片木裕一(李登輝友の会事務局次長)

先般、李登輝友の会の総統選挙視察ツアーに参加してまいりました。昨年9月6日の正名運動にも参加しましたので、その熱気は多少なりとも認識していましたが、今回はけた違いの熱気を感じました。

初日、12日は屏東の228 記念館。犠牲者の1 人、阮朝日さんの娘さんの阮美姝さんが管理をされているのですが、気高い姿勢・美しい日本語にはお話の内容もさることながら、思わず姿勢を正さずにはいられません。
そのままホテルに戻ると思いきや、我々を乗せたバスは「工商展覧センター」へ。ここで謝市長が500人を超える市民を前に演説をされていたのですが、その演説が終ると、なんと我々は壇上へ! さらに驚いたのは、柚原事務局長へマイクが渡される。柚原氏は「台湾の民主化は止まらない、我々は陳水扁氏を支持する!」と絶叫、すると林同郷会副会長の通訳を待つまでもなく会場は大歓声! 続いて「阿扁、当選(アピェン、トンソン)」の大合唱!

一夜明けた13日、我々は世台会の会場である漢來ホテルへ、前列右側の特等席へ案内され、開会式を拝見? することとなりました。言葉はわからないのですが、司会の方はオヤジギャグ? を連発し、参加者を飽きさせません。紹介される方もなかなかのセンスで、ある方が「私は地球の裏から35時間かけて来た」と言えば、別の方は「自慢ではないですよ、私は40時間かかってしまった」などと、掛け合い漫才の様相で・・・続いて「日本人の方々も来場しています」と紹介があり、約50人が立ちあがったところ、またも大歓声。これで終りかと思いきや再び柚原氏は壇上に招かれ、マイクを・・・前日の方々もかなりおられるので、何を話すのかと思うと、何とZ旗を取り出す! 参加者は最初その意味がわからず「ポカン」としていましたが、日露戦争のくだりが紹介されると「お~ ~ !」といったどよめきが!そしてそのどよめきは間もなく大歓声にかわりました。これにて我々はこの会場をあとにして、一路台南へ・・・既に事前にもらったスケジュールは変更の赤ペンだらけ、この先何があ
るのやら・・・。一路台南へ、と書きましたが、本来の予定ではこの日(13日) の午前中は「李登輝前総統と懇談」だった筈。まぁ決戦一週間前に投票権のない日本人と懇談しても時間がもったいないのではないか、という気はしていたのですが・・・。

他の参加者も似たような感想をお持ちだったようで、冗談半分で「演説を拝見できれば御の字では?懇談なんて誇大広告だよ」との声もありました。ところが朝、「この日の夕方、高雄空港でお出迎え、一行と記念写真を撮る機会を得られた」との報告があり、全員納得して台南へ直行と相成った次第。聞くところによると、前日夕食の際台湾の方々も参加されていたのですが、その中に羅さんという台団連の議員さんがおられて、スケジュール調整して頂いたとのこと、日本李登輝友の会は大きな借りを作ってしまったのでは?

さて「台南」と聞いていたのですが、バスは台南のインタを降りることなく北上を続けます。途中、新幹線の高架線を何度か見る機会がありました。実は私、鉄道ファンなので、大変興味深く見ていました。というのは、台湾新幹線は日本の新幹線システム導入で進んでいるのですが、当初はヨーロッパのプッシュプル方式(フランスのTGV とか、ドイツのICEのイメージ) で進められていて、日本の新幹線方式になったのは約4年前のことなのです。ということで、運営システムや車両は日本の新幹線なのですが、土木工事は欧州仕様なのです。この違いや問題点をここで書くととんでもないことになりますので、もし詳しく知りたい、という方は「諸君!4月号」にJR東日本の葛西社長が「新幹線売込み『中国詣で』は国益に反する」をお読みください。極めて抑制された書き方ですが、お気持ちはビンビン伝わります。

話がそれましたが、バスは台南を過ぎて約30分後、新営で高速道路を降りて一般道路へ。到着したところは、黄崑虎さんのご自宅。入り口に池があり、立派な門があり、それをくぐるとロの字型の邸宅が・・・これは「四合院造り」という伝統的な構造だそうで、さらに言うと、ロの字の中に庭園があり、後ろには果樹園があるのが『作法』らしい。ただ、横に養鶏所があるのだが、鶏の声は全くない。鳥インフルエンザの影響か・・・。

さて黄さんですが、実は「台湾全国李登輝之友会・会長」だったのです! 日本で言えば、阿川会長ですね(私は佐和子さんの方が好きですが)。日本人以上のしっかりとした日本語でこの建物の説明をいただいたのですが、「屋根の横柱は福建省の杉、柱は阿里山の檜」という凄い素材である一方、室内には思わず頭を垂れてしまうような「家訓」が多々彫り込まれていて、その重みは軽薄な私にもズッシリくるものがありました。ここで台湾料理の昼食(これも会長のおごりとか)。この中庭で、ビールを飲んで美味いものをいただいて・・・適当に暖かく、鳥(鶏ではない) のさえずりをきいて、まさに極楽気分! しかしツアーはここで終る訳ではない。名残惜しくもここを後にして、奇美博物館へ・・・。

次のスポット、奇美博物館には15時到着。当初予定では14時だったのですが、途中渋滞があったりして、なかなか予定通りにはいきません( 免税店の40分が長く、15分ぐらいで切り上げればよかったかも・・・)。かといってここの出発16時は変更できません。なぜならこの日の18時、高雄空港で李登輝前総統をお出迎えするので、ここで遅刻は許されないからです。奇美から空港は所用時間約1時間30 分。奇美博物館へは2年前に一度来ているのですが、やはり凄い! 今回は時間が1時間にも満たないので、5階の美術品コーナー、それもかいつまんで、となりました。ここのフロアでの私のオススメは、なんといっても鄭南榕氏の胸像です。1988年に当局の言論弾圧に抗議、最後は自室で焼身自殺された、「台湾の吉田松陰」とか「三島由紀夫」と称されている人物ですが、この像の表情、本当に迫力があります。(隣に李登輝前総統の胸像もあるのですが、これは似てない! )もうひとつは「サジェッション」という絵です。もちろん絵自体大変美しく見ごたえがあるのですが、エピソードが面白い。というのは、この絵はオークションで落札したのですが、いざ運び出し、というときに、英国政府から「待った」がかかった。「この絵は国外持ち出し禁止だ」ということで、奇美側は弁護士団を派遣、「そもそもオークション参加のときにはそのような成約はない、我々は持ち帰る権利がある」と主張、すったもんだの末、やっと持ち帰ったそうです。話はそれで終らず、後日サッチャー首相が台湾を訪れた際、開口一番「奇美はあの絵を大切にしているか?」と聞かれたそうです。( それも凄いが、そもそもサッチャーさん、チャイナからプレッシャーはなかったのでしょうか? )

1時間弱の見学はあっという間に終了、一行はバスへ・・・。私はトイレタイムに1階の売店を見に行った(前回は行っていないので) のですが、結構いろんなものがある。上記の「サジェッション」のキーホルダーがあったりして・・・。定刻どおり16時、奇美博物館を出発、バスは一路高雄国内空港へ。今度は渋滞もなく順調に走り、17時40分、空港到着。当初予定ではこの日の夜は世台会の晩餐会にご招待いただいていたのですが、このお出迎えが急遽決まったため、そちらはキャンセル、従って夕食はここで質素にとることになりました。

18時過ぎ、同郷会や台団連の方々(お昼にお会いした黄崑虎さんや、セッティングしていただいた羅議員もおられた) が登場、出口から貴賓室の間に列を作ってお出迎えの体制が整いました。カメラ部隊はポジションをとり、小旗が振られ、横断幕もかかり、いよいよ主役の登場です・・・。高雄空港のお出迎え体制は整い、人数こそ100人程度(列の外側にも多数集まっていたのですが、計測不能)ですが、場が最高潮に盛り上がったとき、李登輝前総統登場!周囲は「李登輝、I Love You!」( 本当にこれでよかったんかいな? ? ? ) の大合唱! たかだか20Mぐらいの距離なのに、前総統は殆どの人と握手し、約3分かかって貴賓室へ。

そして我々は10~15人ずつ記念写真を撮る機会をいただきました。私は役得で?なんと左隣に座らせてもらいました。事前に「前総統はこれから大切な演説を行うのだから、こちらからの質問は控えるように」と約束していたのですが、前総統自ら「皆さんは何人ぐらい来られたのですか?」と握手しながらお声をかけてくださいました。また、撮影が終ると、なんとこんな私に再び握手していただき、「ありがとう!」というお言葉をいただきました。思えば昨年9月6、円山大飯店での会食のときの退出の際も、私は最前列にはいなかったのに、わざわざ手を延ばして握手していただいたこともあり、( まさか私の顔を覚えておられる訳はないですが) 心底感謝感激でした。表現は大げさですが、「この人のためなら、私の寿命をさしあげたい」と思います。

その後我々は集会の会場である、高雄美術館へ向います。昨年の9月6日の正名運動では約15万人でしたが、今回は50万人とか。正直なところ、眉毛にツバをつけつつ・・・。さて我々一行は感激の高雄空港から、一路集会会場へ。もともと「バスは定員45名で、もし違反が摘発されたら営業に支障がでる」と言われていたのですが、このときは日本留学生( それも全員かわいい女性! ) も多数乗車、おそらく55人ぐらい乗っていましたが、既に現地ガイド氏(大変好意的な方で、頼さん、と言います) 運転手もノリノリ、没問題です。約1時間で現地到着、「なんでこんな都市部にこんな広い土地がある?」という疑問はさておき、どうも大変な人数のようです。バスは会場北側の通りで停車、全員下車、のはずが、残り数人のところで突然発車、あとから聞くと、「警官に『ここで停車するな』と追い立てられた」とか。実は私、残り組で、参加者に「ここではぐれたら合流は不可能、各自自助努力でホテルへ戻ってください」と案内していたのに、自分が真っ先に対象になるとは・・・。

とりあえずバスは2つ先の信号で停車、私も下車しましたが、既に合流は断念、会場の中心へ向いました。通りを入っていくと、人また人、試合が終った直後の後楽園球場出口状態です。やっとステージを見られる位置に来たら、既に壇上では李登輝前総統が熱弁を・・・。これが凄い! とても82歳の方とは思えない。もともと大柄な方だが、とてつもなく巨大だ! 私はしばらく一行のことを忘れて見入ってしまった・・・。陳水扁総統は立派な方だが、あのオーラは及びもつかない( むしろ宋副総統候補の方が政治家らしい顔をしている)。我に返って、「さあ、どうしよう?」と思っていたら、後方で歓声があがっている。何かと見ると、そこには日の丸が! ここは台湾、そこに日の丸、それを歓喜をもって迎えている台湾の人々・・・なんともいえない感激が・・・ウルウル!かくして私は一行に合流できたのです。なお日の丸を持っていたのはなんとあの林建良さんの息子さん! これはとても言葉では言い表せない感動でした。これで一行はこの会場を後にするのですが、行けども行けども人波は続く。会場の横幅は200Mぐらいですが、縦500Mぐらいは人口密集地で、恐らく1M四方あたり4人、その後ろ500Mぐらいは1~2人ぐらいいたでしょう。単純に計算して60万人近くいたのではないかと思い、眉にツバをしようとした自分が恥かしくなりました。

ホテルへ帰還すると、そこには陳和宏( 世界台湾同郷会顧問、ワシントン在住) さんがおられました。この方、本来の予定では今晩の夕食会をご馳走してくださる大変な方なのですが、当方の都合でキャンセルしてしまうという大変失礼をしてしまったにもかかわらず、「今日はお疲れ様でした、立派な晩餐会はできませんが、向かいの店で心ゆくまで、飲んで、食べてください」とのこと。内容なんかどうでもいい、この方の好意を遥かに超えたお心遣いには本当に感謝します。ここで柚原事務局長から「額入り勅語」の贈呈です。ところが陳さん、「あぁ、懐かしい、私はいまでも覚えていますよ」と言って、その一部を暗唱、一行を大変驚かせました。その後、最後の一人が帰るまで、お付き合いくださいました。ここで解散なのですが、明日台湾を去る一部メンバーは名残を惜しんで夜市の名所、六合二路へ・・・店が終る3時頃までいた方も・・・。
3月14日、最終日です。思えばおとつい夕方からのたった1日半の台湾滞在ですが、あまりにもいろいろなことがあり、数日いたような錯覚に陥ります。そしてその期間、久しぶり?に体が熱くなったことは否めません。ただ、高雄での60万人集会は藍陣営の「昨夜は全島で320万人が終結した」という荒唐無稽な発表のため新聞各紙の1面を飾ることはできず、大変残念な思いでした。また、関西空港から参加された方は航空便の都合で早朝出発となったため、この日のイベントに参加できなくなってしまいました、ご容赦ください・・・。この日の予定は直前まで明らかにしていなかった(何が入るかわからない状況だった) のですが、実はこのツアーの企画段階で「絶対に行こう」と決めていた「日本人墓地」参拝です。場所は高雄市の北方数キロで、市内から比較的近いのですが、台中の宝覚寺などとは異なり、その存在は殆ど知られていません。残念ながら路線バスの便もありませんが、個人旅行で高雄に行かれる方がおられましたら、是非花一輪をお願いします。

場所: 覆鼎金公墓、高雄市三民区鼎金里一巷七号

一行を乗せたバスは高雄市内の花屋の前で一旦停止、献花の花束と御酒を調達し、お墓へ向います。ほどなくバスはお墓のある覆鼎金の丘のふもとへ。ここから一行はミニバンに分乗、現地へ。
お墓はこの丘の頂上にあり、脇にはカジュマルの大木が・・・さぞかし枯葉などで埋もれているのでは? と思ったが、綺麗に掃除されています。「死んだ人は皆仏」は日本人的感覚ですが、この心は高雄でも生きている。これが中国だとそうはいかない、日本人、といえば、墓そのものの存在も危うい。やはり台湾人と中国人は心根が違う。ということで、一同、合掌。
(詳細は展転社「台湾と日本・交流秘話」P194参照、お近くの書店にない場合は李登輝友の会までご相談ください。

これで今回の視察団ツアーは全て終了・・・のはずが、多少時間があったこともあり、前述の頼さんから、高雄港の地下バイパスを渡って「台湾の東照宮」と言われる「広済宮」を案内します、との申し出があり、参拝。ここで台湾式の占いの作法を伺い、いざいざ・・・。私?3つ祈願できるとのことなので、① 陳水扁再選、② 李登輝友の会の発展③ ×× ・・・( 個人的願望)、を祈願したところ、一発で受託いただきました。

そして、高雄空港へ・・・。最後の頼さんの言葉が印象的でしたので、ここに掲載します。「皆さん、本当に紳士ですね、皆さんと3日間ご一緒しましたが、誰一人として『頼さんはどちらに投票しますか?』とは聞かれませんでした。私はもっと日本語を勉強して、また皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。今度の選挙では、私は『台湾のためになる』候補者に投票します。」私達には投票権はありません。また、外国人が特定の候補者や政党を支持してはいけません( 高雄市長の演説や世台会は国政ではないのでOK )。しかしながら、『気』は伝わります。我々の『気』が陳総統の得票の一部につながったのであれば、大変有意義なことと思います。今後も不確定情報をものともせず、朝令暮改のスケジュールをいとうことなく、台湾の民主化のため、まわりまわって日本のため、機会ある毎に行動したいと思っていますので、ご支援をよろしくお願い申し上げます! ! !

以上、デモの番傘男を卒業、李登輝友の会事務局次長になった片木記。
【選挙結果について】既に報じられているとおり、陳呂は僅差で勝利しました。まずはお祝い申し上げます。ただその後の連宋の「逆ギレ行動」は凄いですね、馬台北市長が止めに入っても座り込み等は収まらない。正に「台湾・生みの苦しみ」なのでしょう。開票の再確認は権利なので是と思いますが、行きすぎた行動は台湾の国際的な地位の低下につながります。日本のマスコミも微妙な変化を見せています。あくまで一例ですが、連宋が問題視した「児童の投票」シーンですが、あのテレビ朝日のニュースステーションが「私は目が悪いので、孫にやってもらった」と孫娘と手をつないで証言しているのを放映、連宋の行動に疑問を投げかけたのに対し、フジテレビは投票シーンだけを放映、「民進党は『白内障のお年寄りに代わって投票した』と弁明している」と伝え、疑惑があることを強調していました。

住民投票の結果の報道については、その制度や分母の違いを解説することなく単に「45 % に止まり、不成立」と伝えています。項番1については陳呂の得票数を上回る賛成票があったことはどこも(私の知る範囲では) 伝えていません。とはいえ、陳呂は「勝利」を得ましたが、住民投票が半数に達しなかったのは大変痛手です。また、有効得票の50.1% は得ましたが、有権者全体を分母にすると約40% しか支持を得られなかった訳です。兜の緒を締めるのは当然、年末の立法院選挙に向って一層努力されることを期待しています。