平成24年4月26日(木)~30日(月) 35名(村上俊英団長)
李登輝先生がお元気で良かった!
第17期生 嶋田 早貴
4月26日から30日、第17回日本李登輝学校台湾研修団(略称・李登輝学校研修団)が行われ、団長を理事で岐阜県支部長の村上俊英氏、副団長を参加三回目となる嶋田敦子氏が務め、計35名の団員が参加、とても充実した内容の研修となった。昨年11月、大腸ガンの手術をされた李登輝先生は驚いたことに、最近また台湾一周の旅を始められたそうで、とてもお元気でした。
◆第1日・4月26日(木) 桃園空港に到着後、空港からバスで淡水のホテル成旅晶賛飯店へ。到着後すぐ徒歩五、六分ほどの群策会へ。群策会に着くとすぐ始業式があり、王燕軍秘書長のご挨拶と群策会の紹介があった。その後、蔡焜燦先生(李登輝民主協会理事長)による「台湾と日本の歴史の絆」の講義を拝聴。日本人は台湾人に二つのことを教えた、それは「公」と「私」の区別、そして「モノ作りの精神」だと力説。
終了後はホテル近くのレストラン「海中天」にて夕食会が開かれ、蔡先生や王秘書長など群策会スタッフの方々と楽しいひとときを過ごした。
◆第2日・4月27日(金) 群策会にて午前9時から黄智慧先生(中央研究院民族研究所)の「原住民の歴史と新たな日台関係」の講義。台湾には二千メートル以上の山から遺跡が見つかるという話や、三万年前の長濱遺跡もあるなどの話にビックリ。日本には原住民研究者が世界一多いそうで、これにも驚かされた。
第二講は羅福全先生(前台湾駐日本代表)による「台湾と日本の安全保障」の講義。日台関係でもっとも大切なのは安全保障で、日本にとって台湾は重要というご指摘に納得。
途中、台湾鉄道弁当の昼食を挟み、午後は迫田勝敏先生(中日新聞・東京新聞通信員)による「選挙後の台湾情勢」の講義。総統選挙後の研修団ということで、なぜ民進党は勝てないのかについて「含涙投票」という言葉が紹介され、馬英九はダメだが、自分の意思に反して涙を飲んで国民党に投票する行動だそうだ。選挙の裏事情などを交えた分析はすごく参考になった。
講義後、明日からの野外視察のため15時半に群策会を出発。MRTと高速鉄道を使い台中駅へ向かい、宿泊先のホテル台中金典酒店へ。
ホテルでの夕食会には前駐日台湾代表の許世楷先生と盧千恵夫人をお招きし、明日訪問する白冷圳についてミニ講義いただいた。盧夫人はガンの手術をされたそうで、許先生が食べ物を夫人に取り分けられている様子はさり気なく自然で、お似合いのご夫婦だ。
◆第3日・4月28日(土) ホテルで朝食後、バスに乗り、許世楷先生ご夫妻が待つ白冷圳へ。現地では、本会会員の黄木壽氏や詹益輝水利局長、白冷圳促進会の徐炳乾理事長など関係者も合流、白冷圳について詳しく解説していただき、歩きながら白冷圳建設の歴史を学んだ。
八田與一の高校・大学の後輩にあたる磯田謙雄が造った巨大な逆サイフォン式の送水管「白冷圳」を下から見上げると本当に大きい。地形の変化を利用し、電気などの動力を一切使用せずに、逆サイフォンで高い所にまで水が届く。この先人の偉業を目の当たりにし、当時の日本にこれほど素晴らしい技術があったことに驚き感動した。
近くのお洒落な安妮公主花園レストランにて昼食。窓から白冷圳の大きなパイプを見つつ、許世楷先生より「これを作った時にはそれなりに問題もあったけれども、この生活用水ができたことにより、この集落やここに暮らす人々の生活に潤いが持てた」とのお話を伺い、今でも大切に受け継ぎ、語り継いでくれる台湾の方々への感謝の気持ちでいっぱいになった。
その後、バスで台中公園へ。ここでは最初に、本会から台湾に河津桜を贈ったことを記念して建立された桜寄贈記念碑を見学。
石造りの放送播音台や、横倒しになっている台中神社の鳥居などを見学後は再びバスに乗り、宝覚寺へ。日本人墓地と境内に建つ「霊安故郷」碑に参拝し、村上団長と嶋田氏が献花を行った。 「霊安故郷」の文字は李登輝先生の揮毫で、戒厳令が解除されたのを機に、かつての戦争で戦死した台湾籍元日本軍人・軍属三万余柱と、台湾住民で犠牲者となった人々の御霊をこの寺に祀ることになった時に建てられた。
次に、台中市在住の喜早天海氏のご案内により、台中市日僑学校(日本人学校)の視察に向かった。
この学校は、1999年の集集大地震の際に倒壊したが、校舎再建当時、総統だった李登輝先生のお力添えにより、早々と2001に新校舎を落成することができたという。
校舎の玄関に掲げる「台中縣日僑学校」の扁額は李登輝先生の揮毫だ。一昨年、県と市が合併して台中市になったことにより「台中市日僑学校」と新しく書き換えられたそうだ。案内いただいた田村洋行副校長からその原紙を見せていただいた。日本人に対する李登輝先生の温かく細やかなご配慮に、感謝の気持ちで胸が熱くなった。
校舎はとても綺麗で、整った立派な施設に驚いた。前のスケジュールが押して、二時間も遅れての視察だったにもかかわらず、田村先生にはとても丁寧に案内していただいた。
日本人学校を後にし、バスを走らせること40分ほどで夕食会会場の香蕉新楽園に到着。昔の日本統治時代の街並みそのものが復元された内装になっており、非常にレトロな雰囲気の面白い店内だった。ここで東海大学助教授の王良原氏が合流。夕食後、若者組は駅前にあった宮原眼科の建物を利用したショッピング・フードセンターへ。
第4日・4月29日(日) この日はまた朝からバスに乗り、まずは獅頭山勧化堂へ。ここには、台湾籍日本兵の命を救った海軍巡査隊長だった廣枝音右衛門が祀られている。
廣枝の部下で、唯一人の生存者となる劉維添氏より当時のマニラ市街戦の話などを聴き、胸がしめつけられるような思いだった。この研修団に参加する直前、私は母と本会茨城県支部が主催した廣枝音右衛門のお墓参りに参加し、その際にご遺族の方々のお話もお聞きしていた。劉氏が涙を流し言葉を詰まらせながら、廣枝隊長への感謝の思いと、今も手厚く御霊をご供養されているお姿を拝見して、この方が玉砕しないで生き残っていて下さって本当に良かったと思い、涙が止まらなかった。劉氏は慰霊祭を毎年行われているので、機会があればぜひ参加したい。
ここからまたバスで移動、向かうは南天山済化宮。ここは「台湾の靖国神社」といわれ、大東亜戦争で戦没した台湾籍の英霊を祀っている。李登輝先生の実兄の李登欽氏(日本名・岩里武則)の位牌もここにあった。
コンクリート造りの書庫のような所に亡くなった方々の位牌が奥までびっしり並んでいた。その膨大な数の位牌を目の当たりにし、こんなにも大勢の犠牲者がいたのかとびっくりした。団員皆で合掌参拝。
その後、昼食へ。この日の昼食は客家料理だった。
昼食の後は再びバスを走らせ、桃園神社へ。桃園神社には日本時代の社殿などがそのまま残っていて、台湾の国家三級古蹟に指定されている。戦後、新竹県忠烈祠と改称されるが、本殿や拝殿、社務所、手水舎などがとてもよく保存されていて、まるで日本の神社にいるかと錯覚してしまうほど。しっかり残そうとして下さっている台湾の方々の思いが伝わってきて、感謝の気持ちでいっぱいになった。
この日はそのままバスで台北駅へ。解散後は自由行動となり、各々台湾での夜を楽しんだ。翌日はいよいよ李登輝先生による特別講義だ。今回の研修団の目玉でもあり、久しぶりに李登輝先生からご講義いただけるので、緊張と期待のあまり、私は心が高鳴り、この夜はなかなか寝付けなかった。
第5日・4月30日(月) 朝食後、一行は群策会へ向かう。李登輝先生の特別講義への期待が高まる中、席に座り先生を待つ。
講義室の雰囲気が一変し、緊張感でピンと張り詰めた空気が漂っていた。
李登輝先生は「国際社会における日本の現状」という題で講義され、いまの日本には大胆な経済改革が必要不可欠なのだが、経済が衰退している原因の一つに真の指導者がいないことや官僚に縛られていることなどを挙げられた。
また「日本精神」は世界に誇るべきもので、それを生かすこともなく、復興にも回さないで消費税や所得税の増加だけでは駄目だと強調された。
あっという間に講義は終わり、その後、終業式へ。李登輝先生自ら一人ひとりに声を掛けながら修了書を手渡され、記念撮影を行った。
今回の李登輝学校も実に内容が充実しており、とても有意義な時間を過ごすことができた。
李登輝先生のご体調が良さそうなことが何より嬉しく、力強い講義に涙が出そうになった。
今回もご講義の先生方をはじめ、事務局の皆様、群策会の皆様、ありがとうございました。