総統選挙によって8年ぶりに政権が交代する台湾。この政権交代の制度を打ち立てた前総統の李登輝氏と、日本を代表する建築家の安藤忠雄氏が台北郊外にある李氏の私邸で対談を行った。
二人は初対面だったが、作家の故司馬遼太郎氏にかかわる思い出話から打ち解けた。話題は日本や台湾にとどまらず、情報化社会の進展、地球環境など人類全体が直面する問題に及んだ。(司会 長谷川周人台北支局長)
■I 偶然 歴史学び「脱古改新」
長谷川 お二人は初対面だそうですね。
李登輝氏 そうそう。けれど、先生の講演は読みましたよ。フランス建築アカデミー大賞を受賞(1989年)した時の話は素晴らしかった。それに台湾で先生は一番人気の建築家。実はね、うちの孫娘(李坤儀さん=26)も先生の大ファンなんだ。英国留学の後にイタリアで設計やデザインを勉強して、台湾に戻ってからは家や家具に興味を持った。政治屋にはならないというんだなあ(笑い)。
安藤忠雄氏 光栄です。ぜひ今度、お孫さんと大阪方面においでください。私が設計した司馬遼太郎記念館をご案内します。
李氏 司馬先生の記念館、まだ見ていないんだな。昨年の訪日に続く「奥の細道」をたどる旅もあるが、大阪と京都にはもう一度行きたい。その時に司馬先生のご自宅にお邪魔し、記念館も見てみましょう。
安藤氏 司馬さんの紀行文「台湾紀行」に李登輝さんのことが書いてありますね。しかも司馬さんは、李さんがアジアの指導者として重要な役割を果たしていると評価していた。今日のテーマにもなりそうですが、李さんは今、これからの国際社会が、特にアジアがどう歩んでいくべきだとお考えですか?
李氏 司馬さんとの出会い、懐かしいなあ。台湾に生まれ、台湾に育った台湾人は、400年にわたって外来政権に統治されてきた。だからこそ、台湾の人には「われわれが台湾の主でありたい」と願う気持ちが強くあります。そこにいくつかの偶然が重なり、今の「民主台湾」がある。蒋経国(蒋介石元総統の長男)という総統がいたからこそ、私が(台湾人初の)総統になれたのです。
この偶然を利用して、台湾の民主化と経済発展を進め、日本との関係も再構築したい。そう考えたときに司馬さんとの出会いがあり、おかげで私は台湾政治をひっくり返す考えを対外的に発表できた。結局、司馬先生との出会いがあるまで、私は外に向かって新しい台湾を訴えることができなかったのですよ。
長谷川 偶然、ですか?
李氏 そうだよ、偶然だ。台湾の過去を振り返れば涙が出る。だが私は歴史を学ぶが、批判はしませんよ。見るのはいつも将来。私のいういわゆる「脱古改新」だな。副総統時代、過去の過ちに学んで将来に向かうべきだ、そう考えていたところ、幸いにして総統になった。ただ、なぜ蒋経国が私を選んだのか、今もよくわからないなあ。
正直にいうと、僕は彼をよく知らない。ところが、彼は僕を気に入っていたようだ。なぜか。僕の仕事のやり方は中国式ではなく日本式だからかな。まじめくさってなんでもきちっとやり、彼の前では手を膝(ひざ)に置いて背筋を伸ばして座る。取り巻きの中国人とは少し違う、と思ったのでしょう。
安藤氏 司馬さんが台湾を訪れたことは、単に作家が取材に来たという以上の大きな意味があったわけですね。司馬さんはアジアの将来を一生懸命に考えていました。特に日本、中国、台湾、そして韓国がバラバラにならぬようにと。李登輝さんとは、お年だけでなく、考え方も近いものを感じます。
李氏 西田幾多郎哲学のいう「場所の論理」でしょ。でもちょっと待って。その司馬先生がね、台湾にやってきたときのことを思いだした。(東海岸の)台東などを回るというので、私がガイド役を申し出たことがありました。私なら台湾の隅々まで知っているからね。ところが彼は辞退した。「台湾に関する資料は貨物列車1台分はあります。どうぞご心配なく」と。彼は本当に台湾をよく知っていましたよ。勉強しているんだなあ。
■II 教育 人を愛すること 哲学的に物事を考えること
安藤氏 司馬遼太郎記念館を設計したとき、世界中を歩いた司馬さんが小説執筆に向けて集めたという膨大な量の本を壁面一面に展示することで、物事を考えて生きてきた軌跡を感じるものをつくりたいと考えました。15年ほど前に司馬遼太郎記念室がある姫路文学館(兵庫県姫路市)を設計したことが縁で、司馬さんの記念館の設計者に指名されました。
姫路文学館は哲学者の和辻哲郎など姫路地方に縁の深い文学者を紹介した博物館ですが、李さんが学生時代に親しまれたという西田幾多郎の哲学館(石川県かほく市)も設計を担当する機会をいただきました。
李氏 2005年の暮れ、その哲学館に行きましたよ。西田の「善の研究」は旧制台北高校時代から何度も読み返した本で、西田哲学は今も私の精神の根幹を成しているのです。哲学館では自分の学生時代を懐かしみながら、当時の自分と現在の台湾を重ね合わせ、胸が熱くなりました。
安藤氏 設計者としてうれしく思います。設計に入るとき、若いころに読んだ西田と和辻をもう一度読み直し、二人を理解しようと努めることから始めました。よく相手を知り、理解する必要があるからです。
その時に考えたのですが、西田と和辻はアプローチの仕方は違うものの、彼らが到達しようとしたのは、「場所の論理」ではなかったか。書斎にこもって自らの内面と向かい合う西田。対する和辻は逆に意識が外に向かい、旅することで何かを発見し、真理を得ようとした…。
李氏 その通りですよ。そこに教育という問題が出てくる。教育には、建築をやったりする専門教育と、教養の二つがある。哲学も歴史も芸術も科学も、基礎教養として専門以外にある程度知っておく必要が人間としてあります。プラス、国を愛し、人民を愛すること。昔の日本教育はこうだった。私は22歳まで日本籍ですよ。その日本教育を受けたから、今も私なりの考えが出てくるんだ。
日本全国、そして世界を渡り歩き、歴史的な小説を書こうとした司馬さんも、行き着くところは「場所の論理」なんだな。人が集まれば場所ができる。これが大きくなると国になる。つまり、若いときに教養を教え込まれてこそ、歴史を土台に哲学的に物事を考えることができるのです。民主とは何か、人はなぜ人を愛せるのか、という問題を理解してこそ、新しい将来へと突破することもできる。ところがね、人々が技術ばかりに目を奪われる今の社会は、どうもへんてこになってきた。そうは思いませんか。
安藤氏 同感ですね。経済至上主義が世界を画一化し、その弊害が叫ばれていますが、彼ら(西田、和辻)の哲学には先見性があった。先人が卓越した哲学を残してくれたにもかかわらず、日本人は1960年代以降の高度経済成長の中で、経済の論理を重んじるあまり、何かを失い、随分と変わってしまった。そう、今や西田も和辻も、見向きもしませんよ(笑い)。
だから、技術の発展が世界で同時進行する中、よほど確立した自己を持っていないと、精神構造がバラバラになってしまう。ところが、人々の実生活には確立した自己を持つような時間がなく、瞬間的な情報を山のように抱え込むばかり。つまり心のよりどころを見失い、世界中の人たちの精神がバラバラになっている、と案じます。
■III 期待 取り戻したい心の柱
李氏 日本も台湾も、経済のために犠牲にしたものが少なくない。ただ、私は日本には期待が持てると思いますよ。かつてパトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本はまれに見る文化的国家であると世界に紹介した。家族、地域社会が健全にはぐくまれ、地域ごとに個性を持ち、多様性を有していると。立派な文化をつくった日本人は戦後、確かに物質的、技術的な発展で妨げられた面もあるが、そろそろ、モラルを持って日本的な精神を保とうと、考え始めているんじゃないかな。社会的遺伝子は今も受け継がれていますよ。
安藤氏 でもハーンが現代の日本を見たら、きっとがっかりするでしょうね。太平洋戦争敗戦後、日本人が傾きかけた国を立て直そうとしたところまではよかった。ところが、世界の経済競争という別の形の戦争に積極的に参加し、勝利を収めようと躍起になった結果、本当の豊かさとは何かを考えることを置き去りにしてしまったのです。
李氏 その意味でも、私は台湾総督府の民政長官を務め、後に東京市長にもなった後藤新平を尊敬しています。彼の台湾を近代化させた功績は永久に残る。彼は、都市計画の基盤、いや台湾の基盤をつくったといっても過言ではない。それに比べて、今の日本のリーダーシップは弱すぎる。後藤新平や新渡戸稲造をはじめとする多くのすばらしいリーダーが日本にはいたのに…。
安藤氏 後藤新平は幕末に藩士の子として生まれましたが、明治を迎えて武士という職業がなくなり、医者を志しました。彼の都市計画が独創的で優れているのは、都市計画だけを学んだ者には発想できない、医者という立場から衛生を軸に据えて都市計画を考えた、というところにあるのだと思います。李さんのご指摘通り、今の日本には独創的で、大きなビジョンを持ち、志の高いリーダーが必要ですね。
残念なことに日本人は戦後、おとなしくなりましたね。米国による占領政策の影響もありますが、教育も平均化して、非常におとなしい民族になってしまった。それに比べて台湾の人たちは、50人集まれば一つの方向を向きながらも、あちこちを見ているところがありませんか。これを、うまい具合に力を束ね、リーダーがまとめれば面白くなりそうだ。
李氏 日本における戦後の教育は、アメリカ流の自由主義になりましたね。だから孫娘はアメリカには留学させず、英国に出したんですよ(笑い)。ただね、安藤先生は間違っちゃいないが、台湾人には日本人とまったく違う点がありますよ。日本の若い人もバラバラのように見えて、実は社会的なルールに従って行動している。ところが、台湾にはそれがまったくない(笑い)。考え方がバラバラでも、社会のルールに従って行動する気持ちがなければ。これは台湾の弱点と言わざるを得ません。
長谷川 視野を少し広げ、民族の確立という視点からアジアの現状をどう見ますか。
安藤氏 そもそもアジアというのは、同じような民族から成り立っているようで、実は多民族地域です。日本、台湾、韓国、中国から、ベトナム、タイ、そしてインド、イランまでアジアですよね。ところが、近代化、経済至上主義による世界の画一化が始まると、この多様性が失われていきます。情報化社会が進展していますが、バーチャルな(仮想の)世界がものすごいスピードで拡大する一方、多様性をもったリアルな(現実の)世界が崩壊しようとしている。これはなんとしても食い止めねばなりません。
李氏 私はバーチャル・リアリティーというのですが、技術の発展で情報が世界を飛び交うでしょ。便利なことはいいが、人間はうまく使いこなしておらず、情報の半分は虚構じゃないのか。各人がモラルを持ち、個を確立して自分を持たなければ、安藤先生のご指摘の通り、バラバラになってしまうんだ。
■IV 調和 人類は本当にがけっぷち 謙虚に生きていかねば
安藤氏 バーチャルだけでは世界は成立しないはずなのに、経済一辺倒の価値観がそれを推し進めています。例えば、不動産投機もバーチャル世界のようなものですが、それが現実の人間の生活を不幸にしていることに人々は気づきません。マネーゲームはバーチャル世界の拡大に拍車をかけ、ひいては地球温暖化をも加速させているように思えます。人間生活の真の豊かさを考えなければ、結果的に22世紀まで人類が生き残ることはできないでしょう。
李氏 日本文化がすばらしいのは、高い精神文化とともに、人間生活と自然がうまく調和しているところにあります。安藤先生の偉大な建築物も、外国から入ってきた建築の考え方をもう一歩進め、自然の生活の中に取り入れようとする、実は日本的な考え方じゃないのか。そう思っていますよ。
安藤氏 私は20歳のころ日本を一周する旅をしました。そして美しい棚田や山々、民家を見ては心を打たれ、この国に生まれたことに感謝しました。ところが経済的繁栄と引き換えに、そのすべてが失われようとしている。民族が持つ固有の論理を尊重する。これを取り戻すことをこれからの指導者は考える必要があると思います。
李氏 昨年5月に日本を訪ねたとき、松尾芭蕉の「奥の細道」をたどりながら、山形県や秋田県を歩きました。そしてびっくりした。杉林の美しいこと! あれだけの造林はどこに持っていっても恥ずかしくない。私の専門は農業経済学で、総統時代は努力して成果を上げましたが、台湾にはあんなすばらしい森はまだない。環境保全の問題は非常に大切です。
環境問題といえば、今年7月には北海道の洞爺湖で主要8カ国首脳会議(サミット)が開催されますね。
安藤氏 まさに環境会議となるわけですが、実は私、東京湾に浮かぶゴミの集積場に緑を植えて「海の森」にするプロジェクトに参加しています。サミットで議長国となる日本は、経済大国という側面ではなく、「環境立国・日本」を世界に訴えるべきです。そこで自然と共に生きてきた日本人、すばらしい哲学をもった日本人を世界に発信したいと考え、「海の森」を世界中の人たちに見てもらおうと思っています。
李氏 それはいい考えだ。
安藤氏 ナポリではゴミの集積場が満杯になり市当局がゴミの回収をやめて街中がゴミだらけ。これを見るまでもなく人類は本当にがけっぷちに立っている。あと一歩で生存まで危うい事態に直面している。これを地球市民全員が意識することが必要です。先人の知恵に学び、多様な価値観をこの地球上にとどめ、そして自然の中で人間が生かされていることを自覚し、謙虚に生きていかねば。これからの時代、価値観は地球です。
李氏 安藤さんみたいな大建築家にしても、最後に求めるのは永久の真理だ。これは難しいよ。だが、何とかこれを表現しなくちゃいけない。またいらっしゃい。台湾の若者にも話してやってほしいんだ。台湾は日本人から得ることがまだまだある。
【プロフィル】李登輝
1923年、台北県生まれ。43年京都帝国大学農学部入学後に学徒出陣。戦後は帰台して台湾大学に編入。68年米コーネル大学で農業経済学の博士号を取得。中国国民党に入党後、台北市長、副総統などを歴任、88年、蒋経国総統の死去に伴い総統に昇格。96年、台湾初の総統直接選挙で圧勝。2000年、国民党主席辞任後、党籍を剥奪され、独自の政治活動を繰り広げている。
【プロフィル】安藤忠雄
1941年、大阪生まれ。69年、安藤忠雄建築研究所を設立。79年、日本建築学会賞、96年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。91年にはニューヨーク近代美術館で日本人初の個展を開催。97年、東京大学教授、2003年から名誉教授。同年、文化功労者。代表作に「住吉の長屋」(大阪市)「六甲の集合住宅」(神戸市)「光の教会」(大阪府茨木市)など。
(2008年4月4日 産経新聞掲載)