齊藤正樹・交流協会台北事務所長(駐台湾大使に相当)の辞表提出が報道されたことで、日台両国には波紋が広がっている。4日夜、台北市内のホテルで開かれた台日文化経済協会と日華親善協会の姉妹締結20周年パーティにはメディアが大集結。結局大使は欠席した。
2日、立法院では外交部の沈呂巡・政務次官が「もし齋藤大使が回顧録を書くとしたら、この『台湾地位未定論』騒動についてどう描くか興味深々だ」と述べたり、王金平・立法院長は、ワーキングホリデー協定締結など、齋藤大使の功績を挙げながらも「次の新代表も齋藤大使と同様、有能な外交官であることを願う。それも台湾に対する誠意の見せどころだ」と述べるなど、その余波は収まっていない様子だ。
立法院の外交国防委員会でも、国民党の立法委員が「齋藤大使の発言は不適切、早期辞任は当然」と発言したのに対し、民進党側からは「齋藤大使の辞任は日台関係の後退を暗示している」と痛烈に批判している。
日本側では、各紙とも「5月1日に嘉義の中正大学で開かれた講演で『台湾の国際的地位は未定』と発言したことの責任をとって辞任」と報じたが、この発言に先立つ4月28日、馬英九総統は、1952年に締結された「日華平和条約」において日本は台湾の主権を中華民国に返還したと発言。日本が放棄した台湾の帰属先は未定との説があるが、その返還先については日華平和条約の「行間」を読めばはっきり分かると述べていた。こうした発言に対し、馬総統側が、既成事実を作り上げようとしているのではないかと判断し、齋藤大使は敢えて日本政府の「台湾の帰属先について、日本政府は言及する立場にない」との立場を超えて「台湾の地位は未定」との発言をしたのではないかという分析もある。
そもそも齋藤大使の発言に対し、会場で真っ先に咬みついたのが、馬政権の対日外交の実質上の責任者で国家安全会議諮問委員の揚永明氏だった。楊氏は馬政権の駐日代表として名前が取りざたされた人物だが、対日外交には強硬派との評が多い。
交流協会側はまだ辞表を正式に受理していないが、齋藤大使は20日に台湾を離れる予定。14日には、黄昭堂・台湾独立建国連盟主席ら、独立派の面々が齋藤大使の送別会を台北市内のホテルで盛大に開く予定。