10月9日に逝去された周英明先生のお通夜が14日夕、渋谷区内の代々幡斎場にてしめやかに執り行われました。

祭壇はたゆとう春の海のごとく一面菊の花で飾られ、その真ん中、目線よりかなり高いところに遺影が置かれ、周先生が静かに見渡しているような雰囲気でした。その遺影に300名を越える会葬者が白いバラの花を献花しました。その傍らに奥様の金美齢先生や喪主の周士甫(しほ)さんらお子さんたちが立って会葬者にご挨拶されるのでしたが、全員の方の献花が終わる7時半ころまで立たれておりました。

会葬者は産経新聞の住田社長や千野論説委員長、吉田前論説委員長、黄文雄さんや宗像隆幸さん、連根藤さん、廖建龍さん、何康夫さん、郭孫雪娥さんなど共に台湾独立運動を闘ってこられた方々、小田村四郎本会会長、岡崎久彦本会副会長など本会関係者、大学の関係者、そして台湾から駆けつけられた方など本当に大勢の方々が駆けつけられました。改めてご冥福をお祈りいたします。合掌。

■周英明(しゅう えいめい)先生
20061114-081933年(昭和8年)、福岡県八幡市に生まれる。1946年(同21年)、台湾に帰国。1956年(同31年)、台湾大学電気工学科卒、「歯を食いしばって兵役(空軍少尉)を終え」、1957年、台湾大学助手。1961年(同36年)、「激烈な競争を勝ち抜き」27歳にて日本文部省国費留学生として東京大学大学院修士課程に留学。同時に台湾独立運動に従事。

1964年、早稲田大学留学中の金美齢氏と結婚。1968年、東京大学大学院博士課程修了(工学博士、マイクロ波工学専攻)。1975年、台湾独立建国連盟日本本部委員長。月刊「台湾青年」発行人(孫明海)。東京理科大学講師、助教授、教授を経て、1996年、理工学研究科長、社団法人回路実装学会会長。

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2000年8月28日、40年ぶりに祖国・台湾の土を踏む。2001年1月、夫妻が歩んだ波瀾万丈の半生を振り返った金美齢氏との共著『日本よ、台湾よ 国を愛し、人を愛すること』(扶桑社)を発刊。2006年11月9日、大腸癌のため日本国にて逝去。

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毎年恒例の花見パーティで評論家・三宅久之氏と談笑(2003年4月3日・金美齢事務所にて)

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気の置けない知己に話は尽きず。右は俳優・池部良氏

各紙に掲載された訃報

・産経新聞(2006年11月11日付)

・共同通信(2006年11月10日付)

・台湾・中國時報(2006年11月13日付)

・台湾・中國時報(2006年11月14日付)