平成27年春の叙勲で、台湾からは許水徳氏(旭日大綬章)、江丙坤氏(旭日重光章)、劉枝萬氏(旭日小綬章)の3氏が受章した。本会では、今年4月に開催した第23回・日本李登輝学校台湾研修団のテーマを「台湾と叙勲」とし、劉枝萬氏を最新の叙勲受章者として講師にお招きしている。
許水徳氏への伝達式は、6月30日に交流協会台北事務所代表公邸で行われ、沼田幹夫代表から勲記と勲章が手渡された。本来であれば、5月に江丙坤氏とともに皇居に参内し、天皇陛下より直々に勲記・勲章を賜る予定だったが、体調を崩して入院していたため叶わず、台北での伝達式になったという。
許水徳氏は、許楊素華夫人とともに伝達式に出席。来賓として李登輝総統をはじめ、王金平・立法院長、伍錦霖・考試院長、張博雅・監察院長、林永楽・外交部長らの閣僚が出席、それぞれ祝辞を述べて受章を祝った。
許水徳氏は高雄市長や台北市長を務めた後、李登輝政権で駐日代表や内政部長を歴任。特に、民主化が進められた台湾で、時に暴徒化するデモの鎮圧によって負傷者が続出する状況を憂いた李登輝総統の命により、極秘裏に日本政府と接触、60年代の安保闘争で培われた日本の、負傷者を最小限に抑えつつ暴徒化したデモを鎮圧する警察警備の手法を導入し、社会治安の安定に大きく貢献した。
本会台北事務所では、李登輝総統事務所の好意により、当日の李登輝総統の祝辞原稿を入手し、転載の許可をいただいたため、ここに掲載します。
会場にお集まりの皆様、こんにちは。
本日、許水徳先生への叙勲伝達式にあたり、お祝いの言葉を申し上げます。
許水徳先生におかれましては、旭日大綬章の受章、誠におめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます。また、長年にわたり許先生を支えて来られた奥様の内助の功にも敬意を表したいと思います。
許水徳先生が受章された旭日大綬章は、これまでの台湾の叙勲者のなかでも最高位と伺っております。
駐日代表や亜東関係協会会長、台湾日本研究学会理事長など、特に日本と台湾の関係において大きな功績を残されてきた許先生が受章するにふさわしいものと言えましょう。
また、許先生は、私の総統在任中、駐日代表や内政部長、考試院長として、台湾社会の民主化を進めていた私を大きく助けて下さり、台湾の発展に多大な貢献をされました。
特に、日台関係における許先生の功績は膨大すぎて、この場では取り上げ切れませんが、ひとつだけ、おそらく余り知られていないであろうというエピソードをご紹介したいと思います。
一九八〇年代末から九〇年代初頭にかけ、戒厳令が解除されると、台湾社会にはやや急進的な民主化の波が押し寄せました。
私は、動員戡乱時期臨時条款を撤廃して両岸の内戦状態を終結させるとともに、万年国会を解散させ、言論の自由を実現させました。
ただ、その一方で、台湾社会においては過激な民主化運動に拍車がかかり、あちこちでデモが繰り返されるうちに、騒乱状態に陥る場面が出てくるようになり、私は頭を痛めました。
民主化を求める人々を押さえつけ、多くの負傷者を出すようなことで、民主化の芽を摘み取るような、逆行した行為はしたくない。
しかし、激化するばかりのデモを押さえなくては、社会の治安は崩壊し、民主化が頓挫する恐れがあったのです。
そこで私は、当時、内政部長の任にあった許先生に、秘密裏に訪日してもらい、日本との太いパイプを生かしつつ、一九六〇年代の安保闘争などで豊富なデモ警備経験のある日本から、内々に日本の警備警察技術を導入することに成功したのです。
許先生によって、ただちに必要な装備や資材が調達され、日本式の機動隊も急遽編成され、さっそく訓練が始められました。
その結果、軍部からは「再び戒厳令が必要」という声も上がり始めていたなか、日本の人命尊重を基本理念とする慎重な警備方式が導入され、一人の死者を出すこともなく、激化したデモを沈静化することに成功したのです。
こうして台湾社会をいち早く安定させることに成功した結果、私は治安維持の面には、いささかも心配することなく、安心して民主化を推し進めることが出来たのです。
私は総統在任中の十二年間、台湾を「夜、安心して眠れる社会にしたい」と、そればかりを求めて職務に励んできました。
今日、民主的かつ自由な台湾が打ち立てられた背景には、平和的な民主化の実現に大きく貢献された許先生の存在があったことを、ここで皆さんにお話ししておきたいと思います。
最後になりますが、許先生、奥様、ご家族の皆様、本日は誠におめでとうございます。
以上で、私のお祝いの言葉といたします。
二〇一五年六月三十日
李登輝