本日午後2時から石垣市内のホテルで開かれた講演会には、全国から500人を超える人々が集い、李総統は「地方から発信する日台交流の深化─石垣島の歴史発展から提言する日台交流のモデル」と題して30分ほどの講演に臨まれた。
李総統は、台湾からパイナップル栽培や水牛耕作が石垣島に持ち込まれた歴史に言及し、戦前・戦後を通じて密接な関係にあることを強調、日台間交流の深化のモデルになると述べた。
講演に先立ち、来賓の謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表が挨拶し、また風邪で参加できなかった本会の渡辺利夫会長からのメッセージが司会の伊藤純子・群馬県伊勢崎市議から披露された。
閉会挨拶としての謝辞は、国際教養大学教授で元仙台市長の梅原克彦(うめはら・かつひこ)本会常務理事が述べ、2007年のご来日で「講演しない」「記者会見しない」「政治家と会わない」「東京に入らない」とされていた禁止事項が解かれたことなどを紹介しつつ、それ以降のご来日の模様も紹介した。
講演会の模様は産経新聞や共同通信などが報じているが、ここでは地元紙の「八重山毎日新聞」の記事をご紹介したい。
さらに、本日午後5時30分から同ホテルで開かれた歓迎レセプションにも200人ほどの人々が参集し、吉田市長の主催者挨拶、中山市長や稲嶺惠一(いなみね・けいいち)元沖縄県知事の歓迎の挨拶に引き続き、李総統が登壇、改めて石垣島と台湾の深い関係に言及された。
全国市長会副会長の松浦正人(まつうら・まさと)防府市長の乾杯の発声で清宴が始まり、会場いっぱいに並べられた丸テーブルでは話が弾む一方、李総統のテーブルには挨拶に訪れる人々が列をなし、李総統が食事もそこそこにお相手される様子が印象的だった。
お開きの時間が迫り、締めのご挨拶は、昨年、衆議院第一議員会館での李総統講演会を招聘した前参議院議員で、先日、李登輝基金会最高顧問に就いた江口克彦(えぐち・かつひこ)氏。日本と台湾の結びつきは李総統によって果たされてきたところが多いことなどを感銘深く紹介し、歓迎レセプションはつつがなく閉会となった。
台湾移民の歴史に誇り 李登輝氏が初の講演
【八重山毎日新聞:2016年8月1日】
◆日台交流のモデルと強調
日本青年市長会(*)などの招きで来島中の台湾元総統の李登輝氏(93)は7月31日、市内ホテルで講演した。台湾から石垣島に移住してきた人たちが地域と共存共栄しながらパイナップル産業など農業振興に貢献した歴史を紹介し、「私も誇りに感じている。日台交流を深化させるモデルになる」と強調した。
*日本青年市長会ではなく全国青年市長会が正確な名称(本誌編集部)
李氏は、日本統治下時代から続く交易、台湾人が導入したパイナップルと栽培・加工技術、水牛を使った農法など、戦前戦後の歴史的なつながりを説明。「今や石垣島を代表する果物になったパインは、台湾からやってきた人たちがマラリアと闘い、地元との融和を図りながら根付かせたもの。台湾からやってきた人々は言葉にできない苦労を重ね、今日の発展につなげた。その努力を誇りに感じる。石垣の人たちが台湾人と融和し、共存共栄していることに感謝したい」と述べた。
その上で「台湾も日本も運命共同体。政治的な国交はないものの、経済面や文化面では密接な関係を維持し続けている。石垣島の例は、日台間協力関係を築く上でモデルになる」と提起。
具体的に協力できる分野として、あらゆるモノがインターネットでつながるIoT(モノのインターネット)を挙げ、「日本企業の研究開発力と台湾の生産技術が力を合わせれば、世界市場を制覇することも夢ではない」と語った。
尖閣諸島をめぐる領有権の問題などには言及しなかった。
講演に先立ち、中山義隆市長は「元総統の来島は、台湾との交流の歴史に光り輝く大きな1ページになる」と歓迎のあいさつをした。
同日夕は、歓迎レセプションが行われた。