蔡英文総統の就任演説を巡っては、日本でもほとんどのメディアが報道し、大手紙も社説などで論評している。その多くは、中国との関係に言及した部分に焦点を当てているようだ。
しかし、その大半は内政問題に費やされている。演説の冒頭で「若者のためにより良い国を作る」として、若者の境遇を改善すると表明している。次に「台湾の経済構造の転換は、新政権が負うべき最も困難な使命だ」として、「イノベーション、就業、分配を核心的な価値とし、持続的な発展を追求する新たな経済モデルを打ち立てる」と宣している。
また、年金問題では、「年金改革国是会議」開いて「1年以内に実行できる改革案を提示する」とし、過去の歴史を処理するために総統府に「真相・和解委員会」を設け、司法が人々の信任を失っている現状を改革するため「10月に『司法国是会議』を開く」とも述べている。
この後で「地域の平和で安定した発展と両岸関係」に言及し、「歴史の事実を尊重する」として、中国とのいわゆる「92年コンセンサス」に触れ、最後の「外交と世界的な課題」のところで「米国、日本、欧州を含む友好的な民主主義国家との関係を深化させ、共通の価値観の基礎の上に、全方位の協力を推進する」と表明している。
蔡英文総統の演説の最後は「われわれは民主を守り、自由を守り、この国を守る台湾人になろう。皆さん、ありがとう」で結んでいる。
李登輝総統はこの就任演説について「とても良い。百点満点だ」と高評されたことを先に紹介したが、まず冒頭で「若者のためにより良い国を作る」として若者の境遇を改善すると表明し、年金と司法の国是会議を開き、「真相・和解委員会」を設置すると言及したことや、中国との関係も「92年以降、20余年の双方の交流と協議の積み重ねで形成された現状と成果を、両岸は共に大切にし守るべき」としたこと、また日米欧に言及したことをもって高く評価したのかもしれない。
産経新聞がこの就任演説の概要を掲載している。紹介するにはかなりの長文だが、就任演説の概要を知りたい方にはとても助かる記事だ。下記にご紹介したい。
蔡英文総統の就任演説概要「民主的、自由な生活方式を強い信念で守る」「若者の未来は政府の責任」
【産経新聞:2016年5月22日】
台湾で20日に就任した民主進歩党の蔡英文総統が、台北市内の総統府前で行った就任演説の概要は以下の通り。
◆感謝と責任
「私と陳建仁氏は総統府内で宣誓し中華民国第14代正副総統に就任した。この国の民主制度に感謝する。平和的な選挙を経て3回目の政権交代が実現した。各種の不確定要素を克服し、順調に4カ月の政権交代期を過ぎ、平和的な政権移行が完了した」
「台湾は再び、民主的で自由な生活方式を強い信念で守ることを世界に告げた。人々が新総統、新政権に期待するのは『問題の解決』だ。台湾の状況は困難であり、国民同胞全員にこの国の未来を一緒に担うよう求める」
「国家は指導者によってではなく、国民全体の奮闘によって偉大になる。総統が団結させるべきは国家全体だ。団結は変化のためであり、この国が切実に期待するものだ。先入観と過去の対立を捨て、新時代の使命を成し遂げよう」
「総統として宣言する。私と新政権は、この国の改革を導き絶対に退かない」
◆若者のためにより良い国を作る
「年金制度は改革せねば破産する。教育制度は社会の動きと乖離(かいり)している。エネルギーと資源は限りがあり、経済は勢いに欠け、旧来の受託生産方式はボトルネックに直面している。新たな経済成長モデルが必要だ。人口構造は急速に高齢化しているが、高齢者介護制度は完備されていない。出生率は下がり続けるが、託児制度はめども立たない。環境汚染は深刻だ。国家財政は楽観できない。司法は人々の信頼を失っている。食品安全問題は家庭を悩ませている。貧富の格差は深刻化し、社会のセーフティーネットは穴が多い。最も重要なのは、若者の低賃金だ。彼らの人生は未来への無力感で満ちている」
「若者の未来は政府の責任だ。構造が変らなければ、若者全体の境遇は良くならない。私は一歩ずつ、根本の構造からこの国の問題を解決する。若者の昇給を直ちに実現することはできないが、新政権が直ちに行動を開始することを約束する」
「若者の境遇を改善することは、国家の境遇を改善することだ。若者に未来がなければ、その国の未来もない。若者が苦境を突破することを助け、世代間の正義を実現し、より良い国を次の世代に引き継ぐことが、新政権の責任だ」
◆経済構造の転換
「より良い国を作るため、新政権は以下のことを成し遂げる。まず、台湾の経済構造の転換は、新政権が負うべき最も困難な使命だ。むやみに卑下し自信を失ってはならない。台湾には他国にない優位性がある。海洋経済の活力と強靭(きょうじん)性、高い品質の人材資源、実務的で信頼できるエンジニア文化、整った産業チェーン、活発な中小企業、絶対不屈の創業精神がある」
「台湾経済を完全に生まれ変らせるには、今から決心し、勇気を持ってもう一つの道に歩き出す必
要がある。台湾の経済発展の新たなモデルを打ち出すことだ」
「新政権は、イノベーション、就業、分配を核心的な価値とし、持続的な発展を追求する新たな経済モデルを打ち立てる。改革の第一歩は、経済の活力と自主性を強化し、世界および地域との連携を強め、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)・東アジア地域包括的経済連携(RCEP)を含む多国間および二国間の経済協力・自由貿易交渉に積極的に参加し、『新南向政策』を進め、対外経済の構造と多元性を高め、過去の単一市場に過度に依頼していた現象に別れを告げることだ」
「新たな成長エネルギーを刺激してこそ、目前の景気低迷を突破できる。輸出と内需を2つのエンジンとし、企業の生産と人々の生活を表裏一体として、対外貿易と地元経済を緊密に結び付ける」
「5大イノベーション研究開発計画を優先的に推進し、これらの産業により、台湾の世界的競争力を新たに生み出す。労働生産性を高め、労働者の権益を保障することで、賃金と経済成長を同時に上昇させる」
「環境への責任も忘れてはならない。経済発展の新たなモデルは国土計画、地域の発展と環境の永続性と相互に結びついている。汚染管理を厳しく査定し、台湾を循環型経済に向かわせ、廃棄物を再生資源に転換する。エネルギーの選択は永続性の概念で段階的に調整する。気候変動、国土保全、災害防止に厳粛に臨む。なぜなら地球は一つしかなく、台湾も一つしかないからだ」
◆社会のセーフティーネット強化
「2つ目は台湾社会のセーフティーネットの強化だ。近年、児童・少年の安全に関する事件と無差別殺人事件が発生し、社会を驚かせた。政府は驚いているだけでなく、思いやりが必要だ。誰も被害者家族の代わりに痛みを引き受けることはできない。だが、政府、特に第一線にいる者は、被害者と家族に、政府は彼らの側にいると感じさせる必要がある」
「政府はさらに解決の方法を提示すべきだ。悲劇の再発を防ぎ、治安、教育、心の健康、ソーシャルワークなどの各方面から(セーフティーネットの)穴を防ぐ。特に治安と薬物対策に最も厳粛な態度と行動で立ち向かう」
「年金改革は台湾の生存と発展に関する肝要な改革であり、躊躇(ちゅうちょ)しても拙速でもいけない。陳建仁副総統が議長を担う『年金改革委員会』は着々と準備中だ。過去の政権も一定の努力はしたが、社会の参与を欠いた。新政権は集団的な協議を開始する。年金改革は、協議ですべての関係者を団結させる過程でなければならない」
「このため、『年金改革国是会議』を開催する。異なる階層と職業の代表が協議する。1年以内に実行できる改革案を提示する。労働者でも公務員でも、退職後の生活は公平な保障を受けられるべきだ」
「高齢者介護では、優良で安価で普及できるシステムを築く。政府が計画し、民間がコミュニティー精神を発揮するのを奨励し、社会の相互扶助の力を通じ、適切で完全な体系を整える。高齢者介護は完全な自由市場にはできない。責任を持ち、一歩ずつ計画・執行し、超高齢社会の到来に備える」
◆社会の公平と正義
「3つ目は、社会の公平性と正義だ。新政権は引き続き市民社会と協力し、政策を多元性、平等、開放、透明性、人権という価値に合致させ、台湾の民主制度を深化・進化させる」
「新たな民主制度を始める上で、過去に向き合う共通の方法を探し出す必要がある。総統府に『真相・和解委員会』を設け、最も誠実かつ慎重な態度で過去の歴史を処理する。移行期正義を追求する目的は社会の真の和解であり、全ての台湾人にその時代の過ちから学ばせることだ」
「真相の調査と整理から始め、約3年以内に移行期正義の調査報告書を完成させる。調査が示す真相に基づき、後続の作業を行う。真相を掘り出し、傷跡を癒し、責任を明確にする。その後は、過去の歴史は台湾が分裂する原因ではなくなり、共に前進するための力となる」
「同じ原則で、先住民の問題に向き合う。この島にやってきた順番を忘れてはならない。新政権は謝罪の態度で先住民の関連する問題に向き合い、歴史観の再建、段階的な自治の推進、言語と文化の復活、生活支援の強化に取り組む」
「司法改革も積極的に進める。司法は人々の信任を失い、犯罪に対応できず、正義を実現する最後の一線の機能を失ったと、多くの人々が感じている」
「新政権の決意を示すため、10月に『司法国是会議』を開く。人々の参加を通じ、社会の力を呼び込み、司法改革を推進する。司法は法律家だけの司法であってはならず、全国民の司法であるべきだ。司法関係者だけでなく、全国民が参加する改革だ」
◆地域の平和で安定した発展と両岸関係
「4つ目は、地域の平和で安定した発展と両岸関係の適切な処理だ。過去30年、アジアも世界も変動が最も激しい時期だった。世界と地域の経済の安定、集団的な安全も、各国政府がますます関心を持つ課題だ」
「台湾は地域の発展の中で、一貫して欠かせない重要な役割を担ってきた。だが、近年、地域の情勢は急激に変動している。台湾が自らの実力と交渉カードを活用し、地域の関係に積極的に参与していかなければ、取るに足らない存在となり、ひいては周辺化され、未来の自主権を失いかねない」
「危機はあるが転機もある。台湾の現段階の経済発展は、地域の多数の国家と高度に関連し相互に補完している。経済発展の新たなモデルを築く努力で、アジアさらにはアジア太平洋地域の国家と協力し、未来の発展戦略を共同で形作れれば、地域の経済のイノベーション、構造調整、永続的な発展に積極的に貢献できるだけでなく、地域内の構成員と緊密な『経済共同体』意識を打ち立てることができる」
「他国と資源、人材と市場を共有し、経済規模を拡大して資源を有効利用する。『新南向政策』はこの精神に基づいている。科学技術、文化と経済貿易などの各レベルで、地域の構成員と幅広い交流と協力を行う。東南アジア諸国連合(ASEAN)とインドとの多元的な関係を増進する。このため、対岸(中国)とも地域の発展に共同で参与する関連の議題について、率直に意見交換し、各種の連携と協力の可能性を探る」
「積極的な経済発展と同時に、アジア太平洋地域の安全保障情勢もますます複雑化し、両岸(中台)関係も地域の平和と集団的な安全保障体制を築く重要な一部分となっている。この構築の過程に、台湾は『確固たる平和の守護者』として積極的に参与し、絶対に欠席しない。両岸関係の平和と安定維持に全力を尽くす。(台湾)内部の和解促進に努力し、民主的メカニズムの強化と合意形成で、対外的に一致した立場を形作る」
「対話と意思疎通は、目標を達成する上で最も重要なカギだ。台湾はまた『平和に向け積極的に意思疎通を図る者』となり、関係する各方面と常態化し緊密な意思疎通メカニズムを築く。常に意見交換し、誤った判断を防ぎ、相互の信頼関係を築き、紛争を効果的に解決する。平和原則と利益共有の原則を守り、関連の争議を処理する」
「私は中華民国憲法に基づき総統に当選し、中華民国の主権と領土を守る責任がある。東シナ海と南シナ海問題に対し、争議を棚上げし共同開発すべきだと主張する」
「両岸の対話と意思疎通では、現有のメカニズムの維持に努める。1992年、両岸の両会(双方の窓口機関)が相互理解と求同存異(共通点を求めて相違点を残す)という政治的な考え方を守って協議を行い、若干の共同の認知と了解に達した。私はこの歴史の事実を尊重する。92年以降、20余年の双方の交流と協議の積み重ねで形成された現状と成果を、両岸は共に大切にし守るべきであり、この既存の事実と政治的基礎の上で、両岸関係の平和で安定した発展を推進し続けるべきだ。新政権は、中華民国憲法、両岸人民関係条例およびその他関連の法律に基づき、両岸の事務を処理する。両岸の2つの政権党は過去の重荷を下ろし、良性の対話を進め、両岸の人々に幸福をもたらすべきだ」
「私が述べた既存の政治的基礎には、いくつかの重要な要素がある。第1に、1992年に両岸の両会による会談という歴史の事実と求同存異という共同の認知。これが歴史の事実だ。第2に、中華民国の現行の憲政体制。第3に、両岸の過去20余年の協議と相互交流による成果。第4に、台湾の民主主義の原則と普遍的な民意だ」
◆外交と世界的な課題
「5つ目は、地球市民の責任を果たし、外交と世界的な課題で貢献することだ。台湾を世界に踏み出させる一方、世界を台湾に呼び込む」
「(式典)会場には各国から来た多数の元首と使節団がいる。長期にわたり台湾を助け、台湾が国際社会参与する機会を持てるようにしてくれたことに感謝する。今後も政府間交流や企業投資、民間協力の各種方式で、台湾が発展した経験を共有し、友好国との間 に永続的なパートナー関係を築いていく」
「台湾は地球市民社会の模範生だ。民主化以降、平和、自由、民主と人権という普遍的な価値を堅持してきた。この精神を守り、世界的な課題に関する『価値の同盟』に加わる。引き続き米国、日本、欧州を含む友好的な民主主義国家との関係を深化させ、共通の価値観の基礎の上に、全方位の協力を推進する」
「国際経済貿易協力とルール策定に積極的に参加し、世界の経済秩序を守り、重要な地域的経済貿易体系に加入する。地球温暖化防止や気候変動の課題でも欠席しない。行政院に、エネルギーとCO2排出削減に専門で取り組む部署を設置し、COP21パリ協定の規定に基づき、定期的に温室効果ガスの削減目標を検討し、友好国と手を取り、共同で持続可能な地球を守る」
「人道救助、医療支援、疾病の予防と研究、対テロ協力、国際犯罪の共同捜査を含む地球規模の新たな課題での国際間協力を支持し、参加し、台湾を国際社会に不可欠なパートナーとする」
◆結び
「1996年の台湾初の総統直接選から今日までちょうど20年。過去20年、何代もの政府と市民社会の努力で、多くの新興民主国が直面する難関を越えてきた。この過程で、多くの感動的な瞬間と物語があったが、世界の他の国と同様、焦りや不安、矛盾と対立を経験した」
「われわれは社会の対立を目にしてきた。進歩と保守の対立、環境と開発の対立、そして政治的イデオロギーの対立。対立は、かつて選挙時の動員のエネルギーとなったが、対立により、われわれの民主主義は徐々に問題解決の能力を失った」
「民主主義は一つの過程だ。どの時代の政治家も、その肩に負うべき責任を明確に認識すべきだ。民主主義は前進するが、後退する可能性もある。私はここに立ち、皆さんに訴えたい。後退はわれわれの選択肢ではない。新政権の責任は、台湾の民主を次の段階に推し進めることだ。以前の民主は選挙の勝敗だったが、現在の民主は人々の幸福に関するものだ。以前の民主は2つの価値観の対立だったが、現在の民主は異なる価値観の対話だ」
「イデオロギーによって縛られることのない『団結の民主』を作り、社会と経済の問題に対応できる『効率的な民主』を作り、本当に人々の面倒を見る『実務的な民主』を作ることが、新時代の意義だ」
「信じさえすれば新時代は訪れる。この国家の主人に確固たる信念があれば、新時代は必ずこの世代の人々の手の中に生まれる」
「親愛なる台湾の皆さん、演説は終わり、改革が始まる。今この時から、この国の重荷は新政権に任される。私は皆さんに、この国の変化を見せる」
「歴史はこの勇敢な世代を記憶するだろう。この国の繁栄と尊厳、団結、自信、社会正義には、われわれの努力の跡がある。われわれは2016年、一緒に国家を新たな方向へと連れて行く。この土地の一人ひとりが台湾の改変に参加することで、誇りを感じるだろう」
「先ほどの演目の中の1曲の歌に、感動する一言がある。(台湾語で)今がその日だ、勇敢な台湾人よ」
「国民同胞、2300万人の台湾人民よ、待つのは終わった。今がその日だ。今日、明日、将来の一日一日、われわれは民主を守り、自由を守り、この国を守る台湾人になろう。皆さん、ありがとう」