12月23日、「平成17年 日台共栄の夕べ」を開催したところ、日台交流に尽力する関係者の方々が多数ご参集いただきました。暮のお忙しいところ有難うございました。この場を借りて御礼申し上げます。昨日のメールマガジン「台湾の声」がその模様を掲載していますのでご紹介します。ただし、編集部で少々手を加えさせていただいています。
李登輝前総統を関西空港にお見送りしたことから始まった本年でしたが、この「日台共栄の夕べ」で今年の本会の催しはすべて滞りなく終了いたしました。
平成14年12月15日、ホテルオークラにて日本李登輝友の会の設立大会を開いて以来、丸3年。ようやく李登輝前総統の来日が実現され、日本の台湾政策も安全保障を中軸にその輪郭を鮮明にしつつあります。また、今年は台湾からの観光客に対するノービザも実現され、台湾との現実的な距離も縮まった感がいたします。
しかし、私どもが描く「日台共栄」の世界にはまだまだほど遠い現実です。中学校の社会科地図帳問題で明らかになりましたように、日中共同声明で日本が台湾を中国の一部だと承認したというような認識がいまだにまかり通っているのが現実です。最近も、社会ばかりではなく国語教科書に掲載されている地図も台湾が中国領とされているというご指摘や、国立天文台の資料の中で、台湾の「玉山」を中国の領土とする記述がなされているとのご指摘もいただいています。
この地図問題一事をとってもその広がりと根深さに驚かされますが、このような日本の歪んだ台湾認識を正してゆくと同時に、台湾への桜寄贈などの文化交流をもっともっとさかんにしていきたいというのが私どもの願いです。
一方、台湾の本土化、すなわち民主化路線は今後も変わらないだろうと思います。しかし日本と同様、歴史認識問題(アイデンティティ問題)や1946年憲法問題を抱えています。中国の身勝手な論理による併呑の危機にも晒されています。
私どもはまだまだ微力ではありますが、心ある皆様方のご支援を仰ぎつつ、ともに日本のため、台湾のために、力を尽くしたいと考えていますので、一層のご協力をお願いいたします。
メールマガジン『日台共栄』編集長・柚原正敬
天皇誕生日であった昨晩、日本李登輝友の会主催「平成17年日台共栄の夕べ」が池袋のメトロポリタンホテルで行われ、約200名が集まった。第2部は李登輝先生の来年の来日を期待しつつの和やかな忘年会となった。
第1部の開会挨拶をした小田村四郎会長は、台湾の地方選挙に触れ、「台湾アイデンティティを確立して、独立国家としての体制を名実ともに示して欲しい」と台湾に呼びかけた。
「世界の運命を決する台湾問題」という題で講演した岡崎久彦副会長(岡崎研究所所長)は、台湾を巡る米中関係が世界史を決めるが、その鍵が、日本の集団的自衛権という詰まらない話であると語った。日本は過去30年、集団的自衛権を行使できないという奇妙な立場をとっているために、無能力者として近隣諸国の信頼を勝ち取れず、逆にアジア各国の中国よりの姿勢をもたらしている。その結果が、日本の安全保障委員会常任理事国入りの共同提案者で、日本に一番近い国がキリバスだという結果を招き、常任理事国入りの失敗につながっているという見方を示した。深い海を持つ台湾が中国に取られれば、東南アジアの交通網が中国に押さえられ、東南アジアが中国にコントロールされるようになる。ここで、集団的自衛権が行使できるとなれば、台湾海峡は一気に安定する。昔は社会党が予算を楯にとって、この奇妙な政府見解の確認を要求していたが、今は、そのような抵抗がない。遅きに失したので外交的には大変だろうが、やるしかない、と政府に決断を迫った。
第1部閉会の挨拶に立った林建良常務理事は、台湾地方選挙の敗因の一つは、日米が圧力を掛け台湾人の自信を喪失させたためだったとして、バランスをとるために、日本政府が「台湾の将来は台湾人が決めるべきだ」と明言する必要があると訴え、会場から大きな支持を得た。
第2部大講演会では、南部利昭宮司や園田天光光育桜会理事長のスピーチがあった。乾杯の挨拶に立った日本国際青年文化協会会長の中條高徳会長が、中国による個人攻撃を受けた経験を語り、「中国に備えなければならないのは台湾だけでなく日本だ」と日本社会の覚醒を呼びかけた。また『Willl』(WAC出版)2月号で、李登輝先生の「中国はガン細胞」という論文が掲載されると紹介した。
その後、来賓挨拶として、台南県などとの交流を推進している宮本陸・石川県議会議員、李登輝氏の来日歓迎を進めている相澤光哉・宮城県会議員、このほど都議会自民党に日台議連を作った高木啓・東京都議会議員が登壇し、それぞれが日台問題への取り組みへの抱負を力強く表明した。
続いて事務局から柚原正敬事務局長が、桜募金と社会科地図問題に関する会の取り組みの経緯と今後の計画を述べ、参加者に協力を呼びかけた。そして永山英樹理事が、日本時代の「嘉義郡役所」建築の保存運動や、烏来の高砂義勇隊記念碑の移設工事の現況報告を行い、こうした台湾での動きへの引き続きの協力を訴えた。
今回初めて、くじ引き抽選会が行われ、青森から参加した中西さんと、父親が台湾製糖創業関係者であるという男性に特賞が当たり、本土化を進めているというチャイナエアラインから航空券が贈られた。一等の「芯のない」台湾産パイナップルは池栄青果から贈られた。
また、李登輝学校研修団卒業生が壇上でリードし、李登輝先生賛歌「阿輝伯(アフイペ)」を、全員で合唱した。
李登輝学校研修団の報告で登壇した石川公弘団長は、日本からの卒業生が1000人を超えれば日本も良くなると、李登輝学校への期待を語った。
閉会の挨拶に立った黄文雄常務理事は、台湾という21世紀最大の問題を共に考えて行きたい、と訴え、最後は片木裕一理事の先導の下、参加者による「日台共栄万歳」の三唱で締めくくられた。
今年もさまざまな年齢層の人々が参加し大変な賑わいだったが、それでも会場でつねに一体感のようなものが感じられたのは、「日本と台湾のため」という共通の情熱をみなが持っているからだろう。(12月24日付・メールマガジン『台湾の声』より転載)