平成18年3月11日(土)~15日(水) 28名(宇都宮鐵彦団長)
第四回台湾李登輝学校研修団 (宇都宮織彦団長、宇井貴彦副団長)は、予定通り3月11日から実施され、今回は年度末でもあり29人の参加となりました。参加者はいつも通り青森、広島、愛媛からと全国から集まりました。
初日・3月11日 台北・桃園空港第二ターミナルナルに集合した一同は、まず新竹の動物園へ。とは言っても動物を見に行く訳ではありません。ここに三年前に日本から寄贈の河津桜二百本のうち140本があり、今年も元気に花を咲かせたとの情報が二月中旬にあったので、 それを見学しようというものです。
動物園の入口では新竹市李登輝之友会の張震天会長以下、10人の方々が出 迎えられ、流暢な日本語でご説明いただきました。桜は開花して1ヶ月経つのにまだかなり花をつけていて、一同のカメラに収まっていました。
続いて新竹サイエンスパークへ。ここでは「老台北」こと蔡焜燦さんが名誉童事長を務められる偉詳電子社の前でお出迎えです。ここは主にパソコンの心臓ともいえるマイクロチップを製造していて、その小指の先ほどのチップを畳ほどに拡大した図を背に会長から説明していただきました。この一帯はコンピュータ関連の会社が集中しており、まさに台湾の心臓部なのです。
その後、一同は新竹駅に近い中信ホテルにチェックインし、夕食なのですが、今回は先ほど偉詳電子社をご案内いただいた蔡焜燦さんの主催です。蔡焜燦さんには先月も李登輝之友会の新年会にお招きいただいたばかりで、いつもながら大変お世話になっています。
かくして第一日目は終了ですが、明日からは周囲に何もない研修所ということで、一部の元気なメンバーは例によって屋台を求めて夜の街へ。
ニ日目・3月12日 9時過ぎ、一同がホテルのロビーに下りてくると、すでに張会長以下数名の新竹市李登輝之友会の方々に加え台湾団結職盟の若き新竹市議会議員・李妍慧さんがお待ちかね。まずホテルの向かいにある市役所の見学。この建物は日本時代の1920年に建てられ たものですが、ほとんど変わることなく現在に至っています。次に新竹市李登輝之友会の事務所へ向います。事務所のメインテーブルには日の丸と新竹市李登輝之友会の旗。張会長いわく「あの旗(青天白日満地紅旗)は台湾の旗ではないので国旗でお迎えできません、ご理解ください」とのこと、期せずして拍手が沸き起こりました。
次は新竹駅。これも日本時代の1913年に建てられたもので、一時デジタル時計や大きな駅名板が設置されたり外壁がクリーム色に塗り替えられていたのですが、90周年の2003年にこれらの無粋なものは取り外され、外壁も当時に近い色に塗り替えられました。新竹駅見学の後、市内のレストランで昼食。
これにて新竹での見学は終了。この頃から天気は崩れだし、龍澤に着いた時には完全に雨。ここでは「雨夜花」 などの作曲で有名な台湾の音楽家・鄧雨賢記念碑へ行く予定だったのですが、バスは近くへは入れず、雨の中を歩いて行くには遠いということで、説明役の顔さんがバスの中で解説。
ほどなく渇望センターに到着、いよいよ勉強潰けの研修の開始です。夕食後、始業式は明日の朝なので名目上は座談会ですが、実質上最初の講義は「日本時代の台湾人の生活」(真理大学教授・張良澤先生) です。張先生には当時台南で開業医だった呉新栄さんの日本語日記を題材に、昭和13 年から20年の間の台湾人の心情や日常生活を披露していただきました。
三日目・3月13日 明け方、激しい雨と風の音で日を覚ました研修生も多くいたようで、台風 並みの天気。寒波到来だそうで、気温も10度以下!今回も正面玄関の外の「渇望煙草センター」(喫煙所) は冷遇されることとなりました。 始業式は、黄昆輝教頭から開校のご挨拶と、学校を主宰する群策会の目標についてお話しいただきました。
この日の最初の講義は「台湾と日本の安全保障」 (台湾独立建国聯盟主席・黄昭堂先生) です。いつも黄先生は軽妙な語り口ですが、今回はかなり慎重。「占いを信じる訳ではないが、今年は口が災いをもたらすらしい」とのこと。とにかく今一番心配なのは台湾人の中国人化だそうで、いろいろな面からその危険性を解説されました。
午後の最初の講義は「台湾の主体性の追及」(中央研究院・林明徳先生)です。台湾は中国の一部という根拠であるカイロ・ポツダム両宣言はただのコミュニケで、正規の国際法はサンフシスコ平和条約であること、台湾人の祖先の多くは大陸移民ではあるが原住民との混血であり、すでに別民族であることなどを説明していただきました。後半「麻生外相の「国」発言は勇気ある発言」とも述べられました。
次の講義は「李登輝前総統の『台湾 の民主化」について」(台湾国史館館長・張炎憲先生)です。李登輝先生のこれまでの業績と台湾の民主化を平行して講義されたのですが、「動員戡乱時期臨時条款」や「国民大会代表選挙」など、専門的なことをサラリと話されたため、混乱した研修生も少ならずいたようです。また最後に、連戦前国民党主席を信用し、台湾団結職盟を設立したものの、国民党から転出してくる人物が少なかったことなどは李登輝先生の失敗であると述べ、研修生も大いに驚かされました。
タ食の後は、「台湾の文化・文学 (小説家・鄭清文先生)です。台湾の文学はその題材で郷土文学、写実、抵抗、歴史に分類できるとし、戒厳令下でも、これらを例えば童話に隠したり動物に置き換えたりして書かれてきたと指摘。また、言語が北京語でも、インドやアイルランドの文学は英語であっても英国文化ではないと同様、中国文化ではないと強調されました。
四日目・3月14日 この日の最初の講義は「台湾の歴史」(台湾大学助教授・呉密察先生) です。16世紀から現在に至る台湾の歴史を大まかに説明され、「そもそも アイデンティティは血・文化(言語)・意識によって形成されるが、これが整理できないまま終戦を迎えたのが台湾の不幸」と論じ、現在「私は台湾人である」という人はこの整理ができているが、「私は中国人である」「台湾人でもあり中国人でもある」という人はこの整理ができていないのだと述べられました。
午後の最初の講義は「台湾の制憲運動」(台湾大学名誉教授・李鴻禧先生)です。正名・制憲の重要性を話され、印象的だったのは「国民党にも台湾人が多くいるが、あくまで国民党が採用した人物なので、国民党以上に中国的なのです」という言葉でした。
続いて「台湾における慰霊と道神」(中央研究院・黄智慧先生)です。現在の台湾人を原住民・客家・外省・ホーローに分別し、主に原住民の慰霊と追悼に関する観念についてパワーポイ ントを駆使して説明いただきました。講義の冒頭、先般の高砂義勇隊悪霊碑撤去騒動にも触れ、中国時報の写真の旗は「日の丸」ではなく高砂義勇隊の旗(日の丸に「高砂誕身隊」と書いてある)で、この字が見えないように裏から撮影したものであると聞き、中国人の狡猾さに一同驚かされました。夕食後は羅福全先生、黄崑虎先生、黄昆輝先生による討論会です。羅福全先生は「日本はもっと強くあるべき」と、黄崑虎先生は「日台の民間交流はずっと拡大している」と、そして黄昆輝先生は「台湾の教育環境は随分改善されている」と述べられました。
五日目・3月15日 この日の最初は李登輝校長の特別講義です。今回この講義のため、なにを話すかを午前2時ころまで考えておられたとのことです。講義に入ると、まずは「今、台湾は存亡の危機だ。決して大げさではない」と切り出され、 2008年には民主化の結果、反民主主義が勝利してしまう可能性があると述べられました。さらに、台湾には「八つの間題」があるとし、これにいかに対処するか、優先順位はどうすべきかが課題と述べ、その一つのヒントとして、第一回と第三回研修団に参加した 伊藤英樹さんの論文を紹介されたので す!(帰国後、本人にその経緯を話したところ、当然ながら大喜びで「これでいつ死んでも心残りはない」とのこと)。とにかく迫力の一時間半でした。
この後、修業式です。今回も李登輝校長自ら修業証書を参加者全員に手渡されました。続いて「仰げば尊し」を奉唱、これにて研修はすべて終了。昼食の後、帰国の途につきました。
今回の研修団をもって修業生は150人を超え、去る5月14日には「李登輝学校日本校友会」も設立されまし た。今後とも修業生との連絡を密にしつつ、新たな日台関係を構築すべく努力していく所存です。
最後になりましたが、許世構駐日大使には毎回、研修団の出発前に茶話会を開いていただいていて、今回も3月1日に開いていただきました。この場を借りて深く御礼申し上げます。