産経新聞【産経抄】
台湾南部地震、人災の恐怖(2月9日)

2400人以上の人が亡くなった台湾大地震は、1999年9月21日未明に発生した。当時の李登輝総統は、夜が明けるとすぐに現場に急行する。夕方、台北の総統府に戻るまで、各地で悲惨な状況を確認し、救助に全力をあげるよう指示した。

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現役総統として陣頭指揮をとった李登輝総統の回想録(左は台湾で出版された中国語版、右はPHPから出版された日本語版)

▼こうした現地視察は、その後1カ月間、連日続いた(『李登輝台湾大地震救災日記』PHP研究所)。その4年前の阪神・淡路大震災の発生直後、なすすべもなく、ただテレビに見入っていた、村山富市首相とは大違いである。

▼李総統は、倒壊したビルの現場で、子供2人を失った母親から悲痛な訴えを聞く。違法な建築が招いた、結果だというのだ。「もし、誰かの不正な行為が、家族を引き裂く悲劇を生んだとしたなら、絶対に許されないことだ」。激しい憤りを書き残しているのだが。

▼台湾南部で6日起きた地震で倒壊した台南市の高層マンションには、まだ多数の住民が取り残されている。行方不明者の家族が見守るなか、懸命の救出作業が続いているが、難航しているもようだ。

▼16階建てのマンションの1階には商店が入り、壁がほとんどない。この部分の柱が壊れて、建物全体が横倒しになったとみられる。コンクリートの柱には、塗料などの缶が多数埋められていた。ビルの施工業者に事情を聴こうとしても、行方をくらましている。実はこれらの問題は、欠陥建築の横行が発覚した台湾大地震で、すでに指摘されていた。

▼確かに、台湾当局は大地震を受けて、建築基準を改正し、最近の建物は耐震性が高いという。では、倒壊した高層マンションのように、それ以前に建てられたビルについては、野放しのままなのか。同じ地震国の日本にとって、人災の恐怖は人ごとではない。