パイワン族の証言を補強する資料 日英博覧会参加者の感想は高士村の人々が共有していた「美しい記憶」と一致
日本李登輝友の会常務理事 柚原 正敬
■NHKに対する第二次訴訟
去る10月6日、4月5日に放映された「NHKスペシャル シリーズ JAPANデビュー・第1回『アジアの一等国』」の内容が取材実態に基づかない歪曲報道だとして台湾のパイワン族37人を含む1946人が、NHKに損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した。第二次訴訟だ。
番組に出演した高許月妹さんと通訳をつとめた陳清福さんは各300万円、来日した華阿財さんや李文来さんなどパイワン族の方35人は1人当たり3万円、そして1909人の方は1人当たり1万円の損害賠償を求めて提訴している。請求額は2614万円に及ぶ。
第一次訴訟は6月25日、8,389人が原告となって、原告1人当たり1万円、8389万円の損害賠償を求め、東京地方裁判所に提訴している。
つまり、第一次と第二次訴訟の原告数は10,335人、損害賠償請求額は1億1千3万円となり、原告数は第一次でもすでに日本の裁判史上最大となっており、ついに1万人を突破した形だ。
また、(株)日本文化チャンネル桜(水島総代表取締役)も10月6日、この問題でNHKを名誉棄損と営業妨害で東京地裁に提訴し、水島社長は司法記者クラブで開かれた記者会見に、弁護団(高池勝彦団長)や台湾から来日したパイワン族の華阿財氏(元屏東県牡丹郷郷長)や李新輝氏(元屏東県春日郷郷長)などとともに臨んでいる。
記者会見で、華阿財氏たちはこもごも「NHKがなぜ民族の名誉を汚し、子孫の感情を傷つけたのか理解できません」「クスクス村では博覧会出席者を喜んで迎えた経緯がある」「なぜ事実にあわないことを発表して世界に伝えるのか。当時、日本人はわれわれに敬意を持って接してくれた。民族の自尊心が傷付けられた」などと怒りをもって提訴に至った気持ちを披瀝した。
■日英博覧会に参加したパイワン族「テボ・サドガイ」の感想
ところで、華阿財氏はNHKが取材し、1910年の日英博覧会に参加した屏東県牡丹郷高土村(クスクス村、旧高士仏村)を代表し、NHKの取材を受けた許進貴さん、高許月妹さん、陳清福さんとの連名で「公開質問状」(6月21日付)を呈している。
この中で「NHKの番組『JAPANデビュー』において、台湾での取材から『パイワン族の人々を人間動物園としてイギリスの日英博覧会で見世物にしたのです』という不適切な表現を放送したと知り、非常に驚いています。高士村の人間として、非常に辱めを受けたと感じております」と述べる。
なぜ「非常に辱めを受けたと感じ」たのかというと、それは村に伝わっている「美しい記憶」と違うからだという。公開質問状では「高士村の人々が共有する博覧会の美しい記憶として後世に語り継がれてきたものを、なぜ突然『人間動物園』という見方に変えてしまったのか。大変理解に苦しみます」とつづっている。
そこで、NHKに日英博覧会の真相を明白にするよう求めているのだが、実は最近になって、日英博覧会に参加したパイワン族の方にインタビューした記録が残っていることが判明した。
それは2つあり、1つは、昭和7年(1932年)に台湾史籍刊行會から出版された鈴木作太郎『台湾の蕃族研究』(復刻版は昭和52年10月1日、青史社)で、もう1つは、山口守編著『講座 台湾文学』(2003年3月24日、国書刊行会刊)所収の河原功「日本人作家の見た台湾原住民」だ。
河原功氏(1948年生まれ)の「日本人作家の見た台湾原住民」には副題として「中村古峡と佐藤春夫」とあり、中村古峡を扱った「中村古峡の視点─『蕃地から』」に日英博覧会に参加したパイワン族が出てくる。
中村古峡の「蕃地から」という作品は、1916年(大正5年)の『中央公論』7月号に掲載されたもので、河原氏は「台湾南部の原住民部落を旅行しての記録を、友人宛への書信形式で綴った作品である。おそらく、商業ベースの総合雑誌にみる、台湾原住民を本格的に扱った最初の作品となろう」と紹介している。
この中村の記録の中に、日英博覧会(1910年5月1日~10月31日)に参加したテボ・サドガイという名のパイワン族の感想がつづられている。中村がこのパイワン族と会ったのがいつかは不明だが、掲載されたときからそう離れた時ではないだろう。また、パイワン族は1911年6月に帰台しているから、まだ記憶は鮮明だったはずだ。
テボ・サドガイと中村とのやり取りは、台湾を出たときのことから始まり、「門司と上海は寒かったが、新嘉坡(シンガポール)は『ベリ・ホット』だつたなどゝ折々は英語の片言まで交ぜる」という話し振りだったという。
中村が一番なにに驚いたかを聞いた場面では、「身振や手真似を加へながら半時間も熱心に雄弁を振つた」と記している。
しかし、ここではそれ以上に重要なポイントとして、日英博覧会に参加した感想をご紹介したい。
中村の通訳をしていたI君が「英国に居る間に台湾へ帰りたいとは思わなかつたか」と尋ねると、テボ・サドガイは「少しも帰りたいとは思はなかつた。却つて妻子を台湾から呼寄せて何時までも向こうに住んでみたかつたと答へたさうだ」と中村は記している。
NHKが番組で伝えたように、参加したパイワン族が「人間動物園」として「展示」され、「見世物」にされていたとしたら、民族の誇りと名誉を傷つけられ、とてもこんな感想は出てこないだろう。ましてや、「博覧会の美しい記憶として後世に語り継がれて」も来なかったはずだ。中村古峡が紹介するテボ・サドガイの感想は、まさに高士村の人々が共有していた「美しい記憶」と一致していたのである。
■鈴木作太郎の紹介する「テイポ・サロンガイ」の英国人歓迎の辞
河原功氏は、日英博覧会にパイワン族が参加したことについて、鈴木作太郎が『台湾の蕃族研究』で紹介した箇所も転載して紹介している。
鈴木作太郎は、当時の原住民がどこに観光したかを取り上げた第5章「理蕃事業」の第2節「領台後」において、明治30年に原住民が来日した「第1回内地観光」を記し、その次にパイワン族の日英博物館に参加したことを紹介している(原文は漢数字)。
鈴木は「明治43年2月21日時の大島民政長官と日英博覧会余興部『シンジケート』代表者『ジュリアン・ヒツク』との間に契約し『パイワン』族男女24名を博覧会に出場せしめることとし、石川警部補及び板倉巡査引卒の上同日門司を出帆し郵船加賀丸で渡英した」ことから記し、佐久間左馬太総督が帰台した彼らを招待して労を慰めたこととともに、その感想について、次のように紹介している。
「倫敦市街の宏壮佳麗なこと、商工業品の精巧なこと、機器機関の雄大なこと、人馬物貨の往来織るが如きこと又は金銀財宝の融通流るるが如きこと台北に幾十百倍なるかを知らない」
また、「彼等は滞英中得る所の余費を積むこと少きも200円多きは500円に上り、且つ二三の者は簡単な英語を操るやうになつたとのことで、彼等が此の行に依つて著しく知識を啓発されたことは云ふまでもない」とも記す。
さらに、「翌45年5月10日より6月4日まで英国人『ウィリアム・プライス』氏が動植物採集の為に」訪台し、「滞英中の恩に酬ゆるため」この英国人をクスクス村の人々が招待して宴を開いたことも記している。
この招待宴の席で、恐らく村のリーダーと目されるテイポ・サロンガイは「我等は未だ蕃地を発せざる前と入英後の感想とは全く一変じたのである。惟ふに世界中我等の如き野蛮なる人種はないであらう。速かに此の蛮習を脱せねばならない。之を脱せんとするには須く学問の力に依らねばならぬ。今後は力を子弟の教育に努め漸を逐つて開明の域に進み、英国までも留学すべき者を出し、終には世界の人々と同等の生活をなす日の来らんことを庶幾ふのである」と歓迎の辞を述べたという。
これに対して鈴木作太郎は「彼等蕃人と雖も教育を重んずる抱負は文明人と毫も変らないことが知れる。而して彼等は宴闌(たけなわ)なるに及び約略記憶してゐた英語で応酬対話し一夕の歓を尽したとのことであつた」と、パイワン族が「文明人」と変わらないことを得心した様子で記し、「英語で応酬対話」したパイワン族の歓待を驚きをもって紹介している。
ここで思い出すのは、8月に来日されたパイワン族の李文来(サルガイ・チャパヤル)氏の言葉だ。李氏はクスクス村の教育程度は他の村と比べて相当に高いと、誇らしげに話していた。李氏自身も台湾では著名な国立高雄医学大学出身の医師で、台湾省議会議員もつとめた経歴を有している。
テイポ・サロンガイは「今後は力を子弟の教育に努め……英国までも留学すべき者を出し」と歓迎の辞を述べた。
クスクス村からは多くの優秀な人材が輩出されているというが、これは日英博覧会に参加したクスクス村の人々が帰郷後、教育に力を入れた結果であり、歓迎の辞で述べた誓いは嘘ではなかったことを証しているし、李文来氏の言葉と一致しているのである。
やはり、参加したパイワン族が「人間動物園」として「展示」され、「見世物」にされていたとしたら、師弟の教育に努めようというような希望も持ち得なかっただろうし、ましてや英国人に反撥し、歓迎の宴を開くことも申し入れなかったことは想像に難くない。
クスクス村の日英博覧会参加者は「滞英中の恩」を感じていたのである。それに酬いようとして歓迎の宴を開くことを申し出たのだ。だから、この英国人の訪問も含め、日英博覧会に参加したことを「美しい記憶」として今に伝えていたのである。
NHKがこの2つの資料を参考にしたのかどうかは分からない。しかし、知っていたとしても、NHKが無視したことは明白だ。
つまり、NHKは一次史料というべき日本のこのような資料を無視し、「人間動物園」を取り上げた近年の海外文献のみに拠り、日本がパイワン族を「人間動物園」として「展示」して差別したという、ありもしない歴史事実を捏造し、それを証するために許進貴さんや高許月妹さんを利用したことになる。
それは、公共放送としての公平性を損ねる、意図的制作だったと指弾されても致し方あるまい。ましてやこのような番組制作は、放送法に抵触する明白な犯罪行為であろう。
最後になったが、この一次資料は三重県にお住まいの本会会員からご教示いただいたものだ。この場を借りて深謝申し上げたい。この資料も裁判に提出される予定だ。