陳澄波氏の作品と孫の陳立栢さん(中央社の報道より)

山口県出身で、熊本県知事や貴族院議員などをつとめた後、大正15年(1926年) 7月、第11代台湾総督に就いた上山満之進(かみやま・みつのしん)は、約2年の在任中、台湾銀行の立て直しや台北帝国大学の設立開学、建功神社の創建などに力を尽くしている。

惜しくも、昭和3年(1928年)5月に起こった朝鮮人による久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)の暗殺未遂事件(台中不敬事件)の責めを負って辞任している。

上山は台湾総督を辞するにあたり「台湾の風景を日本に持ち帰りたいとの思いから」台湾人画家の陳澄波に絵の制作を依頼したという。3年ほど前、その絵が防府市立防府図書館の書庫から元龍谷大教授の児玉識(こだま・しき)さんによって発見され、この絵を縁に、児玉さんが陳澄波の故郷である嘉義を訪れ、最近は山口大学の教授や学生も嘉義を訪問するなど交流が続いているという。中央通信社の記事を下記に紹介したい。

ちなみに、陳澄波は1924年に東京美術学校(現東京芸術大)に留学し、卒業後は上海に渡って新華芸術専科学校教授を務めた後に台湾に戻ったが、1947年2月に起こった二二八事件で処刑されている。

また、陳澄波に関しては、美術評論家の森美根子氏による『台湾を描いた画家たち』(産経新聞出版、2010年10月刊)があり、睨蒋懐、黄土水、陳澄波といった台湾画壇第一世代の18人の画家を紹介し、「台湾美術啓蒙の父」石川欽一郎(いしかわ・きんいちろう)をはじめ塩月桃甫(しおづき・とうほ)、立石鐵臣(たていし・てつおみ)という台湾美術界の発展に貢献した3人の日本人も描いている。本書は、絵画における日台交流史を描いた点で、本邦初と言ってよい佳品。


台湾総督と画家つなぐ日本統治時代の絵画、日本の学者らが背景探りに訪台

【中央通信社:2016年3月25日】

山口県立大学国際文化学部の教員と学生の一行は24日、日本統治時代に活躍した台湾の画家、陳澄波の理念やその故郷である嘉義について理解を深めようと、陳の作品を紹介する展示室が設置されている嘉義市立博物館を訪問した。訪問の背景には、昨年山口県内の図書館で見つかった陳の絵画の存在がある。

その作品「東台湾臨海道路」は、第11代台湾総督を務めた上山満之進が退任前、台湾の風景を日本に持ち帰りたいとの思いから、陳に依頼して製作した絵画。防府市立防府図書館の書庫に眠っていたところを、同市の歴史執筆に携わる研究者の児玉識さんによって発見された。同図書館は上山が遺した資金で建てられた三哲文庫を前身としており、陳の絵画は開館時に上山家から市に寄贈されていた。

児玉さんは陳澄波文化基金会に連絡した後、昨年8月に訪台。陳の孫で、基金会董事長(会長)の陳立栢さんらとともに絵画が描かれた場所を探し出した。

この日博物館を訪問した安渓遊地教授によると、一行は滞在中、上山が阿里山を視察した際の路線も巡る。上山が陳に製作を依頼した理由を探りたいとしている。

立栢さんは、作品が85年後に日本で見つかったのは「奇妙な縁」だと語る。児玉さんから連絡を受けて作品を確認しに行った際、保存状態が良好なことに驚いたという。だが、現在分かっているのは表面的な情報だけだとし、作品の背後にある意味の探求はスタート地点に立ったばかりだと今後の研究に期待を示した。