李登輝氏と「武士道」
論説委員 矢島誠司
12月15日、東京・港区のホテルオークラ平安の間で、「日本李登輝友の会」(阿川弘之会長)の設立大会が開かれ、全国から1,000人以上が集まった。
台湾の前総統、李登輝氏はその大会にインターネットを通じて同時「参加」し、「台湾精神と日本精神」と題して講演した。
その講演は李氏を支持する人たちだけでなく、中国との関係で李氏を警戒し、批判する人たちにも聞いてほしい内容だった。
講演の主要なテーマは日本の「武士道」と「大和魂」。武士道や大和魂などというと、戦前の軍国主義との結びつきを指摘してまゆをひそめる向きもあるが、講演を注意深く聞けば、それが実に現代的な意義を持つ生きた理念であることが分かったことと思う。
李氏は「武士道や大和魂は、日本人の最高の道徳規範であり、いまも世界に通用する人類最高の指導理念であると言っても過言ではない」とまで言い切った。
李氏は、武士道や過去に対する全面否定、すなわち自らの歴史に対する自虐的価値観が今日の日本の混乱の要因だと説いた。
「日本を苦悩させている学校の荒廃、少年非行、凶悪犯罪の増加、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁といった国家の根幹を揺るがしかねない今日の由々しき事態は、武士道という道徳規範を国民精神の支柱としていた時代には決して見られなかった。これら諸問題は、戦後の自虐的価値観とは決して無関係ではない」と。
李登輝氏は、戦前の台湾における日本の教育について、「当時の日本の教育システムは実に素晴らしいもので、古今東西の先哲の書物や言葉に接する機会を、私たちにふんだんに与えてくれた」と正面から評価し、そうした教育環境の中で、「死とは何か」「生とは何か」を考え続けた。
李氏は、そうした精神的苦闘の過程で、19世紀のイギリスの思想家、トーマス・カーライルの『衣裳(衣服)哲学』に出会い、農業経済学者で教育者の新渡戸稲造が残したカーライルに関する『講義録』に出会い、その延長で1899年(明治三32年)に英語で書かれた新渡戸の『武士道-日本の精神』にめぐり会った。同書は、「当時の米大統領、セオドア・ルーズベルトがこれを読んで感激し、数百冊を購入して世界各国の要人に一読をすすめた」ほどの本だった。
新渡戸の教え子の一人で、本書の訳者の一人でもある矢内原忠雄は、昭和13年の「訳者序」で、「日清戦争の4年後で(中略)、世界の日本に対する認識がまだ幼稚だったときに、(中略)日本道徳の価値を世界に宣揚せられたことは、その功績、三軍の将に匹敵するものがある」と書いている。
李登輝氏の新渡戸稲造研究、とりわけその『武士道』に関する研究は本格的で、来春、同書に関する独自の解説書、『「武士道」解題』を日本で出版する予定という。
李登輝氏が日本の「武士道」の価値を説くことは、じつはリスクが大きい。中国やそれに同調する台湾内部の勢力が批判するに決まっているからだ。しかし、
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」
正義であればせずにはおられない。李氏が講演の中でも言及した幕末の志士、吉田松陰のこの歌に、李氏の心情が隠されていたように思う。最後の「大和魂」を「台湾精神」と置き換えれば、李氏の心となる。