平成24年11月22日(木)~26日(月) 50名(衛藤慎吾団長)
初めての研修参加、充実した講義、課外活動に感激!
第18期生 内田 直毅
この度、第18回日本李登輝学校台湾研修へ台北事務所スタッフとして初めて参加させていただきました。私は現在、李登輝先生がご卒業された国立台湾大学農業経済系に在籍しており、日本統治時代に、優秀な農業・土木技術者たちによって築かれた台湾農業の基盤、教育そして恩恵の中で、非常に刺激的な大学生活を送っております。
第一回研修団に次いで二番目に多い50名の参加者(衛藤慎吾団長、江成雅子副団長)は、初日に蔡英文・民進党元主席をはじめとする各界を代表する先生方の講義、二日目の基隆と宜蘭における課外活動、最終日の李登輝先生の特別講義と、非常に内容の濃い、充実した時間を過ごしました。
第一日目 11月22日(木) 桃園空港や松山空港に降り立った参加者は、淡水のホテルにいったん集合。午後三時半から会場となる李登輝基金会で始業式が行われました。郭昆文副秘書長から歓迎の挨拶の後、李登輝基金会の活動紹介がありました。
そして、2008年から女性初の民進党主席を務められた蔡英文先生の講義が始まりました。通訳には、友愛会の張文芳さんが務められ、「台湾の未来と日台関係」というテーマでお話をされました。
台湾、日本、アメリカとの三国間の関係の重要性を強調され、親日国家台湾の若い世代への期待と、中国からの完全なる独立、中国共産党への毅然とした態度が印象的でした。
講義後、参加者からは、尖閣諸島問題や次期総統選への参加の意欲などの鋭い質問が出されましたが、明言を避け、うまくかわしながら答えられていました。
終了後は、ホテル近くのレストラン「海中天」で食事をしながら、参加者一同、政治、経済、外交などの話で盛り上がり、楽しい時間を過ごしました。
第二日目 11月23日(金) 研修二日目は、午前九時から黄天麟先生(元第一銀行頭取・元総統府国策顧問)の「台湾の経済と日台FTA締結」の講義で始まりました。
FTA締結、日台の連携は不可欠、重要だということを強調されました。
その一方、通商上の障壁を取り除く自由貿易地域の結成を目的とした、二ヶ国間以上の国際協定であることから、締結先を慎重に考慮する点、そして、特にデメリットとして、経済的優位に立つ国に産業や生産拠点が集中してしまう懸念についても言及されました。
午前11時からは、陳南天先生(台湾独立建国聯盟主席)による「基隆と日本の交流史」についての講義。翌日午後の課外活動が基隆市訪問だったため、陳先生による基隆の歴史、文化、建築物の講義が前日に行われたことで、より有意義なものになりました。基隆が台湾の貿易の玄関口、そして軍事設備としても非常に重要な役割を果たしていることがよく分かる講義でした。
昼食を挟み、午後2時からは、蔡焜燦先生(李登輝民主協会理事長)の「台湾人が大切に思うもの」についての講義。
日本統治時代の教育や、後藤新平などの政策取り組み、そして日本精神、日本人から学んだ「公」と「私」の区別などの力強い講義に感激しました。
私は、講義をされている蔡先生の話にいつの間にか、魅了され、そして吸い込まれ、人情味あふれる講義に感動しました。
最後の講義は、午後4時から李明峻先生が登場。テーマは「台湾の国際法的地位」でした。
李先生は、非常に複雑で混同されがちな国際政治の視点と国際法の視点を峻別し、台湾の国際法的地位をわかりやすくご説明いただきました。中華民国と台湾の関係を国際法の観点から講義される李先生はまだ若く、今後の日台関係でも色々とご指導いただけることと感じました。
当夜のスケジュールは自由行動。台北市内へ出掛けた方もいれば、淡水の夜市散策へ向かったグループも。
第三日目 11月24日(土) ホテルを8時半に出発し、李登輝先生の生家「源興居」を訪問。新北市三芝区にある生家は、豊かな自然に囲まれているうえ、非常に立派で伝統的な建築様式の家屋でした。
さらにバスで移動し、明石元二郎第七代台湾総督のお墓を参拝。明石総督の在任期間はわずか1年4ヶ月余りということですが、台湾の経済発展、工業発展に必要な電力開発、鉄道敷設など政策の主軸を次々と打ち出していかれました。
台湾をこよなく愛し、任期の終りごろには過労で病気がちになってしまわれますが、早くから下村長官に「自分がこの世を去ったら、骨を台湾に埋めてくれ」と遺言されていたそうです。
1919年10月24日にこの世を去られ、当初は台北の三板橋日本人墓地に埋葬されたのですが、第二次世界大戦後、中国大陸から押し寄せてきた難民によって墓地が占領されてしまいます。
1997年の台北市都市計画で、日本人墓地が公園へと開発されることとなり、その際に日台各界の協力のもと、墓は掘り起こされ、現在の新北市三芝郷の福音山クリスチャン墓地に埋葬されることになったということです。
続いて、国民党の白色恐怖が吹き荒れていた時代、初めて個人として公の場で台湾独立を主張し、勇敢に国民党政権に立ち向かい悲劇の死を遂げた鄭南榕の墓前に献花。さらに、台湾を代表する歌手・テレサテンのお墓にも参拝しました。
昼食は、基隆への移動途中に海鮮料理レストランにて。基隆到着後は陳南天先生と合流し、港内遊覧船に乗船して湾内クルーズを楽しみました。あいにくこの日は非常に天気が悪かったのですが、陳先生のガイドで、港町、貿易港として栄えた基隆市を海の上から観覧しました。
下船後はバスに乗車し「琉球ウミンチュの像」の見学。琉球と基隆の繋がりは深く、1905年頃から琉球からの移民が集落をなしたそうです。台湾の人々は琉球からの移民に移住地を提供し、琉球の人々も、漁法、漁業などの技術を惜しみなく伝えたそうです。戦乱と復興の中で琉球集落は消滅したのですが、基隆と沖縄の交流を記念したウミンチュの像を見上げた時、双方の絆が深まることを確信しました。その後、ホテルにチェックイン、休憩をはさんだ後、天候や日暮れも考慮し、希望者だけで、基隆神社跡を見に行き、鳥居の両端に佇む狛犬を確認しました。
夜は、基隆港海産楼で海鮮料理。解散後は各々夜市を散策。
第四日目 11月25日(日) この日は打って変って非常に良い天気に恵まれ、基隆から宜蘭に移動。はじめに、「西郷堤防」を築いた西郷菊次郎・初代宜蘭庁長を記念し、宜蘭川のほとりに建立された「西郷庁憲徳碑」を見学。この宜蘭川の堤防の建設に当たり、述べ74万人が動員され、3万9300円の建設費用、1年5ヶ月の歳月がかけられたということです。この堤防のお陰で、台風直撃による洪水、河川の氾濫に関連する災害が少なくなり、付近の農民たちの生活は安定し、田畑での農作物の収穫は増加したそうです。
続いては宜蘭設治記念館を見学。この建物は太平山から切り出された檜を使って建築されており、宜蘭の約200年の歴史を展示する記念館として一般にも公開されています。元々は日本統治時代の庁長官舎で、敷地面積は800坪にもおよび、室内の床や、畳、障子などは、ほとんど当時の通り復元されています。
昼食の後には、宜蘭神社跡(現在は員山公園)見学。日本の神社と同じく、本殿に続く階段が真っ直ぐ通っています。ただ、参道の傍らには、明らかに意図的に、複製の神馬が半身土に埋まった状態で置かれていたり、燈籠の基座などが無残に破壊されて放置されているのが見えました。戦後、国民党に接収され、忠烈祠になったとはいえ、自分自身理解に非常に苦しむ光景でした。
その後、台湾初の本格製法ウイスキー「カバラン」を作り上げることに成功した金車公司のウイスキー工場を見学。伝統醸造の精神を守りながら、高度な科学技術を加え、高い純度と品質を誇る最高級のウイスキーは、世界の品評会でも非常に高い評価を得ているそうです。
最終日 11月26日(月) 研修最終日、ホテルで朝食後、李登輝基金会で午前10時から李登輝先生の特別講義。李登輝先生は、満面の笑顔で研修生50名を歓迎して下さいました。特別講義は穏やかな雰囲気で始まりましたが、日台の絆、東日本大震災からの復興、そして日本人よ、アジアを、そして世界をリードせよ、と鼓舞する李登輝先生の熱弁に心を度々打たれました。
日本精神はどこに行ってしまったんだ、と問いかける李登輝先生の姿、イアン・ブレマー氏が著した『Gゼロ後の世界』を取り上げ、主導国なき時代へ突入した現代、真の日本人のあり方が問われる、と叱咤激励された李登輝先生のお言葉に、日本人として勇気をいただき、感無量の思いでした。
そして、最後に李登輝先生から一人一人に研修終了証が手渡しされ、握手をしていただきました。
私は、この度の研修で、日台の絆について再認識し、この台湾での生活、そして周りの方々の思いやりや心遣いに日々感謝すると同時に、若い世代に託される日台関係の相互発展に自分なりに努力を続けていこうと誓いました。兄弟のような深い絆を再認識した素晴らしい研修でした。