村井嘉浩・宮城県知事、日本李登輝友の会・宮城県支部の嶋津紀夫支部長、宮城県日台親善協会の相沢光哉会長、そして会場の皆さま、こんばんは!
今回、私は国会における講演のご招待を受けて日本に参りました。昨年と同じく、二人の娘がついて来てくれたほか、亡き長男の嫁と、年末に結婚する予定の孫娘も同行してくれました。どうぞよろしくお願いいたします。
また、本来であれば、家内も一緒に日本へ来る予定だったのですが、直前になって体調を崩してしまい、日本へ来ることが出来ませんでした。
家内も今回の日本訪問、特に松島を訪れることをずっと楽しみにしてきましたので残念でなりません。次の機会には、ぜひとも二人でまた日本を訪れたいと思っております。
おかげさまで、二十二日に行われた国会議員会館での講演では、二百名を超える国会議員の先生方を中心に、四百名もの皆さんが集まってくださり、「台湾のパラダイムの変遷」と題した講演を行いました。
また、その翌日の、日本外国特派員協会での講演でも、満席になるほど、たくさんの記者に集まってもらい、無事に講演を終えることができました。
退任して時間が経ったとはいえ、台湾の総統経験者が国会で講演したことは、昭和四十七年に国交が途絶えた後はもちろん、戦後の歴史を通じても、初めての出来事です。
これもまた、日台関係が新しい時代の枠組み、つまり「新しいパラダイム」に変わって来た一つの証と言えましょう。
そして、この仙台には、二〇〇七年以来、八年ぶりにやって参りました。
東日本大震災で、仙台の街や、美しい松島もかなり被害を受けたと聞き、大変心を痛めておりました。
しかし、車の中から見ておりますと、前回訪問した時と変わらず、美しい風景が広がっており、安心するとともに、復興に努力されている皆さまに敬意を評したいと思います。
八年前に松島を訪問した際、私と家内が作った俳句の句碑が、瑞巌寺に建てられたことは、たくさんの方から聞いておりました。
松尾芭蕉は、松島の風景が余りにも美しすぎて俳句を作れなかったと聞いておりましたので、恥ずかしながら「それでは、私と家内でちょっと作ってみましょうか」と言って作ったのが、二つの俳句です。
私は「松島や 光と影のまぶしかり」と読み、家内は「松島や ロマンささやく夏の海」と作りました。
あの時、家内から「光と影」と読んだら、雨が降った時どうするのか、と笑われたことを思い出します。
その後、日本李登輝友の会・宮城県支部の皆さまが大変努力されて、瑞巌寺に句碑が建てられたと聞いたとき、これは「ノーベル賞以上の栄誉だ」と感激したものです。
そして、次回、日本に行く機会があったら、再び松島を訪れて句碑を見に行こうと、常々、家内と話していたのです。
今日やっとその願いが叶い、午後に瑞巌寺を再び訪問することが出来ました。
台湾へ帰りましたら、家内にも、たくさんの方々から盛大に歓迎していただいたことを報告したいと思います。
明日、私は台湾へ帰りますが、再び仙台や松島を訪問出来たことは一生の思い出です。
今回、準備してくださった方々、かくも盛大に歓迎していただいた方々に感謝しつつ、私の挨拶といたします。どうもありがとうございました。