昨年末、台湾の李登輝前総統の講演を聞き、お会いする機会を得た。「自分の受けた日本の教育に誇りを持っている」という言葉に衝撃を受けた。学生時代、台湾で年配のタクシー運転手から「私たちの世代は皆日本語を話します」と話しかけられ、日本統治の名残かといたたまれなくなった経験があったからだ。
私はここで歴史問題に言及するつもりはない。教育現場の人間として、アジア有数のリーダーが「自分を作り上げたのは日本の教育」と言い切るそれが何だったのかを素直な心で見つめ、今の日本の教育に欠けたもの、今後の日本の教育に必要なものは何なのかを探ってみたいのだ。
李登輝氏のお話から私が感じたことは「私たちは戦後、教科書に墨を塗ると同時に、精神的な支柱となってきた『よきもの』まで封印してきてしまったのではないだろうか?そして、そのツケが積もり積もって現在の大人の社会問題、子供の教育問題に繋がっているのではないか?」ということだった。
この講演と氏の著書の中から、次世代に伝えたいと感じたことを3つシェアしたい。
1つ目は「名誉と恥」の意識である。
氏は幼いころ母親から絶えず「そんなことをすると人に笑われますよ」と言われたそうだ。「誰々にしかられる、罰せられる」という言い方をすれば子供は他律的になり、「見つからなければいい」といった方向に引きずられると危惧されている。政治家の不祥事、大企業の粉飾決算など大人世界のリーダーの腐敗、子供
のいじめも多くは「名誉と恥」の意識の欠如に起因しているのではないだろうか。
2つ目は「公」の心である。
氏の政治信念は「天下為公」(天下は公のため)であった。民主を根付かせるという大義のため自ら総統を退き、結果、政権は対立する党へ移った。「公」のため、党利を超えた決断だった。学生時代、京都大学で学んでいるときも米国留学中も「常に自分の勉強が台湾の人々の役に立つかどうか」という気持ちを忘れたことはなかった。
「私」を超えた「公」の志が原動力となり、自分を動かし人を動かし社会をよりよい方向へと導くのではないか。
3つ目は「死生観」である。
このところの子供の自殺の連鎖で「死」を話題にすることをタブー視する向きもあるが、死を見つめ、死を知ることによって「限りある生をどう生きるか」という問題意識を持つことができ、それが目先の出来事にとらわれず信念をもって生きることにつながるのではないだろうか。
昨年は混迷を極めた教育界だったが、新しい年は「人心不古」(いにしえの中に価値あるものとして永遠に残るものがある)という氏の言葉を心に刻み、私たちの先祖が残した「よきもの」にもう一度光を当てたい。
ここに述べたことは、私というつたないフィルターを通したものであり、言葉足らずな面も多い。『「武士道」解題』(小学館)や、講演の全文が掲載される「Voice」2月号(PHP研究所)を是非ご覧いただきたい。【2007年1月8日付・産経新聞より転載】