渡辺利夫・本会会長(拓殖大学学事顧問)が、本日付の産経新聞「正論」欄に「台湾の『現状維持』は後退しない」を寄稿されました。

去る11月23日から26日にかけ、本会では渡辺利夫会長を団長に「役員・支部長訪台団」を実施し、大変実りある訪台となりました。

李登輝総統はもちろんのこと、陳建仁・副総統や邱義仁・亜東関係協会会長らとは初めて会談し、有意義な意見交換をしております。

李登輝総統も大変お元気で、訪台団メンバーと1時間の懇談後、台日文化経済協会との姉妹団体提携1周年記念の晩餐会にも臨まれ、健啖家ぶりを発揮されていました。


「台湾の『現状維持』は後退しない」

渡辺利夫(拓殖大学学事顧問)

≪中国が強要する「九二共識」≫
台湾で5月20日に民進党の蔡英文氏が総統に就任して以降、中国の台湾への圧力カードは「92年コンセンサス」(九二共識)の遵守強要となっている。実際、中国は6月25日に、蔡政権が九二共識を認めなければ当局間の連絡・交流を含め一切の交渉には応じない旨を発表した。

九二共識とは、台湾の窓口機関「海峡交流基金会」と中国側の窓口機関「海峡両岸関係協会」との1992年の香港協議において、双方が「一つの中国」(一個中国)の原則を守るものの、台湾側はその解釈は双方異なる(各自表述)とし、中国側は文字通りの一個中国を堅持するというものであったといわれる。

不思議なことに、双方ともこの合意の存在を表面化させることはしばらくはなかった。九二共識という用語自体、これが初めて用いられたのは、2000年4月28日、台湾政治大学で開かれたセミナーにおける台湾の行政院大陸委員会主任委員(当時)の発言であった。この発言がいかなる意図で重要人物によってなされたのかは不透明だが、直前の同年3月18日の総統選で民進党の陳水扁氏が当選したことに関係があると考えるのが理にかなっていよう。

ともあれ、綱領に台湾独立(台独)を標榜(ひょうぼう)する民進党政権の登場によって、中国側に台湾独立への強い警戒感が生まれ、各自表述であれ台湾を一個中国の枠内にとどめおくことに重要な意味を中国指導部は見いだしたのであろう。以来、中国は九二共識を中台双方公認の合意であるとし、これを中台関係を律する政治的基礎として位置づけるに至ったのである。

≪蔡英文氏は普遍的民意を訴えた≫
香港協議当時の総統であった李登輝氏も、香港協議に参加した海峡交流基金会理事長の辜振甫氏も九二共識の存在をそもそも認めていない。多分に「幻の合意」なのだが、そんなことを意に介する中国ではない。陳水扁8年の執政の後に総統となった国民党の馬英九氏が依拠したものが九二共識であり、馬政権時代において中台経済交流が劇的な深まりをみせた。「幻の合意」はいつの間にやら確定的な合意であるかのように「政治化」されてしまったのである。

新たに登場した蔡英文・民進党政権が九二共識の立場でないのは当然のことであろう。かといって、ここまで深く政治化された九二共識を無視して中国から無用の恫喝(どうかつ)を招く愚を彼女は犯しはしない。蔡氏が総統就任演説で中台関係に触れたのはわずかな時間であったが、その中で実に巧妙な表現術を用いていたことが私には強い印象として残されている。

1992年の香港協議で両岸が相互理解ならびに“小異を捨てて大同につく”(求同存異)という姿勢で意思疎通に努めたことは歴史的事実であり、その後中台間で積み上げられてきた交流の実績を評価する一方、台湾は「中華民国」の現行憲法体制に基づいて統治され、台湾の民主主義と普遍的民意が何よりも強く尊重されねばならない、と述べたのである。

ここでは九二共識については言及を巧みに回避した。中国側がこの演説に不満をあらわにしたことは既述の通りだが、さりとて中国側には九二共識についての蔡政権の意思を覆させる妙手があるわけではない。中国は焦慮に駆られているのだろうが、台湾独立を綱領に残しつつも、これを凍結し封印している蔡政権に対して武力侵攻に出るわけにはいかない。

武力侵攻が南・東シナ海への挑発を繰り返す中国に対しての国際的反発をさらに強めて、中国を一段と孤立させ、アジアインフラ投資銀行(AIIB)や一帯一路構想を失速させる危険性がある。

≪強化されるアイデンティティー≫
他方、台湾住民の選択肢は独立か統一かといった二項対立的なものから既に遠く隔たってしまった。92年の民主化以降、台湾住民の台湾アイデンティティー(台湾認同)はいよいよ強いものとなっている。世代交代が決定的要因であり、これは不可逆的なものである。台湾の各種世論調査は、現在30歳前後の若年層の9割以上が台湾人意識をもっていることを証している。時間の経過とともに、自らが属する政治的共同体は台湾以外にはない、そういう意識は着実に強化され住民の広範な意思となっていくにちがいない。

民主化された台湾の中で人格形成期を送ってきた若年層が、台湾の「現状維持」を肯定的に捉える以外に生きていく道はない。若年層の大半は生まれながらの台湾人(天然独)であり、「省籍矛盾」は過去のものとなりつつある。

蔡氏は台湾住民のこの現状維持の民意をくみ取って総統の座を射止めた人物である。蔡氏が中国からの度重なる政治的恐喝に屈することなく台湾住民の「民意の体現者」であることをやめない以上、その支持率に多少の変動はあっても政権の支持基盤は強固なものとなっていくにちがいない。この揺らぐ世界の中で、やはり民主主義とはしなやかなものだ、そう思わせる存在に台湾はなってほしい。