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日本は主導的役割を 台湾・李前総統が対中外交で

来日中の台湾前総統、李登輝氏(84)は3日、宮城県内でフジサンケイビジネスアイと会見し、安倍晋三政権の外交姿勢について「アジアで相対的に米国の影響力が、弱まる中で、日本は今後、中国以上にアジアの主導権を握る必要がある」と述べ、対中外交を軸に強いリーダーシップを発揮すべきだとの考えを示した。

対中進出を急ぐ日本の経済界を含め、「中国とケンカする必要はないが、(日本が)受け身になったらだめだ」と強調。さらに「(企業などが中国に持つ)既得権益を守ろうとする考え方は、10年前のもの。今、日本がぶつかっている環境の変化を考えるべきで、いかに中国に妥協させるかだ」とも話し、積極的に日本が役割を果たすよう、訴えた。

東北を家族とともに旅行中の李氏は、6日に東京に戻り、7日に都内のホテルで「2007年以後の世界情勢」と題する講演を行って、9日に台湾に戻る。(河崎真澄) 【フジサンケイ・ビジネスアイ】

【解説】共通課題『対話の場』に 日中韓外相会談 二国間懸案には触れず

東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3などの枠外で初めての定例開催を目指す日中韓外相会談が三日、韓国・済州島で開かれた背景には、歴史認識などの政治問題で対立する二国間会談とは別の形で貿易拡大や環境対策などに共通で取り組む「対話の場」を三カ国それぞれが模索していた事情がある。

麻生太郎外相と宋旻淳(ソン・ミンスン)外交通商相はこの日の日韓、日中韓の両会談を通じ、歴史認識問題は一切触れずに封印。中国の楊潔篪外相も、台湾の李登輝前総統の訪日問題を日程に影響させることなく日中会談に応じてみせた。

三カ国の外相はこの日、貿易や経済、環境分野での協力拡大のほか、都心に近い各空港間を相互に結ぶシャトル便の着実な開設や記者間交流の促進などでも一致。日本側は「今後も日中韓の前向きな協力を拡大していく」と説明した。

今回の会談は、日中の急速な関係改善を警戒する韓国側の思惑で実現した側面もある。三カ国は今後も「懸案事項はバイ(二国間会談)でやる」(日韓外交筋)との方針のもと、日中韓外相会談を北東アジアで共有する分野での協力の場に活用していくとみられる。【東京新聞】

奥の細道の旅で、松尾芭蕉が仙台城下に入ったのは1689(元禄2)年の陽暦6月20日だった。

<あやめ草足に結(むすば)ん草鞋(わらじ)の緒>。情趣あふれる句を残した。

「奥の細道ゆかりの地をたどってみたい」という長年の夢をかなえた台湾の李登輝前総統。菖蒲(しょうぶ)の季節には少し早いが、2日に宮城入りし、多賀城、塩釜、松島など名跡を駆け足で回った。

江戸の文人にとって旅先での見聞すべてが創作欲の源だった。その芭蕉の恋い焦がれたみちのくは李さんの目にどう映ったか。

きのう仙台での歓迎会で、「荒城の月」の合唱を静かに聞き入っていた李さん。「自然と調和した文化。その精神性を日本人はもっと大事にするべきだ」と繰り返し評した。

日本統治下、終戦の年まで日本人として生き、日本で学んだ。愛読書には新渡戸稲造の『武士道』を挙げる。第1回後藤新平賞を受けた際にはこう言った。「日本の教育のおかげで、私は肯定的な人生を見つけられた」。国際政治の現実や歴史観を超え、言葉が重みを持って響いてくる。

84歳。李さんのみちのくの旅は続く。【河北新報】

李前総統、平泉・中尊寺を訪問=後藤新平の生誕祭に参加
 
来日中の台湾の李登輝前総統は4日、松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの地である岩手県平泉町の中尊寺を訪れ、金色堂などを見学した。

李氏は中尊寺で案内者に時折質問をしながら、熱心に説明に聞き入っていた。拝観後、記者団に感想を聞かれ、「京都から離れた場所で、これだけ繁栄していたというのは大変なものだ」と語った。

李氏はその後、旧台湾総督府の民政長官を務めた後藤新平の記念館と生家も訪問。後藤の生誕150年記念祭にも飛び入り参加し、「後藤は100年先を見通した偉大な指導者だ。彼の努力によって台湾が大いに近代化された」などと功績をたたえた。【時事通信】

李前総統が本県入り 6日まで滞在予定、教養大の講義も
 
先月30日に来日し、松尾芭蕉の「奧の細道」ゆかりの地などを訪ねている台湾の李登輝前総統が4日夕、秋田新幹線こまちで本県入りした。李前総統が本県を訪れるのは初めて。

同行する中嶋嶺雄・国際教養大学長らとともに、仙北市のJR田沢湖駅に到着。元気な様子で迎えの車に乗り込み、市内の宿泊施設に向かった。ホームでは、20年にわたって台湾との交流を続けている田沢湖国際交流促進協議会のメンバーらが出迎えた。

5日は、同市角館町の武家屋敷通りや田沢湖地区などを訪問。6日は、にかほ市象潟町の蚶満寺を見学した後、秋田市河辺のプラザクリプトンで、同大の特別講義を行う予定。【秋田魁日報】

後藤新平生誕150年祝う 奥州・水沢

南満州鉄道初代総裁や東京市長などを務めた後藤新平(1857―1929年)の生誕150年に当たる4日、出身地岩手県奥州市で生誕祭が行われ、関係者や市民が、地域が生んだ偉人の功績や人柄を振り返った。

同市水沢区の後藤伯記念公民館で行われた式典には、市民ら約350人が出席した。「後藤新平の歌」の斉唱に続き、相原正明奥州市長が「後藤新平は次世代のために行動した。偉大な先人について、さらに学ぼう」とあいさつした。

「人のお世話にならぬよう」など、後藤が提唱した「自治三訣(けつ)」を奥州市水沢小の6年生約150人が唱和。東友希乃さん(11)は「式典に出席できたことで、先人の偉業に触れることができた気がする。同じ水沢区出身として誇りに思う」と話していた。

生誕祭では後藤が初代総長を務めたボーイスカウト日本連盟の鈴木国夫理事の記念講演も行われた。

◎李登輝氏も出席偉業をたたえる

奥州市水沢区で4日にあった後藤新平の生誕祭には、来日中の台湾の李登輝前総統も出席し、「台湾の近代化を導いてくれた」と、台湾総督府民政長官を務めた後藤をたたえた。

前総統は後藤新平の生誕150周年を記念して創設された「後藤新平賞」の初の受賞者となり、東京の授賞式出席のために来日。生誕祭では「いまの日本には、後藤新平のように100年先を見つめて行動する政治家が必要だ」とも語った。

前総統は後藤の生家を訪ねたほか、岩手県平泉町の中尊寺なども見学して回った。【河北新報】

台湾の李前総統、仙北市を訪問 「新緑の美しさが印象的」

20070604-014日から本県入りしている台湾の李登輝前総統は5日、仙北市角館町の武家屋敷通りや田沢湖などを訪れた。街や山々の新緑の美しさに触れ「山がしっかりと植林されて、青々としているのが印象的だった」などと感想を述べた。

李氏は夫人と孫、来日を招請した国際教養大の中嶋嶺雄学長らとともに同市内を回った。角館町では、樺細工伝承館と武家屋敷の岩橋家を見学。武家屋敷通りでは、道幅や屋敷が広く、整然とした街並みに感心した様子だった。

田沢湖町では、かたまえ山森林公園と飲水思源像を訪問。同公園から田沢湖や秋田駒ケ岳、乳頭山などを一望しながら、「山々がうらやましいほどきれい。台湾(の植林)ももう少し頑張らないと」と語った。同像は、田沢湖と台湾の澄清湖が昭和62年に姉妹湖提携した記念に、平成3年に台湾から贈られたもので、興味深げに見ていた。

李氏は6日、にかほ市象潟町の蚶満寺を見学した後、秋田市河辺のプラザクリプトンで国際教養大の特別講義を行い、同日夕に空路で東京に戻る。【秋田魁新報】

台聯:李登輝獲頒後藤新平獎是肯定他的努力

前總統府資政辜寬敏認為前總統李登輝不必也不適合去日本領「後藤新平獎」,台灣團結聯盟文宣部執行長蔣月琴今天表示,後藤新平獎旨在頒發給對國家社會有貢獻者,李登輝獲獎是肯定他主政十二年的努力,也肯定台灣人民的努力。

李登輝日前在日本東京國際文化會館接受首屆「後藤新平獎」,辜寬敏昨天表示,後藤新平雖然對台灣近代化非常有貢獻,但李登輝曾是台灣國家的元首,領取殖民地時代統治台灣者為名的獎項,仍然不適合。

蔣月琴上午表示,究竟是誰讓台灣變成殖民地?是李登輝嗎?或是其他人?台灣會變成殖民地有很複雜的歷史糾葛,辜寬敏提到不應該領取殖民地時代統治台灣者為名的獎項,究竟要清算誰?

此外,正在日本訪問的李登輝上午造訪中尊寺時,傳出遭中國大陸打壓,貶低接待規格,李登輝得自行買票進場。蔣月琴表示,李登輝是卸任總統,還要這樣打壓嗎?李登輝受不合理對待,外交部應該出面抗議、交涉。【中央】

阿輝伯圓夢の旅/東北魚米之鄉 秋田充滿自然美

正在日本走奧之細道的李登輝前總統,即將進入日本的秋田縣,這個號稱是日本魚米之鄉的地方,除了有豐富的美食美酒之外,還有各種豐富的大自然景色,而且四季還有各式各樣感謝神明、祈求平安的熱鬧慶典,一起來看看。

秋田縣瀕臨日本海,是日本著名的富饒魚米之鄉,擁有豐富的自然四季景觀,像是號稱是日本三大美麗森林之一的秋田杉木,一年到頭都有不少遊客來做芬多精之旅。

不過在秋田到處觀光賞玩之前,得先來祭祭自己的五臟廟,土雞、好米配上季節性蔬菜,結合成秋田最出名的香噴噴米飯奇麗鍋,也有海產豐富的鹽汁海鮮鍋,以及戲劇噱頭十足的滾燙石燒料理,面對這麼道地的鄉土料理,當然還得配上秋田的頂級日本酒,才是真正的秋田美食饗宴。

說完了美食,當然也要來介紹秋田的美景,琉璃色湖水的田澤湖,湖畔有一座美麗的女子雕像,傳說這個叫辰子的美女,喝下這裡的泉水之後,大地就裂開成湖,美女則幻化成一條巨龍,美麗的傳說讓田澤湖總是遊客不斷。

遊人如織的角館町,又名北陸的小京都,完整保留著江戶時代的武士房宅,洋溢著風雅瀟灑的小城風情。

代表夏季來臨的秋田竿燈節,高掛在竹竿上的一盞盞燈籠,就像是金黃飽滿的稻穗,感謝天地神明所賜予的豐衣足食,秋田一年四季都有許多傳統民俗節慶特別精彩,值得一看。【TVBS】

阿輝伯圓夢の旅/李登輝買票入中尊寺 李友會稱遭打壓

20070604-02

前總統李登輝今天奧之細道行程來到日本的岩手縣,參觀當地國寶級的中尊寺,不過今天明顯和前幾天不同的是,李前總統要買票排隊入寺,現場歡迎的政府層級和陣仗也有別與前幾天,日本李友會向媒體透露,岩手縣受到大陸方面的關切,因此要求李前總統買票入場。

今天參觀日本國寶級的中尊寺,李前總統臉上看不到前幾天的笑容,還有什麼不一樣?

李前總統這次沒享有禮遇,跟前幾天行程比較,大批車隊不是停在門口,也沒有住持熱烈歡迎,當地知事更沒有現身。

瞧!前總統李登輝還跟大伙一起排隊,本來雙手放在背後的才伸手拿了票往前走,關鍵是這張參觀中尊寺的票,是李友會準備的,日本李友會向媒體透露,參觀中尊寺的行程,受到大陸方面關切。

記者:「要你自己買票,中國的壓力嗎?」

現場發言人:「最後這個問題,沒有,沒有這種事。」

前總統李登輝:「沒有阿。」

記者:「巧巧他們都有拿票進去。」

李登輝:「他們有拿票給我,我沒有拿,我沒有用啦。」

隨行人員:「這個問題很趕,我們不談。」

記者一問到敏感話題,負責翻譯的人趕忙緩頰,不管用日文還是中文,就是想阻止記者再追問下去。

前總統李登輝:「這裡有買票,我沒買票,這票是剛剛他們拿給我的。」

李登輝友人中島嶺雄:「這次是私人旅行,所以他的支出,像今天的車費之類的費用,都是由我們來處理。」

今天為什麼會有這種差別待遇,因為中尊寺所在的岩手縣才和大陸大連市,雙邊完成旅遊文化的交流,兩個城市的首次包機也才圓滿落幕,這時台灣前總統的出現,讓岩手縣有些尷尬,不過李前總統認為他單純來參觀旅遊,不想扯到政治打壓這種事,所以李友會也就順著中尊寺的意思,買票入門參觀。【TVBS】

阿輝伯圓夢の旅/李友會買票 李霧煞煞曾文惠不知

李前總統今天來到日本岩手縣,參觀當地國寶級的中尊寺,不過今天明顯和前幾天不同的是,李前總統要買票排隊入寺,現場歡迎的政府層級和陣仗和前幾天也有落差,李友會向媒體透露,岩手縣受到大陸的關切,因此要求李前總統買票入場,TVBS也注意到李前總統入場時,隨行人員的確拿出了票根,李登輝顯得霧煞煞。

一大早,從東京趕來岩手縣中尊寺的李友會幹部,急急忙忙拉起加油布條,因為傳出大陸開始打壓阿輝伯的奧之細道行,李友會傳達寺方這樣的要求。

TVBS記者林上筠:「李前總統在中尊寺,被迫要像一般民眾排隊買票,這是過去幾天從來沒有發生的事。」

記者:「你知不知道李登輝今天會來?」

中尊寺和尚:「(搖手…)。」

一問起李登輝,寺方馬上快閃,氣氛變得相當詭譎。

記者:「夫人,總統今天是不是要自己買票才能進去?」

夫人也搞不清楚,由於中尊寺和大陸宗教交流相當密切,傳出對岸透過佛教勢力,要求不得以高規格接待,真的嗎?

TVBS記者林上筠:「傳出由於中共打壓的原因,李前總統今天並沒有當家主持陪同。」

沒錯,從過去主持通通親自迎接,和現在比一比確實有落差。其實畫面會說話,仔細看李前總統一行人來到大門口處,一批人硬是ㄍㄧㄣ在門口,過好一會兒,李前總統一臉納悶,怎麼還不進去啊?

後來有人拿去李友會事前購買的門票來解圍,最後才得以放行。李登輝拿著綠色票根,完全是霧煞煞。

記者:「是不是中國打壓?」

李登輝:「那個這問題,我們自己進來的,都沒有這種事情,我不知道。」

李前總統管家:「其實我有買了。」

記者:「那為什麼總統要特別買票?」

李前總統管家:「我們一切按照規定。」

這一段被打壓的小插曲,或許跟岩手縣5月27日才訪問過大連有關係,還好李前總統一家人心情不受影響,管它打不打壓,先來體會松尾芭蕉的心情,更加重要啦。【TVBS】

中共打壓 李登輝參訪中尊寺 買票才能進場

20070604-03目前正在日本參訪的前總統李登輝,4日上午前往岩手縣的中尊寺參拜時,由於遭受到中共的壓力,導致寺方住持並沒有出面迎接,而李前總統等一行人,也都是在買了票後,才能進場。

李前總統今天一早是從日本三景之一的松島出發,先是前往詩人芭蕉曾經駐足的中尊寺參拜,接著又到曾經是日本殖民台灣時期,擔任過民政長官,奠定了台灣的基礎建設的後藤新平出生地以及他的紀念館來憑弔。今(4)日晚上,李前總統將會下榻在秋田縣的仙北市內泉區。【東森】

若沒有後藤新平 李登輝:台灣就像非洲

日據時期,曾經擔任台灣總督府民政長官的後藤新平,對台灣人來說,到底是民主的奠基者,還是殺人魔?李前總統今(4)日親自澄清說,要不是後藤新平台灣現在還會像是非洲國家一樣,是落後之地,因此,後藤新平的功勞不能抹滅!

李登輝表示,「後藤新平是台灣現代化,沒有他的話,台灣還可能還在非洲,或是其他亞洲落後地區一樣的生活,他偉大的地方,是不是是讓台灣不要用殖民地來看這個問題。」

後藤新平在台灣是不是功大於過,還是造成如此多爭議,李前總統要大家看一看資料,證明後藤新平事實上做出非常多貢獻。【東森】

阿輝伯圓夢の旅/辜寬敏痛批! 李登輝為後藤抱屈

20070604-04

前總統李登輝日前在日本獲頒後藤新平獎,引發國內部分學者和獨派大老辜寬敏的批評,今天李前總統造訪後藤新平紀念館,特別為後藤新平抱不平,李前總統感慨,當年後藤新平讓台灣現代化,否則會比非洲大陸更像殖民地,TVBS也拍到150年前後藤開放鴉片的許可證,顯然不是人人都可取得鴉片,而是有嚴格的限制。

承榮獲頒得首屆後藤新平獎,李前總統來到後藤新平在150年的這一刻,來到老家紀念館,卻是眉頭深鎖。

前總統李登輝:「後藤新平是台灣的現代化,沒有他,台灣還在可能非洲的或是亞洲的落後地區,他不是政治家,他是一個醫生,醫生是用生態的立場,來看待人的關心、地方的發展情況,來解決台灣那個時候很多的困難問題。」

這話不止講給台灣媒體聽,似乎更是說給沒經查證就批評李登輝不該去領獎的辜寬敏聽。

TVBS記者林上筠:「對於台灣內部傳出對於後藤新平的誤解,李登輝也相當感慨,他特別要大家看一看,後藤新平當初其實並不是以殖民角度來統治的。」

不過,學者批評後藤新平殺人如麻、引進鴉片,這是事實,還是以訛傳訛?因為TVBS查證當年開放鴉片的許可證,發現裡頭明文規定嚴禁販賣給一般民眾,裡頭的重罪,除了重病、減輕痛楚,或是中毒已深的病患以外,市井小民根本無法吸食。

其實史料會說話,後藤新平當年以醫病為出發點,開放治療用鴉片,怎麼知道150年後,台灣內部為它掀起軒然大波?是不是功大於過,李前總統希望大家好好想一想。【TVBS】