台湾紙・聯合報の報道によれば、苗栗県政府は日本時代の通霄神社社務所の修復工事を来年にも着工することを決めた。
昭和12年(1937年)、当時の新竹州苗栗郡通霄荘外員山(現在の苗栗県通霄鎮)に無格社として創建された通霄神社は、戦後に忠烈祠として使われ、2002年11月には苗栗県の歴史建築物に指定された。
そのため、県政府は予算を計上して本殿基礎部分や拝殿、参道、鳥居などの修復工事を推し進めたものの、敷地内にあった社務所や休憩所には居住者がいたため、手付かずのまま残ってしまったという。
戦後間もなくの時期から住み着いているという老婦人は、国民党とともに台湾へ渡ってきた軍人の家族で、地元役場や県政府文化観光局の再三の説得に対しても「合法的に使用している。補償がないなら出て行かない」と抗弁し続けたために修復することが出来なかった。
ただ、木造建築である社務所の老朽化は激しく、柱や梁の痛み、雨漏り、屋根の剥がれなども見られて危険なことから、老婦人の家族が説得して引っ越しすることに同意したという。
現在、社務所の主桁(しゅげた)が老朽化したことで建物全体が傾いており、すでに建物を保護するための足場が組まれている。
鎮民代表の傅郁揚氏によれば、修復工事はまず建物の解体から始め、瓦屋根は逐一番号を振ってその位置を記録するとともに、再利用できるか、同素材の瓦を用いるかを決め、梁や柱については解体後に状況を確認したうえで、その後どのように修復工事を進めていくかを決めるとしている。
県政府によれば、修復費用予算はおよそ1800万元。今年夏にも予算計上され、順調にいけば来年には工事に着手できる見通し。
なお、通霄神社がある虎頭山頂には日本時代に建てられた「日露戰役望樓紀念碑」が残されている。日露戰役望樓紀念碑」は日露戦争の勝利を記念し建立されたものだが、建立の経緯には次のように書かれている。
「バルチック艦隊が日本へ向かうには台湾海峡を通過すると見た日本軍部は虎頭山に監視所を設置、通信兵を派遣して日夜海上の動静を観察させた。結果、バルチック艦隊が台湾海峡を通過するのを発見。これが日露戦争勝利に大きく貢献したとされ、大正時代に砲身とイカリを形どった記念碑が建立された」。
ただ、バルチック艦隊は台湾の東側を北上したため、台湾海峡は通過しておらず史実と異なる点が指摘されている。
戦後、この記念碑も、当時台湾にあった多くの記念碑と同様、国民党によって文言を削り取られ「台湾光復紀念碑」とに変えられてしまっている。
【台湾での報道をまとめたものに、本会台北事務所で加筆したものです】