるを得ない。敬礼、答礼は2人だけの挨拶として続いた。

▼戦後台湾に帰った蔡さんの経歴はめまぐるしい。小学校の体育の教師、発電ランプの販売、うなぎやえびの日本への輸出、そして電子会社の経営である。「愛日家」を自任する蔡さんは、「『大和魂』で艱難(かんなん)辛苦を乗り越えてきた」結果と振り返る。その蔡さんの訃報が届いた。90歳だった。

▼『台湾紀行』は、日本と台湾の両方でベストセラーとなる。「老台北(ラオタイペイ)」の愛称で登場する蔡さんは、すっかり有名人となった。『紀行』をきっかけにして、李登輝元総統との交友も深まり、公式の席で日本語で会話する姿も見られた。

▼蔡さんは、台湾を訪れる日本人の若者をしばしば食事に招いた。歴史から和歌などの文芸、剣道に至るまで、日本文化の博覧強記ぶりを見せつけたあと、こう諭すのが常だった。「食事の礼として、君は祖国を愛しなさい」。

▼もっとも、日本への苦言も忘れない。来日のたびに靖国神社参拝を欠かさない蔡さんにとって、自国をさげすむ歪曲(わいきょく)した歴史観は看過できなかった。その思いの丈をぶちまけた著書『台湾人と日本精神』は、ロングセラーを続けている。