【自由時報①】傳中國曾對京大施壓

據傳中國有關方面曾對京都大學施壓,要求京大不應讓李登輝前來,同時也傳出中方曾策動京大的中國留學生對李登輝來訪做一些表示抗議的「配合動作」。李登輝預定在三十一日上午前往母校京都大學農學院參觀,同時也拜訪已經闊別六十年的九十八歲高齡恩師柏祐賢。

據未證實的消息指出,中國有關方面曾對日本外務省與京都大學當局進行運作,要求拒絶李登輝的到訪,同時也策動京大的中國留學生與親中學生做一些「動作」表示抗議,隨李登輝一起觀光的人士説,這次李登輝非常「配合」日本政府的要求,中國應該不會再製造不合理的動作。

李登輝是戰後五十九年來首度重返京都大學,他由名古屋乘新幹線到京都也是第一次。

三十一日上午李登輝還要到銀閣寺參觀,下午轉往琵琶湖。

【自由時報②】恩師病中猶念 李登輝今親訪

李登輝前總統今天將專程赴京都拜會已高齡九十八歳的恩師柏祐賢,安排二人會面的京都大學校友會長王輝生博士昨天透露,柏祐賢對於過去無法具體協助李登輝赴日感到很遺憾,日前曾感性地説,一旦自己過世,説不定將訃聞寄給李登輝,會對李赴日有實質幇助。李登輝獲悉後非常感動,不畏寒冬堅持要赴京都探視恩師。

年事已高的柏祐賢,曾親筆書寫「李登輝先生 三十一日我在等你柏祐賢 十二月十九日」,以示對李登輝到訪的期待。

柏祐賢目前行動不便,加上疾病纏身,平日由兒子照料起居。他的住所距離京都著名的哲學之道僅有五十公尺,李登輝預定今天登門拜訪恩師。

據了解,身為京都大學校友,李登輝這次的京都回憶之旅,發現當年京都大學農經系教過他的老師,只有柏祐賢還健在,師生二人闊別一甲子,將於今天重逢。

王輝生表示,李登輝原本不知道柏祐賢還在人間,三年前經他向李登輝報告,李很高興恩師還健在,其後就囑咐他夏天送芒果、冬天送橘子給恩師。

經常探視柏祐賢的王輝生説,行動不便的柏祐賢平日不喜歡受到打擾,加上住宅不大,為此李登輝原本提議在飯店與恩師會面,經過交渉,李登輝仍表達親自拜會恩師的殷切期望,柏祐賢家人還為此慎重地召開家族會議。

十二月十九日,王輝生探視柏祐賢時,柏祐賢有感於自己可能不久於人世,提及對於過去無法協助李登輝赴日感到很遺憾,一旦自己過世,説不定訃聞寄給李登輝,會對李赴日有實質幇助;柏祐賢還説,一定會撐到今天的會面。聽到這一席話,王輝生感動地流涙,「安排這二位老人家會面,是我當前最大的心願。」王輝生如是説。

他不諱言,時値日本的寒冬,根本不適合旅行,但李登輝這趟來京都,就是為了來看恩師,二位老人家約六十年不曾見面,彼此對今天的會面都很期待,為此柏祐賢已準備好,要把他二十九本著作全都送給李登輝。

【自由時報③】李前總統前天來到有「北陸小京都」稱號的金澤,由於金澤當地出了許多名人,他向大家表示:「這是一個好地方」。

有趣的是,原本在金澤兼六園、和倉温泉等地均下雨,等到李前總統將到和倉温泉之前,天氣突然轉晴,天空蔚藍,當地人加賀谷治子就不可置信地向記者表示:「和倉温泉的冬天很難有這樣的蔚藍天氣,是不是也知道有台灣名人到來,所以特別放晴歡迎?」

翌日,和倉温泉一帶竟然下了今冬第一場瑞雪,又讓當地人一陣驚喜,因為今年入冬以來一直都未下雪,讓他們非常擔心。李前總統下榻的加賀屋旅館本部長鳥本政雄說:「李前總統真是一位貴人,為當地帶來今冬第一場瑞雪,實在是一個好吉兆。」

【自由時報④】李自述:深受西田哲學影響

前台灣總統李登輝三十日上午離開石川縣和倉温泉,在瑞雪紛飛的天候下前往「西田幾多郎紀念哲學館」參觀,同時到西田的墓前獻花默禱,隨後驅車前往八田與一故居,與八田的後代歡談。

李登輝表示,最近幾年來八田與一對台灣的貢獻終於被台灣人所知道。李登輝在西田幾多郎紀念哲學館大約停留兩個小時,紀念館館長大橋良介陪同參觀,大橋良介轉述,李登輝在參觀時表示,西田幾多郎所創立的「西田哲學」對他一生的信念發生很大的影響。

李登輝表示,他在學生時代讀到西田的書後對「西田哲學」發生興趣,他希望能把「西田哲學」介紹給所有台灣人。

大橋良介説,他覺得李登輝是最憧得「西田哲學」的政治家,李登輝理解很多西田哲學精髓,他也提到生與死是人生最重要的部分,這一點讓他感到驚訝與佩服。

一九四五年以七十五歳過世的西田幾多郎是日本以非西洋的思考建立「西田哲學」的世界性學術地位,「自覺」與「場所」為西田哲學的精髓,日本全國仰慕西田哲學的大師曾集中在京都大學,成立了「京都學派」。

下午兩點前,李登輝抵達八田與一的故居,八田與一的長兄之孫八田守夫妻與當地國際獅子會會員在門口迎接,李登輝與夫人到達時瑞雪紛飛,在場記者問李登輝會不會冷,李登輝回答「以前就非常習慣了」,隨後又説「這樣的雪還算是小的」。

據轉述,李登輝在屋内曾對八田守表示,他去年曾計畫到慶應大學演講是以八田與一對台灣的貢獻為主要内容,但因故無法成行,不過還好最近幾年台灣人慢慢已經知道八田與一對台灣農業的貢獻,李登輝對八田守表示「還會再來」。

八田與一曾在日據時代前往台灣,建設合計一萬六千公里的農業用水路,使嘉南平原成為台灣最大的穀倉。一八八六年出生於金澤市的八田與一,過世時才五十六歳,他的一生幾乎全部在台灣度過。

李登輝也對八田守表示,「為什麼金澤會出了那麼多的優秀的人才」?

今天下午李登輝搭乘「白鷺十二號」電車再度回到名古屋市,在電車上李登輝表示,這次到日本「有很多新發現」。

【台湾日報①】李登輝:效《西田哲學》台灣應與世界連結

昨晩宴請八田與一長子伉儷今返母校京大拜會恩師傳中國留學生將到場抗議李登輝前總統昨天造訪他相當景仰的日本的哲學家西田幾多郎紀念館,李登輝透過友人彭榮次表示,西吉最重視的是思考,以「場所」為中心思想,他結合佛學與哲學,思考自我及自己以外的宇宙世界,把格局弄大,台灣應該學習西田哲學,多看看外面世界並將台灣與世界連結起來;李登輝強調,他受到西田紀念館很大的?示,回台灣後,希望找?的人推廣深奧的哲學,讓它變成一般民眾也可以了解的學問。西田紀念館名譽館長、也是大阪大學教授大橋良介接受媒體採訪時表示,他接待過許多名人,很少人像李前總統一樣如此透徹了解西田幾多郎的哲學思想者,在政界有前首相中曾根康弘、德國前總理等,但能將東方傳統與西方思想融合在一起且了解的如此深刻的,只有李登輝先生,令人大開眼界。

李登輝前總統昨天參觀學生時代的啟蒙哲學家西田幾多郎紀念館、下午親自登拜訪八田與一的姪孫八田守夫婦,昨天金澤市下大雪,雪花片片飄落地上,天候酷寒,來自南國的台灣媒體不適應酷寒天候直打喷嚏,但看到雪片紛飛卻也把握機會在雪中做連線;?上,李前總統伉儷在名古屋下榻飯店宴請八田與一長子伉儷,他也是一名工程師,今年八十三歲;李前總統重視哲學,他今天在京都市的行程就有清水寺附近哲學家之路,同時,拜會九十八歲老師柏佑賢。

李登輝此行重頭戲是返回母校京都大學,李前總統友人彭榮次表示,京都大學已確定不會對這位校友有任何接待活動,但李前總統堅持回母校回憶學生時代種種,倘京都大學不讓李登輝的隨行警察進入校園,李可能過門不入。盛傳,今天有中國留學生會到京都大學向李登輝抗議,引起重視。

彭榮次表示,李前總統在京都大學時代就被西田的理念所吸引,他看到紀念館將西田深奧的哲學理論用各種軟硬體設備,以淺顯易?方式介紹給一般民眾,深為傾心,李前總統說,這次看了以後有新的心得。李前總統認為,台灣應該學習西田哲學把格局放大,除看重自己外,也要與世界連結。

李登輝前總統伉儷昨天到素有「嘉南大圳之父」之稱的八田與一家族拜會,由八田與一姪孫八田守夫婦接待,他開頭說,下雪很冷!坐榻榻米習慣嗎?

李前總統說,他在美國時,有時天氣比金澤更冷,但他已經將近六十年沒坐榻榻米了,他感念八田與一對台灣農業的貢獻,特別在八家族佛堂前深深凝望八田與一遺照,並說,有機會會再來。

彭榮次轉述李前總統話說,很多台灣人都感謝八田與一,因為他為台灣農業造貢獻很大;而擔任公務人員的八田守接待李前總統時表示,八田與一的墳墓在台灣受你們照顧了,很感謝台灣人民,他自己每年都會去台灣。

【台湾日報②】阿輝伯探尋哲學之路

李登輝前總統是台灣少數具有哲家思想的政治家,他的「啟蒙老師」不是德國人就是日本人,哥德的「浮士德」、卡萊兒的「衣裳哲學」,鈴木大拙「禪與日本」及西田幾多郎的「在自覺中的直觀與反省」與「善的研究」,開說大學時代岩里政男的哲學之路;八十三歲的李登輝,親炙學學生時代的啟蒙老師,豐富的「心靈之旅」非筆墨所能形容。

李前總統相當重視這趟回憶之旅,他回憶往事分兩個層次,一是單純拜會故人後代及回憶過往事物,第二是跨越時空找尋精神層面的泉源,李登輝在西田幾多郎紀念館不但找到年輕時代的思想?發之源,經由實地探尋體驗,他哲學思想層次再昇華。李登輝發現金澤市這個小城鎮,竟聘請世界頂尖建築師安滕忠雄設計西田紀念館,而且投入?大資金蓋一座哲學家紀念館,老人家在大雪紛飛的中午,與一群人邊吃三明治邊與大阪大學教授大橋良介暢談屬「京都學派」的西田哲學,這位日本思想界的導師,若知近六十年後,有一位總統級政治家對他如此崇仰並對他思想體系深刻理解,應該會感到光榮。

西田幾多郎,1870年生、1945年歿,他本人並不重視學問,讀完第四高等學校就休學,並到東京大學選修學分,後來到德國並深入研究黑格爾哲學,1926年發表「場所」論文,回到京都教哲學,形成京都學派,他除了是著名的哲學家外,也會做和歌,喜愛和歌的夫人曾文惠及李前總統知道後,都深感驚奇,不斷?出,收穫良多,有新的心得。

【Taipei Times】China seeks to punish Japan over Lee visit

Beijing warned that Japan might be barred from participating in a major high speed railway project in China shortly after former president Lee Teng-hui (李登輝) began a weeklong trip to Japan earlier this week, a Chinese-language newspaper reported yesterday.Chinese Vice Foreign Minister Wu Dawei (武大偉) told a visiting delegation of Japanese Diet members on Tuesday that Beijing found it difficult to let Japan join the construction of the Beijing-Shanghai High Speed Railway as a result of worsening bilateral ties, according to a local evening paper.Praising the high quality of the Shinkansen, or Japanese bullet train, Wu nevertheless said Beijing might have to exclude Japan from the Beijing-Shanghai railway project, which Japan, Germany and France have competed for fiercely over the past few years.

“We are facing high anti-Japan sentiment in China. If our government adopts the Shinkansen technique in the railway project, people would have [negative] opinions,” Wu said.Xu Jialu (許嘉璐), vice chairman of the National People’s Congress’ Standing Committee, told the Diet members the same thing at a separate meeting.

“The current relations between China and Japan make it hard for us to adopt the Shinkansen technique in building the Beijing-Shanghai High Speed Railway,” Xu said.

Beijing’s warning to Japan over the railway project, which came a day after Lee arrived in the Japanese city of Nagoya Monday, is viewed as retaliation against Japan’s decision to issue Lee a visa despite China’s repeated protests.Calling Lee a mastermind of Taiwan’s “independence forces,” a Chinese foreign ministry spokesman said before Lee’s trip that Beijing might retaliate against Tokyo if it allowed Lee’s visit.On Wednesday, Lee and his family traveled by train from Nagoya to Kanazawa, a historic castle town by the Sea of Japan. He visited a museum in honor of prestigious local figures and suggested that the museum should display more documents and items related to Yoichi Hatta, an engineer from Kanazawa who led a huge farm irrigation project in Taiwan when it was under Japanese rule from 1895 to 1945, Japanese media reported.

Later in the day, Lee met Ohi Chozaemon, a 77-year-old traditional ceramic artist, and made a ceramic mug for his good friend Tokyo Governor Shintaro Ishihara. According to media reports, Lee wrote the Chinese character “Sincerity” (誠) on the mug and signed his name next to it.

Lee and his family toured downtown Kanazawa yesterday morning and returned to Nagoya in the afternoon.

Lee is scheduled to visit another ancient city, Kyoto in western Japan, before flying back to Taipei from Osaka on Sunday.

【産経新聞】

日本大使館前で抗議行動20041231-01

台湾の李登輝前総統の訪日とチベット仏教の精神的指導者、ダライ・ラマ十四世の訪日計画をめぐり、北京の日本大使館前で三十日、約五十人の中国人グループが日本語で「日本はならず国家」と非難する横断幕を掲げて、日本政府と小泉純一郎首相に対する抗議文を読み上げたほか、李前総統を皮肉ったポスターを焼くなどの抗議活動を行った。

【AFP】李前総統訪日などに抗議のデモ20041231-02

北京の日本大使館前で、反日や反台湾独立の横断幕を掲げるデモ隊。日本政府が台湾の李登輝総統の訪日を受け入れたことなどに抗議(30日、北京)。

【共同通信①】李前台湾総統、西田幾多郎記念哲学館など見学

来日中の李登輝台湾前総統(81)は30日、石川県かほく市の西田幾多郎記念哲学館を見学、自身が敬愛する哲学者の1人である西田幾多郎に思いをはせた。学生時代の愛読書の1冊に「善の研究」を挙げるほど西田哲学にひかれている李氏。収蔵されている机や直筆の書などに見入り、関係者の説明に相づちを打ちながら真剣に聞き入っていた。

李氏はまた、日本統治時代の台湾で大規模な水利施設整備に貢献し、「台湾の恩人」ともいえる故八田与一氏の生家(金沢市)も訪問し、八田氏の親せきと面会した。

この後、李氏は金沢から特急列車で名古屋に戻った。31日は新幹線で京都に向かう。

【毎日①】李登輝・台湾前総統が訪県、兼六園や西田記念哲学館を見学/石川

日本を観光旅行中の台湾の李登輝前総統(81)が29、30の両日、石川県内を訪れた。

李氏は、戦前、台湾で大規模なかんがい施設を建設した金沢市出身の技師、八田与一(1886~1942)、かほく市出身の哲学者、西田幾多郎(1870~1945)、金沢市出身の仏教哲学者、鈴木大拙(1870~1966)らを敬愛し、3人の出身地である石川県の訪問を望んでいたという。

29日は八田、鈴木に関する展示がある「ふるさと偉人館」(金沢市)を見学。兼六園も訪れたあと、七尾市の和倉温泉に宿泊した。

30日には「西田幾多郎記念哲学館」(かほく市)などを見学し、午後、JRで名古屋に向かった。李氏は残る滞在期間中、京都、琵琶湖(滋賀県)を訪れ、1月2日に関西空港から台湾に戻る予定。

【北國新聞】墓前や生家で遺徳しのぶ 台湾・李登輝前総統 県内で

西田、八田氏の足跡たどる石川県を旅行中の台湾の李登輝前総統(81)は30日、かほく市の県西田幾多郎記念哲学館、金沢市出身で「台湾のダムの父」と呼ばれる八田與一技師の生家を訪れ、敬愛する西田、八田両氏のゆかりの地で足跡をたどり、感慨を新たにした。

記念哲学館では、李氏は特別企画展「禅を知る」(北國新聞社後援)を見学し、禅の魅力に触れた。西田哲学の「場所の論理」や西田氏の経歴などに興味を示し、展示品に見入った。西田氏の墓参りも行い遺徳をしのんだ。

関係者によると、李氏は、西田哲学を支える地元の熱意や、哲学に親しみ思索体験も楽しめる哲学館の魅力に感銘を受けた様子で、台湾でも哲学を分かりやすく伝える意欲を示したという。

金沢市今町にある八田技師の生家では、技師の兄の孫、八田守さん(55)、章子さん(52)夫妻らが出迎えた。李氏は家の中に入ると、仏壇の前で会釈し、技師夫妻の遺影を感慨深げに眺めたという。帰り際、守さんが「また金沢においでください」と声を掛けると、李氏は「機会があれば、また来る」と答えた。

この後、李氏はJR金沢駅から特急列車で名古屋へ向かった。

【共同通信②】「新幹線」カードでけん制 靖国参拝にらみ中国

台湾の李登輝前総統の日本訪問が続く中、中国が小泉純一郎首相の靖国神社参拝を理由に「日本からの新幹線技術導入の見送りもあり得る」との姿勢を鮮明に打ち出してきた。

日中関係は政治問題で冷え込んでも経済交流は活発だとして、しばしば「政冷経熱」と言い表されてきた。経済交流の象徴と言える新幹線への影響にまで言及することで、小泉首相に圧力をかける狙いがありそうだ。

「私は高い新幹線技術を持つ日本を応援したい。しかしインターネットへの書き込みを見ると、99%が小泉首相の靖国参拝を理由に猛反対しており、難しい」

12月28日、中国の許嘉璐・全国人民代表大会常務副委員長(国会副議長)は、会談した日本の超党派議員にこう説明した。

【人民日報(電子日文版)】「具体的事柄一つから中日関係を判断しない」外交部

外交部の劉建超報道官は30日の記者会見で、記者からの質問に対して次のように答えた。李登輝氏の訪日からすでに3日がたつ。中国は、李登輝氏が日本で問題のある行動を取ったかどうか気づいたか。日本に対する中国の態度は最近比較的冷静だが、中国の対日政策に変化があったのか。

あなた(記者)が挙げた一つ目の問題については、李登輝氏が日本で活動することを日本政府が許可したこと自体が最大の問題であり、深刻な誤りでもある。われわれは事態の進展を強く注視する。われわれは日本に対し、承諾事項を実行し、李登輝氏がいかなる政治活動に従事することも許さず、対策を講じて李登輝氏訪日許可による悪影響を取り除くよう求める。

二つ目の問題については、中国の対日政策は一貫したものであり、つまりわれわれは「歴史を鑑(かがみ)として未来に向かう」の原則に基づいて、日本との善隣友好関係と長期的に安定した関係を発展させることを望む。この立場は決して変化していない。しかし、中日間には確かにいくつかの問題がある。あなたは先ほど、中国の対日政策に冷静さが見られると指摘した。私は、中国はこれまでずっと非常に冷静であり、中日関係に非常に慎重に対応し、処理を行っていると思う。われわれは完全に、中日関係の友好を守るという大局から、そして中国と日本の地域協力強化という角度から中日関係に対応し、処理を行っている。この政策には長期性と安定性があり、われわれは中日関係を具体的な時間や事柄の一つ一つから判断・処理を行っているのではない。日本が実際の行動で中日関係改善の条件を整えることを希望する。

【読売】厳しい取材規制、李登輝氏“沈黙”の日本行脚

27日から訪日中の李登輝・台湾前総統には、約50人の台湾メディアが“同行”。ほぼ同数の邦人記者、さらには数十人の警護が従い、移動はまるで大名行列だ。だが、記者たちの問いかけに李氏が立ち止まって応じることはほとんどない。訪問先の名古屋城や兼六園(金沢市)では、李氏の肉声を伝えようと近づく女性リポーターやカメラマンが警護に突き返され、もみ合いになる光景が幾度となく繰り広げられている。こうした厳しい取材規制に台湾紙記者は、「2001年の前回の訪日ではこれほど厳しくなかった」と不満を口にする。

報道機関に取材自粛を要望した日本政府と同様に、台湾当局も報道対策に動いている。日台関係筋によると、台湾側の窓口機関である台北駐日経済文化代表処から、李氏側に報道機関に対し取材自粛を求めるよう要請があったという。

李氏の訪日が許されたことで事実上の目標を果たした台湾にとっては、問題をこじらせない方が得策。そして、「台湾独立派の総代表」と見なす李氏の訪日に怒りを隠さない中国政府。ビザを発給したものの日中関係のこれ以上の悪化は避けたい日本――三者の思惑を背景に“李登輝台風”は2日まで静かに日本を回る。

【毎日②】李登輝・台湾前総統が訪県、兼六園や西田記念哲学館を見学 /石川

日本を観光旅行中の台湾の李登輝前総統(81)が29、30の両日、石川県内を訪れた。李氏は、戦前、台湾で大規模なかんがい施設を建設した金沢市出身の技師、八田与一(1886~1942)、かほく市出身の哲学者、西田幾多郎(1870~1945)、金沢市出身の仏教哲学者、鈴木大拙(1870~1966)らを敬愛し、3人の出身地である石川県の訪問を望んでいたという。

29日は八田、鈴木に関する展示がある「ふるさと偉人館」(金沢市)を見学。兼六園も訪れたあと、七尾市の和倉温泉に宿泊した。

30日には「西田幾多郎記念哲学館」(かほく市)などを見学し、午後、JRで名古屋に向かった。李氏は残る滞在期間中、京都、琵琶湖(滋賀県)を訪れ、1月2日に関西空港から台湾に戻る予定。

【共同通信③】李氏、京都で恩師と再会 「会えてよかった」と笑顔

20041231-03

来日中の台湾の李登輝前総統(81)は31日京都入りし、母校京大の恩師と再会した。

日本の台湾統治時代、京大農学部に留学していた李氏は、当時助教授だった柏祐賢・京大名誉教授(97)と61年ぶりに再会。李氏は柏氏が「もういっぺん会えるとは思わなかった」と言葉をかけるとほほ笑んだ。会談後に「(京大時代の先生で)生きているのは柏先生だけ。会えてよかった」と話した。柏氏の家族によると、2人は李氏の学生時代のことや、同行している家族を紹介するなどして約30分間、談笑した。

李氏はこの日朝、初めて新幹線に乗車。車窓から降雪のためすっかり雪化粧した風景を楽しんでいた。名古屋から京都に到着後、かつて通った京大農学部のキャンパスを見学。「みんな変わった」と感想を述べた。当初、京大本部にも訪れたいとしていたが、警備上の問題で断念した。

その後、雪が降り積もる銀閣寺を訪問。2005年の抱負について「台湾のアイデンティティーを強化しなければならない。台湾の変化の時期ではないか」と話した。

20041231-04

20041231-05

「学生の時も大きな男だと思っていたが、こんなに立派になって…」。雪の京都市で31日、台湾の李登輝前総統(81)と再会した恩師、柏祐賢・京大名誉教授(97)は、台湾で頂点に登り詰めた教え子をまぶしそうに見詰めた。

京都入りした李氏は銀閣寺などを訪れた後、曽文恵夫人(78)らと、京都大時代に中国経済を教えられた柏氏の自宅を訪問。居間のソファに並んで座り、61年ぶりの再会を喜び合った。小柄な柏氏をいたわるように李氏が体を寄せ約30分間、笑顔で思い出などを語り続けた。柏氏は著作集を、李氏は陶器などを贈り、李氏は柏教授の孫が差し出した色紙には「誠実自然」とサインした。

両家族で記念写真を撮った後、柏氏は「100年たっても師弟は師弟。いまだに先生と言ってくれるのはありがたい」と話した。

【京都新聞】李氏が京都入り、恩師と再会 雪の銀閣寺など訪問20041231-06

来日中の台湾前総統の李登輝氏(81)が31日、京都市を訪れた。銀閣寺(左京区)などで観光を楽しんだり、かつて学んだ京都大農学部時代の恩師と旧交を温めた。

李氏は午前9時半ごろ、妻や孫娘らと新幹線で名古屋から京都入り。待ちかまえた京都在住の台湾出身者や台湾人留学生らが「ようこそ京都へ」などの横断幕を掲げ、歓迎した。

李氏らは京都左京区の京大農学部キャンパスや銀閣寺を訪問。銀閣寺では「京都は寒いね」と話しながら、本堂前の庭に広がる雪景色に満足げな様子だった。この後、京大時代に指導を受けた柏祐賢京大名誉教授宅=左京区=を訪問し、約1時間懇談した。

20041231-07李氏ら一行は31日は滋賀県湖北町に宿泊。1日は京都市内に滞在し2日に台湾に帰る予定。