産経新聞が神武天皇祭の佳日でもある本日(4月3日)から「李登輝秘録」の連載を始めた。本日の朝刊の1面、それもトップ記事として掲載した。新聞の連載物が1面に載ることはあるが、トップ記事として掲載されるのは異例だろう。
本年3月2日付の産経新聞は、蔡英文総統が安全保障問題で日本政府との対話意向を表明したインタビューを1面トップ記事で掲載したことは記憶に新しいが、日本と国交のない台湾のことを1面で報じることは珍しい。トップ記事はさらに珍しい。ましてや「李登輝秘録」は連載物だ。異例中の異例で、産経の力の入れようが伝わってくる。
3月21日付の社告で、「李登輝秘録」連載の意図について「一発の銃砲も撃たない『静かなる革命』を成し遂げた軌跡や、困難を極めた中国共産党との対峙、日本とも縁の深い李氏の人生を関係者の証言などから見つめ直し、台湾を舞台に戦後世界史を考えます」と記している。
本日の第1回では、改めて連載の意図について下記のように記す。
<戦後の台湾で、共産党の中国と対峙する一方、独裁的だった国民党政権を、内部から民主化した元総統の李登輝(り・とうき)。一滴の血も流すことのなかった「静かなる革命」と称された。日本統治時代の台湾に生まれ、京都帝国大学(現・京大)に学び、「22歳まで日本人だった」と話す。今年1月に満96歳となった李の人生を通し、日本や台湾、中国、米国などが複雑にからみあう東アジアの現代史を見つめ直す。>
いったいどのような場面から連載が始まるのかとわくわくしていた。1990年の野百合学生運動や1996年の総統直接選挙と中国からのミサイル威嚇された台湾海峡危機などを思い描いていた。半分は当たっていた。連載は「虚々実々の両岸関係(1) 中国共産党から極秘電話」と題し、「台湾海峡危機」の舞台裏から始まった。
証言する関係者として、当時、李登輝政権の国策顧問だった“李登輝の密使”曽永賢(そう・えいけん)氏が登場する。1924年12月生まれの満94歳になる曽氏は、いまも矍鑠(かくしゃく)としているという。日本ではほとんど知られていないようだが、共産主義者だった経験を活かし、台湾において中国共産党研究の第一人者となった政治大学教授で、李登輝政権では総統府国策顧問、次の陳水扁政権でも総統府資政をつとめるなど重用された方だ。
本会常務理事でもある浅野和生・平成国際大学教授の編著『日台関係を繋いだ台湾の人びと(1)』(2017年12月、展転社)で、浅野氏が「曽永賢の生涯と日台関係」として執筆している。この本は250ページあるが、曽氏について140ページを費やし、本の半分以上を占める力作だ。曽氏の回顧録『從左到右六十年 曽永賢先生訪談録』(2009年、台湾・国史館)を訳出して日本人向けにアレンジしたものだが、曽氏についてこれほど詳しく紹介した日本語文献は恐らく初めてだろう。
「李登輝秘録」は、この曽永賢氏へ中国共産党幹部から1995年7月初めに極秘の伝言がもたらされる場面から始まる。連載ものだからすでに書き上げている原稿かと思いきや、今年1月2日の習近平演説や中国の戦闘機2機が台湾海峡の中間線を越えて台湾本島側の空域に侵入した3月31日の事象まで書き込んでいる。李登輝時代と蔡英文時代がシンクロしていて起伏に富み、どのような「秘話」が飛び出してくるのか、この先が楽しみだ。12月くらいまで続くと仄聞する。
なお、辜振甫、江丙坤、許世楷、曾永賢、蔡焜燦の5氏を取り上げた浅野和生編著『日台関係を繋いだ台湾の人びと(1)』、林金莖、羅福全、謝長廷の3氏を取り上げた『日台関係を繋いだ台湾の人びと(2)』は本会の取扱い図書。戦後の日台関係は、これらの人々の軌跡をたどる本書でほぼ全容をつかむことができる。