今でも台湾では「植物の父」として慕われている植物学者が早田文藏(はやた・ぶんぞう)だという。日本が台湾を統治しはじめてから10年後の1905年(明治38年)、東京帝大助手をしながら台湾総督府の嘱託となり、19年間、台湾植物の研究と分類作業に従事して1,636種に及ぶ植物に命名し『台湾植物図譜』10巻を完成したそうだ。
9月30日、その功績をたたえる記念碑が約70年ぶりに復元され、台北市の台北植物園で親族らが出席して除幕式が行われたそうだ。下記に共同通信の記事をご紹介したい。
この除幕式は行政院農業委員会林業試験所が主催、早田文藏とともに台湾で植物の採集に努めたフランスのフオリー神父の記念碑も復元されたという。
台湾国際放送の報道によれば「フオリー神父は1901年に台湾にやってきて植物採集を始めた。1913年、植物採集中にヒルが体内に入り込んだことで1カ月後に死亡した。享年68歳で、台湾に滞在した12年間に1万種類あまりの植物の標本を収集した」と伝えている。
また「台湾に残る早田博士の写真はいずれも画質が悪かったため、アメリカのハーバード大学で写真を見つけ、今回の早田博士のレリーフを作った」とも伝えている。
台湾大学には、許文龍氏が制作した「蓬萊米の父」磯永吉(いそ・えいきち)と「蓬莱米の母」末永仁(すえなが・めぐむ)の胸像があり、新たに台北植物園に「植物の父」早田文藏の記念碑が加わり、台湾を訪れる楽しみが一つ増えた。
◆台北植物園 台北市南海路53號(MRT:小南門駅の3番出口より博愛路を南へ3分)
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早田文藏(はやた・ぶんぞう)
1874年(明治7年)12月2日、新潟県南蒲原郡加茂町(現在の加茂市)に生まれ、1903年(同36年)に東京帝大理科大学動植物学科を卒業。学生時代の1900年に初めて台湾を訪れて台湾植物の研究をはじめ、1905年には東京帝大助手をしながら台湾総督府の嘱託となり、台湾産植物の分類を研究。
1910年、私費でヨーロッパへ渡り植物標本を調査。1920年に帝国学士院から台湾植物研究の功により桂公爵記念賞を授与。1922年、東京帝大教授に就任。一般に小石川植物園の名称で親しまれている「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」の第3代園長も務めた。
植物分類に解剖学的、組織学的性質の必要性を主張し、シダ類の中心柱に関する研究から多くの新事実を立証。また、従来の系統学や分類体系に批判的な立場から学説「動的分類体系」を提唱し、その意義は今日の分類体系にも通ずるところがあって再評価されているという。1934年(昭和9年)1月13日に没。理学博士。著書に『台湾植物図譜』(全10巻)、『台湾山地植物誌』『台湾植物誌料』『植物分類学裸子植物篇』など。
植物学者・早田文蔵の記念碑復元 70年ぶり、台北で除幕式
【共同通信:2017年9月30日】
台湾で日本統治時代に植物を詳細に調査した植物学者、早田文蔵(1874〜1934年)=新潟県出身=の功績をたたえる記念碑が約70年ぶりに復元され、台北市の台北植物園で30日、親族らが出席して除幕式が行われた。
早田の孫の大阪国際大名誉教授、谷口正子さん(75)=埼玉県在住=は「祖父は新しい植物を見つけることだけで幸せだったのに(復元してもらい)感謝の気持ちしかありません」と語った。
早田は1900年ごろから台湾の植物を研究し、05年からは台湾総督府の顧問として調査。約1600種を世界に向けて発表した。台湾で「植物の父」と高く評価されている。