台北駅そばの忠孝西路と中山南路の交差点といえば、付近には行政院や立法院などの諸官庁が並び、まさに「台湾の霞が関」の玄関ともいえる場所だ。近くには日本人にもお馴染みのホテルが並び、観光客にとっても見慣れた風景のひとつといえるだろう。

今週から、この交差点にあった旧台北市議会の建物の撤去が始まり、すでに大方は取り壊しが済んで整地が進められている。敷地は1万3,000坪、台北市政府はそのうち5000坪を使ってNGO団体のオフィスや台北をテーマにしたパビリオンを建設する予定だという。

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監察院のお向かい、行政院の斜向かいというロケーションはまさに「台湾の霞が関」の表玄関だ

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今週、撤去が進められた際の風景

戦後、台北市議会は長らく西門町の中山堂(日本時代の台北公会堂)を議場として流用していた。1964年に中山南路と忠孝西路の交差点に議会を建設して移転。1990年に現在の仁愛路四段に三代目の新議会が建設されて移転するまで20年以上にわたって使われていた。

その後、建物は台北市警察局の中正一分局に引き継がれたが、老朽化による雨漏りや悪臭によって2007年に分局が撤退すると、その後は使われることなく放置され、壁面が広告看板として貸し出されるのみになり、市民からは「お化け屋敷」と呼ばれることさえあった。

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当時の風景の一コマ。壁面には蒋介石総統の再任を求める標語がみえる(中央通訊社の報道より)

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この佇まいは台北市民にも観光客にも長らくおなじみだった

台北駅近くの街並みは比較的古い建物が多く集まっているが、今般の旧議会撤去によって台北市民に長らくおなじみだった風景も一変することになるだろう。

また、この中山南路と忠孝西路の交差点は、戦後の台北の移り変わりを見つめ続けてきた場所でもある。

1955年2月、渋滞解消のため、まだ当時地下化されていなかった台湾鉄道を跨ぐかたちで中山北路に陸橋の復興橋が落成、台湾初の立体交差となった。その後、台湾鉄路が地下化されると復興橋の存在意義がなくなってしまい撤去が決定。1995年7月に撤去が進められ、40年にわたる使­命を終えた。中山北路に架かる陸橋の風景は、ある年代以上の台北市民には懐かしい景色ともいえよう。この復興橋の名残は、交差点にある郵便局に「復興橋郵局(分局)」として残されている。

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忠孝西路を跨ぐ復興橋。左に見えるのは当時の台北市議会(行政院新聞局の資料庫より)

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北から南を俯瞰した復興橋の風景。右奥に台北市議会の建物が見える(文化部国家文化資料庫の資料より)

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現在でも郵便局に「復興橋」の名残が残っている