撤去理由の変更に見る中国国民党の本質
1週間で撤去せよという台北県長の命令が出てから紛糾していた高砂義勇隊慰霊碑撤去問題は、昨日、記念碑を存続させることで決着した。
しかし、周囲にあった日本語の石碑は撤去され、李登輝前総統が揮毫された「霊安故郷」の碑文はベニヤ板で覆われ、なんとも無残な姿となった。この碑文は今後、専門家の見解を参考に県と協会で対応を検討するという。
それにしても台北県政府の横暴ぶりは、日本人の目から見ていると、農民の土地を力ずくで取り上げる中国の地方政府の遣り口を思い出させて余りあるものだった。また、日本のものは全て気に入らないという理由で、日本時代の石碑や燈籠などが全て破壊され、イス代わりに放置されている光景を思い出した人がいたかもしれない。
あるいは、台北市士林区内の芝山公園に建立されている伊藤博文首相揮毫の「学務官僚遭難之碑」は、今でこそ隆々と聳え立っているが、国民党時代には横倒しにされ、六士先生のお墓も何者かによって傷つけられていた光景を思い出した人も少なくなかったのではないだろうか。
台北県政府の今回の措置には法治精神のかけらも見られなかった。それは、撤去理由が変わったことによく現れている。突如、2月17日に撤去を発表した台北県政府は、同県の烏来風景区管理所が昨年10月に台北県高砂義勇隊紀念協会に記念碑建立を許可した際、既定通り建設局への報告がなかったとして、当初は「行政手続き上のミス」を理由としていた。
ところが、国民党の周錫瑋県長は19日になって、記念碑が「軍国主義思想の礼賛だ」と批判し、1週間以内に撤去するよう改めて指示する。また23日になると「問題は慰霊碑の建立ではなく、碑文が日本語で書かれ、『大和魂』『天皇への忠誠』など不適切な文言を用いているためである」と表明し、明らかに撤去理由が変わってきている。
これは、高金素梅立法委員(国会議員)が台北県政府に詰め寄って高砂義勇隊慰霊碑を「軍国主義的だ」と批判しつつも、慰霊碑を新たに建立するという表明に配慮したものと見られ、慰霊碑そのものの問題から、碑文の内容に問題を摩り替えたのである。
すでに「台湾の声」でも指摘しているように、碑文の日本語は慰霊の文言である。当時の高砂義勇隊員は日本人だったのだから、慰霊の言葉としてはもっとも適したものといってよい。それで1992年11月に建立して以来14年間、誰も文句をつけなかった。抗議もなかった。それ故、日本人も日台交流のシンボルとして慰霊参拝に行くようになった。
しかし、昨年12月の県長選挙で、反日家の馬英九・台北市長を後楯とする親中派の外省人(中国出身者)周錫瑋氏が民進党に代わり県長に就任したことで、事態は一変した。
周県長としては、自分が管轄する台北県に日本語で書かれた碑文や親日家の李登輝前総統が揮毫された碑文の建立されていること自体、我慢がならなかったのだろう。本来ならば、慰霊碑をはじめ全てを撤去したかったはずだ。残しておいては反日・親中派のメンツが立たない。
しかし、原住民から支持を得ている高金素梅議員のメンツも立てなければならない。台湾国内や日本からの抗議も影響していたのかもしれない。振り上げた拳の落としどころは碑文の文言となった。撤去理由の変更は、そのことを明らかに示している。
それにしても、今回の撤去事件は、中国国民党の本質を露呈する典型的な事例だろう。今まで包み隠していた化けの皮ははがれた。世界一の親日国・台湾はすでにない。
本会メールマガジン『日台共栄』ですでに指摘したように、このような台湾にした責任の一端は日本にある。台湾政策を明確にしてこなかった日本に、大きな責任がある。
撤去問題はとりあえず一段落した。だが、高砂義勇隊慰霊碑の李登輝前総統が揮毫された碑文が今後どうなるのか、事態の推移を見守るとともに、ご支援ご協力いただいた方々にこの場を借りて深く御礼を申し上げたい。
日本李登輝友の会事務局長 柚原正敬
「高砂義勇兵」碑は存続 台湾が妥協案、残る8基は撤去
【台北=長谷川周人】台北市郊外の烏来郷に移設が完了した先住民出身「高砂義勇兵」の英霊記念碑が、台北県政府から撤去指示を受けた問題で、同県政府は二十四日、記念碑そのものは存続させ、残る「皇民」など日本語が入った石碑八基を撤去した。作業は設置者である地元の了承を得て行われ、存続の可否をめぐり一週間にわたって揺れたこの問題は、両者がぎりぎりの妥協案を見いだした形となった。
県政府は二十四日朝、担当者を現地に派遣して記念碑と石碑の一部を黒いビニールシートで覆い、同日中の撤去を改めて地元に指示した。地元側は反発したが、県政府建設局の蔡麗娟局長が昼前に説明に訪れ、午後から地元側と非公開の折衝に入った。
この結果、地元側は現在の敷地を県が「高砂義勇隊記念公園」とし、この中に記念碑を残すという県政府が提示した案に同意。記念碑側面に刻まれ、県政府が排除を求める「大和魂」などの日本語の文言や李登輝前総統の揮毫(きごう)は今後、専門家の見解を参考に双方で対応を検討するが、残る八基の石碑は撤去し、県政府が管轄する施設に保管された。
撤去された八基の石碑は、日本の遺族団体などが寄贈したもので、県政府は「天皇を称賛する誤った歴史認識が含まれている」(周錫瑋県長)とし、撤去を求めていた。
十四年前に建立された高さ約三メートルの記念碑とその他の石碑は二〇〇三年、敷地を提供してきた観光会社の倒産で存続の危機に陥った。だが窮状を報じた産経新聞の記事がきっかけで、読者らから義援金三千二百万円あまりが寄せられ、これを資金に地元が県政府関連機関の許可を得て今月八日、記念碑をそっくり県所有の公園内に移設する作業を完了させた。
ところが、最大野党、国民党寄りの台湾の有力紙が記念碑落成から九日後、同公園が「日本に占拠された」とする批判記事を掲載。これに連動するように反日派とされる先住民区選出の立法委員が、県政府に記念碑を撤去するよう迫った。
外省人(中国大陸出身)で国民党の周県長は十九日に現地を訪れ、碑文は「原住民に屈辱を与え、歴史を歪曲(わいきょく)するものだ」とし、一週間以内に記念碑を自主撤去するよう通告していた。
これに対して地元側は「十四年前からあった記念碑や石碑が、なぜ今さら問題視されるのか」(簡福原・台北県烏来郷高砂義勇隊記念協会理事長)と反発。記念碑は「高砂義勇兵」の歴史を刻んだ「入魂の碑」であり、「政治化されるのは納得できない」と存続を求めた。
一方、与党・民進党は「(日台の)異なる歴史観もお互いに尊重すべきで、一方的な県長の姿勢は政治の民主制を損なう」として、方針の撤回を要求。先住民問題を管轄する行政院(内閣)原住民族委員会も「原住民を擁護する立場から、県政府との仲介役を果たす用意がある」としていた。
今回の結果について、移設を行った記念協会の簡理事長は「碑を日台のきずなにしたいという日本からの善意を十分に生かせず、申し訳ない。(移設問題で)高砂族の歴史と民族としての思いに台湾中が注目し、記念碑だけは残すことができた」と話している。【産経新聞 2月25日】