12月19日、今年で13回目となる「日台共栄の夕べ」を開催しました。東京都文京区内にある拓殖大学の「後藤新平・新渡戸稲造記念講堂」において第1部の講演会、9階の展望ラウンジにおいて第2部の大忘年会を開きました。
今年も遠くは秋田、宮城、新潟、福島、静岡、岐阜、大阪、そして徳島や鹿児島から、約150名の方々が駆けつけ盛会裡に開くことができました。
小田村四郎会長の開会挨拶、来賓を代表して金美齢先生によるご挨拶に引き続き、拓殖大学前総長で学事顧問の渡辺利夫先生には、今年を締めくくるにふさわしい「戦後70年とは何であったか」と題し、約1時間のご講演をいただきました。
渡辺先生は、昨年10月26日に亡くなられた外交評論家の故岡崎久彦・本会副会長が月刊「Voice」2014年5月号に掲載し、遺作となった『国際情勢判断 半世紀』(育鵬社、2015年4月)にも所収されている「歪められた戦後の“歴史問題”」で指摘していた3つの問題提起を基に、教科書問題、靖国問題、従軍慰安婦問題などの歴史認識問題の淵源はいったいどこにあったのかと問い掛け、戦後35年を経た1980年まで一度も取り上げられたことのないこの歴史認識問題は、実にすべて日本人の手によって提起されたことを紹介。
つまり、歴史認識問題とは「メイド・イン・ジャパン」であり、中国や韓国が作り出した問題ではないことを指摘。日中でも日韓でもなく、日日問題であると指摘。
また、この歴史認識問題は、7年の長きに及んだ連合国軍による軍事占領がその後の日本人指導者となる人々に与えた影響も見逃せず、アメリカの初期占領政策が左翼マルキストに引き継がれて温存されたとする岡崎氏のオリジナル分析を紹介しつつ、戦後70年は、日本人左翼マルキストから仕掛けられた「歴史認識」という大戦争に立ち向かう意思を確認した年であり、具体的に反駁行動に出た年でもあったと総括的に述べられました。
黄文雄・副会長による閉会挨拶の後は、会場を西に富士山、東にスカイツリーを望む絶景が楽しめる展望ラウンジに移して第2部の大忘年会。川村純彦・副会長の開会挨拶の後、小池百合子・衆議院議員、池田維・交流協会台北事務所元代表、門田隆将・ノンフィクション作家の方々が来賓を代表してご挨拶いただき、呉竹会・アジアフォーラムの頭山興助会長による乾杯のご発声で清宴に。
宴もたけなわとなったころ、柿澤未知・交流協会総務部長、河崎裕和・後藤新平翁令孫、王明理・台湾独立建国聯盟日本本部委員長、島村泰治・翻訳家、佐藤健一・高士神社宮司などからそれぞれ興味深いお話をいただきました。
引き続き、恒例の「お楽しみ抽選会」が行われ、李登輝元総統からいただいた花瓶や台湾の高級ホテル宿泊券、台湾食材を使った熱々の台鉄弁当、台湾が世界に誇るKAVALANウイスキー、美味しい台湾の白柚などが当たり、おおいに盛り上がりました。金美齢先生からは今年も立派なカラスミをご提供いただき、頭山興助先生からもワインとヒートテック製品をご提供いただきました。
クジを引いていただいたのは主に金美齢先生などのご来賓の方々でしたが、大忘年会の途中から、李登輝元総統ご来日でお世話になった台北駐日経済文化代表処の張淑玲・政務部長や岸信夫・衆議院議員事務所の永瀬秘書も参加されましたので、急遽、くじ引きをしていただきました。
景品をご提供いただきました、ダイナスティーホリデー、チャイナエアライン、エバー航空、台湾観光協会、台北駐日経済文化代表処、劉の店、産経新聞正論調査室、台湾物産館、金美齢先生、頭山興助先生に、この場を借りて深く御礼申し上げます。
最後に、辻井正房・常務理事の閉会挨拶。そして、本会理事で拓殖大学時代は応援団長として活躍した服部朋秋氏による締めの万歳三唱をもって今年の「日台共栄の夕べ」をつつがなく終えることができました。改めてご参加いただいた方々に御礼申し上げます。