平成25年11月21日~11月25日 36名(嶋田敦子団長)
生きた勉強をした貴重な時間
市丸瑶子(国立台湾師範大学留学生)
今回、昨年の11月21日から25日に行われた「第20回日本李登輝学校台湾研修団」(略称、李登輝学校研修団。嶋田敦子団長、山本厚秀副団長)に初めて参加させていただきました。参加者は36名です。
交換留学生として台湾に住み始めてから3ヶ月経った時期の参加でした。今まで自分で調べているだけでは知り得なかったたくさんのことを、実際にいろいろな人から直接聞かせていただき、本当に生きた勉強をしたと感謝しています。また、台中への野外研修では、自分と同じ日本人である先人の方々のなされた偉業や、今でもなお感謝を忘れない台湾の方々の心に触れることができた研修でした。
第1日・11月21日 初日は、淡水のホテルに各自集合した後に、李登輝学校のあるビルまで徒歩で移動しました。どのような方々が参加されるのか、全く予想がつかなく不安な気持ちもありましたが、参加者の方々はとても知的で優しい雰囲気の方々ばかりで安心しました。
始業式では、李登輝基金会の王燕軍秘書長からねぎらいと期待の言葉をい ただき、これからいよいよ始まるんだと感じました。
休憩をはさんだ後、淡江大学教授の蔡錫勲先生より第一回目の講義をしていただきました。講義は「安倍政権下の台日政経関係の展望」というとてもタイムリーな話題で、普段、日本人側からしか見ていなかった日台関係を見直させられるような内容でした。安全保障では日本も台湾もアメリカ製のものを使用していてシステムが同じであることや、日本経済がよくなると台湾にも良い影響を与えるということを知り、ますます日台の協力を強めるべきだと話されていました。また最後に、台湾における対日世論調査についての資料を見せていただき、自分が思っているよりもさらに日本に対して友好的な感情を抱いている人々が多いことに驚きました。
その後の「海中天」での夕食会では自己紹介をしたり、周りの参加者の方々のお話を聞かせていただきとても充実した時間でした。
第2日・11月22日 2日日は昨日と同じく、李登輝学校にて講義が行われました。午前中は黄天麟先生(元第一銀行頭取、台日文化経済協会会長)による「台湾のFTA 政策と日台FTA」。現在、構想されている自由貿易協定(FTA)の内容や、過去に締結されたFTAの結果などを細かく説明していただき、その中で日本という国がどれだけ大きな影響力を持っているのかということを改めて感じました。
休憩の後は公益財団法人粟の穂原住民文化基金会理事長の黄智慧先生による「日台島嶼間の民俗学的関連性ー神話伝説、漂流資料の分析を中心に」。その中で、台湾がどのような人々によって構成されているかや日本人との関わり方について、たくさんの資料や先生のお話とともに具体的かつ分かりやすく説明していただきました。
その後、バスで台湾大学へ移動しましたが、その間に美味しい鉄道弁当を 昼食としていただきました。 台湾大学は本当に広く、学生が校内を自転車で移動していることがとても 印象的でした。また、大学構内にある 展示室には日本時代にまつわるものも展示されていて、とても興味深いものばかりでした。
続いて、教室内で、台湾大学農芸系名誉教授の頼光隆先生に「蓬莱米と台湾農業」についてご講義いただきまし た。台湾で今もなお食べられている美味しいお米が30年もの研究の成果として作られたものであり、その研究は当時、台北帝大教授であり中央研究所農事試験場技師の磯栄吉によるものであったことや、蓬莱米は台湾ビールの原材料としても使われているとの説明に驚きました。その後、バスで台中に移動。夕食の時に台湾ビールの原材料欄に蓬莱米と書かれているのを発見、日本と台湾とのつながりをビールからも感じることができるんだと盛り上がりました。
第3日・11月23日 3日日は台中から日月潭へ向かいま した。日月潭の畔に、台湾では「台湾電力の父」と今も尊敬されている松木幹一郎の胸像があります。普段は一般に開放されていないとのことですが、特別に見せていただきました。
また、日月潭では日本時代にはじめられた紅茶産業が今も続いていて、そこにある紅茶の博物館で試飲させてもらいました。そこの店員の方が、日本人が研究を重ねた紅玉という種類の紅茶について感謝しているということを重ねておっしゃっていました。小山のようなところに、台湾の人々が「台湾紅茶の父」と慕う新井耕吉郎の記念碑 や、日本時代に働いていた人々が住ん でいた宿舎の日本家屋があり、いまだに人が住んでいることがとても驚きで した。その小高い山から見た日月潭は本当に美しく幻想的でした。
その夜、ホテルに戻ってから、有志で台中駅近くの宮原眼科という日本統治時代の建物を利用したアイスクリーム屋さんへ。こんなにおしゃれなアイスクリーム屋さんは初めてでした。
第4日・11月24日 朝ご飯の後は台中公園へ。ここは台湾の歴史が濃縮されている公園で、日本時代の神社跡があり、児玉源太郎像が孫文の銅像に替っていたり、考えさせられることの多い場所でした。
続いて宝覚禅寺に移動。境内の日本人遺骨安置所で手を合わせた後、隣に大東亜戦争に参加して命を落とされた台湾人の方々を祀る慰霊碑があり、英霊の方々に感謝を伝えてきました。この慰霊碑には「霊安故郷」と大書されていて、なんと李登輝先生が総統のときに書かれたものでした。
宝覚禅寺では、児童文学者でもある許世楷・元台北駐日経済文化代表処代表夫人の盧千恵先生がお待ちでした。盧先生のお話を聞き、日本と台湾とのつながりを強く感じました。このお寺には、外からも見えるとても大きな金色の布袋様があり、迫力満点でした。
その後、昼食をバナナ新楽園という店でいただきました。店の外側に青い電車があり、中は昭和時代のような内装レトロで、おしゃれな空間に南国の陽気さを合わせたようなすごく素敵な店内でした。料理もおいしく、昼間からビールを飲んでしまいました。
ところが、この後でハプニング。バスで台北に戻ろうと店の前でバスを待っていると、運転手さんが見損なったのか、歩行者用の信号に車体を引っ掛け、バスの窓が大きく破損、信号機も違う方向を向いてしまいました。ガイドの李太太さんも、今までこんなことは一度もなかったと驚いた様子でした が、もっと驚いたのは、破損した箇所をガムテープで応急処置し、そのまま台北へ戻ったことでした。台湾ならではなのか、まだ新米者にはよく分かりませんが、ともかくそのまま台北市内の台湾独立建国聯盟まで行き、主席の陳南天先生にお話を聞きました。
陳主席には、台湾で最近起きたデモの映像や先の総統選挙のときのエピソードを話していただきました。その後、陳先生もご一緒に澎湖料理のお店で夕食会へ。新鮮で美味しい海鮮ものがたくさん出てきました。お腹一杯となりホテルへ。
第5日・11月25日 最終日です。李登輝先生に会えるかもしれないという期待を胸に李登輝学校のある淡水へ。
まず李登輝民主協会理事長の蔡焜燦先生による「日本精神と台湾精神」のご講義。蔡先生は司馬遼太郎著の『台湾紀行』の中で老台北として登場されている方で、台湾と中国の遺伝子レベルの違いの話や汪兆銘の日本に対する見解、日本時代の小学校設備の素晴らしさなどをお話しいただきました。知らないことがたくさんあり、勉強しなければと強く思いました。
そして、遂に李登輝先生のご講義。李登輝先生がいらっしゃると、教室の空気が一気に引き締まりました。日本についてたくさんのお話をしていただきましたが、何よりも顔色も良く、写真や動画で見ていた通りの笑顔がキラキラとしていて、今回の李登輝学校研修団に参加して本当によかったと心から思いました。李登輝先生は、日本人はアジアのリーダーとしての道徳性、国の品格があるとおっしゃられ、アジアを平和にできるのは日本だけだと強調されていました。
最後に、昭和天皇の「ふりつもる み雪にたヘて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」を引用、励ましていただいたのには驚きました。李登輝先生のお話を拝聴し、日本人が失っている日本人としての誇りを気づかせてくれる、大きな存在であるということを再認識し、これからの日本のために若い時にたくさん力をつけられるように日々努力しなければならないと思わされました。
その後、李登輝先生から直々に「修業証書」をいただ き、全日程が終了しました。本当に実りある、世界が広がる貴重な時間をありがとうございました。ご講義いただいた先生方、李登輝基金会の方、ありがとうございました。