台湾在住のフリーランス・ライターとして台湾情報を発信し続ける「台湾の達人」こと、片倉佳史(かたくら・よしふみ)氏がすごい本を出版した。それが、昨日(4月26日)の産経新聞でも紹介された『古写真が語る台湾 日本統治時代の50年』だ。
日本統治時代の50年を、古写真(こしゃしん)だけではなく、片倉氏自身が撮影した写真も含めた1200枚を駆使して簡潔に、そして的確に解説している。本文もさることながら、併録されている「皇太子裕仁親王の台湾行啓記録(大正12年)」「台湾歴史詳細年表」にも驚かされた。
大正12年(1923年)4月に摂政宮として皇太子殿下(後の昭和天皇)が台湾を行啓されたときの模様をこれほど詳しく掲載したものは、当時出版された単行本以外では『台湾と日本・交流秘話』(平成8年、展転社)以来ではないだろうか。このご訪台は、日本統治時代の台湾に画期をもたらした歴史ポイントの一つ。当時の台湾に与えた衝撃と影響を思えば、片倉氏が取り上げた理由も納得できる。
また「台湾歴史詳細年表」がすごい。日付を特定する作業はかなりの困難を伴うが、台湾の日本統治時代が明確な輪郭をもって立ち顕れてくる。
李登輝元総統が「台湾と日本がともに歩んでいた時代。台湾を知りたい、そして、日本を知りたいすべての方にお薦めします」と絶賛され、台湾問題にも精通する評論家の宮崎正弘氏も「これほど貴重な本はない。台湾研究家にとっては古典として残る本でもある」と、もろ手を挙げて推奨している。下記にご紹介したい。
なお、本書は本会でも取り扱う予定だ。近々ご案内したい。
※5月より取り扱いを開始しました。詳細はこちら。
・書名:『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895-1945』
・著者:片倉佳史
・版元:祥伝社
・体裁:A5判、並製、272ページ
・定価:1,944円(税込み)
・発売:平成27年(2015年)4月25日
台湾と日本がともに歩んでいた牧歌的でノスタルジアに満ちた、あの時代
懐かしくも貴重な歴史的写真が1200枚並んだ壮観な台湾図鑑が完成した
片倉佳史『古写真が語る台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)
これほど貴重な本はない。
台湾研究家にとっては古典として残る本でもある。
日本が台湾を統治した半世紀(1895-1945)は、台湾が未開の野蛮状態から文明国へ急激に発展した、めくるめく快進撃の半世紀でもあった。
その時代の歴史的遺物は、人々の生活、街の様子、開発過程の活況など、じつに1200枚ものセピア色の写真を蒐集して完成された。その片倉氏の汗の努力と、そのフットワークの成果とにまず脱
帽したい。
熱帯病が発生し、不衛生だった台湾が、日本の統治による開発で道路が造られ、蒸気機関車がとおり、電気が運ばれ、学校が開かれ、しっかりと文化が根付いた。用水路、灌漑設備、嘉南平野の開拓は農業を飛躍させた。ダムをつくり、台湾の貢献した八田與一の物語は映画にもなった。
この時代に青春をおくった台湾人は恋愛のラブレターも日本語で書いた。哲学、詩作は日本語の世界から基本の思索と発想がなされた。
空前の半世紀を夥しい写真で綴る手法も斬新で、ビジュアルで、しかも簡潔な解説文には著者の台湾への深い愛着が籠められている。
編集は主として地区別になされているうえ、古い地図が比較検討の要石のように用いられ、日本が建てた建築、構造物、駅舎など『歴史』がそこに再現される。
評者はところで、最後の項目である「新南諸島と東砂」に注目した。
現在、南シナ海の領有をめぐった中国海軍の侵略行為を前にフィリピン、ベトナムなどと中国は鋭角的な対立を続けているが、これらの島々は戦前、日本が統治した。
そしていまも東砂諸島は、日本時代を引き衝いた中華民国が実効支配している。
長島は、いま太平島と呼ばれる。
その昔、マグロ、鰹など漁業が栄え、島に入植した開洋興業の人々は社宅を建てて、神社も建立し、航海の安全を祈ったのだ。
1939年、日本政府はフランスに対して、新南諸島(現在のスプラトリー諸島を含む)の領有を宣言し、フランスに通告した。長島では燐鉱石を採集した。
パラセル諸島も一部を日本が管理し、珊瑚礁のところどころに日本の石碑が建っている。動かぬ証拠である。
むろん、日本はサンフランシスコ講話で正式にこれらの島々の領有を放棄し、多くがアメリカの信託統治、一部はフィリピン、ベトナムが中国と争う海域となった。東砂諸島だけは台湾が、依然として管理下に置いている。
こうした歴史絵巻が、懐かしきセピア色の写真とともに網羅され、一種の台湾図鑑でもある。
【宮崎正弘の国際ニュース・早読み:平成27年(2015)4月27日】