去る1月16日、来日中の頼清徳・台南市長は日本記者クラブにおいて「新時代の日台交流─震災援助で繋がる日本と台湾」と題して講演しました。講演の翌日、本誌でも「台湾にとって日本は特別な存在だということを理解した」などと述べたことを伝える産経新聞の記事をご紹介しました。
講演は「まさかの友は真の友」「日台新時代」「生命共同体」「共同誓言」の4つから成っています。「まさかの友は真の友」では台湾南部地震、東日本大震災、熊本地震に言及し、台湾南部地震の折に義援金を直接台南に届けたとして、石川県日華親善協会、日本青年交流会、日本地方議員連盟、東京都議会、読売巨人軍などとともに「日本李登輝友の会」の名前も挙げていただいています。
本会は昨年4月7日、折しも頼市長も尊敬する鄭南榕烈士ご命日の日、台南市政府に頼市長を訪ね、皆さまからの義捐金534万4,200円を直接手渡してまいりました。講演で名前を挙げていただくとは光栄かつ有難いことで、義捐金を寄せていただいた方々も喜ばれるものと拝察しております。
頼市長はまたこの講演で、李登輝元総統と同じく、日本と台湾は「生命共同体」となるべきと述べ、「台南市長として、私の政治生命において『日台間に真心のこもった繋がりを育てること』、そして『日台関係を守ること』を私の重要な任務の一つとし、最後まで貫く」と述べるなど、決意表明とも言うべき格調高い内容です。
なお、日本記者クラブのホームページでは、司会を務めた毎日新聞社専門編集委員の坂東賢治・日本記者クラブ企画委員による「会見リポート」を掲載し、YouTubeで講演の模様も掲載していますので、下記にご紹介します。
新時代の日台交流─震災援助で繋がる日本と台湾 頼清徳(台南市長)
【日本記者クラブ:2017年1月16日】
◆まさかの友は真の友
坂東賢治様、メディア関係者の皆様、ご来賓の皆様、本日はご来席、ありがとうございます。台南市長の頼清徳でございます。今回の訪日に際し、皆様にお目にかかる機会をいただいたこと、また、歴史があり権威ある日本記者クラブにおいて講演をすることができたことを非常に光栄に思っております。皆様の報道を通じ、日本の皆様に台南市民の心からの感謝の意が、そして、台湾と日本との関係についての考えが伝わることを願っております。どうぞよろしくお願い致します。
また、本日は、ジャーナリストの野嶋剛様、台南親善大使であり作家の一青妙様、そして台南市都市外交顧問の野崎孝男様にもご列席をいただいております。ありがとうございます。
本日、お話するテーマは「新時代の日台交流~震災の援助が台湾と日本を結ぶ」です。講演は、まさかの友は真の友、日台新時代、生命共同体、そして共同誓言、という4部分に分かれます。
まず、最初は「まさかの友は真の友」についてお話します。台南市では、昨年の2月6日、マグニチュード6.6の大地震が発生しました。117名の市民が被災し、1000戸以上の家屋が損壊し、台南市に大きな影響をもたらしました。本日は、講演の貴重な機会をお借りし、台南に非常に多くの援助と支援の手を差し伸べてくださった日本政府、並びに日本の各界の方々に対し、台南の全市民を代表してお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
地震発生当日、安倍首相は直ちに台湾に対し、必要な援助を送る用意があるというメッセージを送ってくださいました。そして、もっと驚かされたことには、地震発生の14時間後には、日本から予備調査隊が現地に入り、台南が何を必要としているかの調査を行ったということです。
当時、多くの国々が支援物資を送ろうとしているとき、日本は、まず台南が何を必要としているかの確認に現地入りしてくださったのです。これは、実に台南現地のことを考えてくださった上での行動だと思います。
この地震ではビルが倒懐し、多くの市民の家が失われましたが、被害が広範囲に及んだわけではなく、台湾各地からの救援で充分でしたので、各国からの救援隊の派遣はお断りすることにいたしました。
日本からは、予備調査隊の報告にもとづき、120万ドルの支援と救援物資をいただいたほか、台南市内における給水の支援もしていただきました。日本政府が積極的に、そして細かな心遣いで、台南の立場に立ち考え、必要としている支援を行ってくださったことに、非常に感動しています。
こうした日本政府からの援助のほか、私たちが感動したのは、日本の各地の団体や個人からの義援金が、次から次へと台南に送られてきたことです。当時、多くの日本の人たちが、自発的に募金活動をおこなってくださいました。仙台、名古屋、東京の街角や、石垣島の野球場、石川県金沢市などでも、台南地震への募金活動が行われました。日本のヤフーのサイトでは、「寄付と同額をYahoo!JAPANが拠出し、募金額を2倍にする」という募金活動が行われました。
義援金を直接台南にお持ち下さった方々もいらっしゃいました。時間の関係で一部だけになりますが、ご紹介します。石川県日華親善協会の長井賢誓会長、日本青年交流会の加藤秀彦会長とタイワンダー、日本李登輝友の会、網屋株式会社、日本地方議員連盟及び東京都議会、平戸市の黒田成彦市長、仙台市障害者福祉協会、雅楽師東儀秀樹氏、そして、読売巨人軍及び巨人軍OB会からも義援金をいただきました。また、お見舞の手紙もたくさんいただきました。台湾を案じ、温かく気遣う言葉でいっぱいでした。
このとき、私は実際に震災を経験した一人の台湾人として、日本は台湾にとって特別な存在なのだということを理解しました。心から日本の方々に感謝しています。本当にありがとうございました。
今、申し述べたように、昨年2月6日の台南地震では、日本から多くの支援をいただきましたが、実は、もっと前の1999年の921台湾大地震の時に、まっさきに地震の現場に救援に駆けつけてくださったのも日本からの救援隊でした。特に申し上げたいのは、当時、国会議員だった小池百合子氏が、李登輝総統とともに、台湾の被災地に足を運び、救援の第一線に立ち、実際の行動をもって日本の台湾に対する気遣いを示してくださったことです。小池氏は、昨年の夏に圧倒的多数の票を獲得して東京都知事になられました。
一方で、台湾もまた日本に非常に関心を寄せています。2011年に発生した311東日本大震災のときには、台湾全土が日本を案じ、誰もが募金を行い、誰もが日本を助けたいという思いに駆られました。台南にいた我々にも、多くの台南市民から電話が入り、台南市として具体的な行動を起こすよう求められました。
そこで、直ちにチャリティー募金活動を行ったのです。地震発生の1ヶ月後、私と頼美恵議長は、台南市民から寄せられた義援金を携え、仙台市に向かいました。地震発生後、それほど月日が経っていないときに、私たちが台南からお一見舞いに駆けつけたということに、仙台の方々は感動してくださったと聞いております。
実は台湾では、親しい友人に何かあったときには、直接出向いて手助けをするのはあたりまえのことなのです。台南市と仙台市は姉妹都市として友好な関係を築いてきました。ですので、台南市民の気持ちを、直接仙台にお届けしたというわけです。
仙台から台南に戻り、それほど経たない頃、やはり台南市の姉妹都市である日光市の齋藤文夫市長が台南を訪問され、日光へ観光に来てほしいとの要請を受けました。当時、日光市は放射能に汚染されているのではないかという風評被害のため、観光が大打撃を受けていたのです。そこで、私たちは、6月11日にチャーター便で、305名の観光親善団を日光に送り、台南からの気持ちを日光市に届けました。
昨年の台南地震から2ヶ月後、今度は熊本で大地震が発生しました。高雄市長の陳菊、台中市長の林佳龍、桃園市長の鄭文燦と私の4名は、それぞれ市長報酬の1ヶ月分にあたる義援金を送りました。また、6月には、高雄市長の陳菊とともに、高雄と台南の市民から寄せられた義援金を熊本に届け、2月の台南地震の際に日本から寄せられた心遣いと支援のお返しをいたしました。こうした台湾からの支援を、日本の方々は、喜んで受け取ってくださいました。台南にとって、これは、日本が台南地震のときに示してくださった援助に対しての感謝の気持ちのお返しでした。
昨年の9月、熊本の蒲島知事との約束を果たすべく、台南からの観光親善団の220名を率いて熊本観光をし、行動することで熊本の復興を願いました。台湾と日本が、互いに温かな気持ちで協力しあうという姿こそが、台湾と日本の関係の核心であり、最も貴重なところなのではないかと思っております。台湾と日本は、家族のような隣人なのです。
◆日台新時代
次に、二番目の「日台新時代」についてお話します。
日本と台湾との間にある友好な結びつきは、三段階に分けて説明することができます。第一段階は、第二次大戦後の「以徳報怨」時代です。「以徳報怨」は、1945年から80年代の終わり頃までの日台関係を語る上での主流な観点であり、日台間の友好関係の第一段階とすることができます。
続いては、1996年以降です。この年、台湾は総統の直接選挙が行われ、台湾社会は民主化が実現し、李登輝前総統が象徴する「日本語世代」が、このときから始まりました。戦後の日台友好の第二段階の始まりと言えるでしょう。
そして第三段階は、2011年の311大地震後です。台湾と日本は、震災の援助をきっかけとした友好関係という、日台の新時代に入ったと考えます。1999年の台湾921大地震と2016年の台南地震の際、日本は台湾に最大の関心を寄せてくださいました。
一方、日本で、311東日本大地震、熊本地震が起こった時は、台湾もまた日本に大きな関心を寄せました。このように、日本と台湾は、互いに助け合い、関心を寄せ合っています。
新時代の日台関係は、「友好な結びつき」が鍵となると考えます。「友好な結びつき」という関係は、日本と台湾の民間相互の善良な気持ちに依るものだからです。日本と心と心が繋がっている台湾にとり、日本は家族のように親しい隣人です。血のつながりが無くても、隣人は家族より親しく信頼できる関係です。これは、常日頃の生活でもよく見られることです。
このように非常に親しい隣人である私たちは、地震のような苦難に遭遇した時、ともに涙を流し、ともに悩みます。日本が2020年のオリンピック開催権を得たとき、台湾もその喜びをともに祝いました。
もちろん、台湾も日本も、それぞれの利益を顧みなければなりませんが、国の利益を超えて人々の心と心を結びつけることは、政治の重要な任務の一つでもあります。台湾と日本の心の結びつきは深く、両者の関係は新たな段階へと入ることとなりました。それは、台湾における日本の代表機関が、今年の1月1日より「日本交流協会」から正式に「日本台湾交流協会」へと名称を改めたことに表れています。これは、日台関係が新たな時代に入り、プラス方向へ安定して発展していることの象徴です。
こうした友好な結びつきに依り新たな関係を築く中で、日本と台湾の関係は、より緊密なものとなっています。観光、経済や貿易面での実質的な交流や協力も密になっています。このほか、「亜東関係協会」と「日本台湾交流協会」の枠組みの下、日本と台湾は、漁業、交通、経済貿易等の各分野に関する47項目の協定を締結しています。
こうしたさまざまな分野や、多方面に関する覚書により、日台の地方産業が連携し、双方が交流、協力を行っています。長い目で見れば、こうした関係は、日台両者にとって、最も大きな利益や効果をもたらすものと考えます。国レベルでの交流のほか、都市レベルでの日台交流も非常に頻繁に行われています。
台南と日本の交流をご紹介します。
台南市は台湾でもっとも早くから開けた町で、文化都市です。シラヤ国家風景区、台江国家風景区、雲霧南国家風景区の3つの国家風景区を有します。また、CNN、ウォール・ストリート・ジャーナル、NHKでは「美食の都」として賞賛されました。
また、台南は、台湾の22地方自治体のなかで、もっとも日本と縁の深い町でもあります。日本統治時代から残る、日本と関係が深い、建設、建築、文化が台南にはあります。建設で、もっとも有名なのは、八田與一技師が建設した「烏山頭ダム」及び「嘉南大[土川]」で、不毛の地だった嘉南平原が台湾の米倉となり、台湾の人々は、八田與一技師に非常に感謝しています。この方は、俳優の大沢たかおさんで、映画「KANO」では、八田與一技師を演じた方です。
また、濱野弥四郎技師も忘れてはなりません。濱野技師が建設した「台南水道」は、当時では、最も近代的な浄水場で、伝染病の問題を解決してくれました。
建築面でいえば、「台南州庁」が挙げられます。今は「台湾文学館」となっています。昭和天皇が皇太子時代にお泊りになった旧「台南州知事官邸」です。これは皇太子殿下お手植えのガジュマルの樹で、今は台湾の国泰グループの企業ロゴになっています。
「ハヤシ百貨店」は、当時の台湾で2番目に古い百貨店でした。今は、新興クリエイティブ百貨「林百貨」となり、「DFA Design for Asia Award─アジアデザイン賞2016」を受賞しました。ほかには、日本統治時代に高級料亭だった「鶯料理」の建物も現存しています。
台南の文化に影響を与えたものとして、特にご紹介したいのは、茨城県水戸市出身で第二次大戦時の零戦パイロット杉浦茂峰少尉のことです。杉浦少尉は米軍に撃墜された際、すぐに脱出せず、集落を避けて零戦を墜落させたために逃げ遅れ、命を落としてしまいました。当時、杉浦少尉が台南の人々のことを自分のことのように思っていたことがうかがえる話です。
台南の人たちは、杉浦少尉の犠牲を弔うために、少尉を祀る「飛虎将軍廟」を建立しました。「飛虎将軍廟」を参拝に訪れた日本の方々は、台湾の人々が日本人パイロットを祀る廟を建てお参りしていることに非常に感動し、寄付を募り神輿を製作、奉納してくださいました。一昨年の4月には、日本から200名の団体ツアーが台南を訪れ、飛虎将軍を乗せた神輿を担ぎ練り歩きました。昨年の9月には、杉浦少尉の神像が、日本へ里帰りしました。
こうした歴史に基づく繋がりのほか、台南市は、日本の多くの都市とも様々な交流を行っています。例えば、2012年、経済部工業局は「台南テクノロジー工業区」に「日台産業イノベーションパーク(TJPark)」を新設。台南と日本企業との連携強化を目指しています。
このほか、台南と日本の間には、産業、経済、観光、文化、そして教育方面での協力や交流が常に行われています。
台南にルーツを持つ蓮舫参議院議員は、昨年、日本の民進党の代表となりました。2013年には、縁戚にあたる陳唐山元台南県長とともに父の故郷である白河を訪ねています。蓮舫氏は、台湾に、そして台南に非常に関心を寄せてくださっています。2014年には、台南市が東京で開催した「陳澄波画展の開幕式」に出席してくださいました。
蓮舫氏以外にも、衆議院議員であり自民党青年局局長の小泉進次郎氏も2013年に33名の国会議員と地方幹部一行97名を率い、「八田與一紀念園区」を訪れています。2015年には、岸信夫氏等、10名の国会議員が奇美博物館をご訪問になりました。
台南にいらっしゃったときには、ぜひアジアで最も美しい西洋芸術博物館の奇美博物館においでくださいますよう、ご案内いたします。
◆生命共同体
さて、現時点における日台関係は、歴史や政治的要素により、多くの限界があります。両者間には、正式な外交関係はありませんが、「古く深いつながり」があり、また「価値を同じくし」、「地理的にも互いに助け合う」関係でもあります。ですので、今後は、さまざまな形で、両者の考えが一致する範囲で日台関係を発展させ、両者は生命共同体となるべきではないかと考えます。
そこで、三つ目のテーマを「生命共同体」とします。
日本と台湾は「生命共同体」となるべきだと考える第一の理由は、双方には「古く深いつながり」があるからです。例えば、日台間の野球の歴史からもわかるように、映画「KANO」の嘉義農林が甲子園に出場したのも「負けられない」という精神があったからです。
私が小さい頃、大人たちは、大きな困難に見舞われた時には、常に「死んでも退くな」という日本精神を持てと言っていたので、私はこの頃から日本に非常に興味をもっていました。
また、最近、大変話題となったドキュメンタリー映画「湾生回家」からも、日本と台湾の緊密な繋がりを見ることができます。「湾生」とは、1895年から1946年までの間に台湾で生まれた日本人のことを指すのですが、この「湾生」もまた、日台の古く深い繋がりの証人だと言えるでしょう。
昨年の9月、台南を訪問された、日本人最後の台南市長羽鳥又男氏の三男の羽鳥直之氏から、父の又男氏が台南の文化財を保護するために、赤嵌楼の修復に奔走した話をお聞きし大変感動しました。「海の彼方」は、台湾から八重山への移民が、80年前にどのようにして海を渡り、沖縄の八重山に根をおろしたかの歴史を描いたドキュメンタリーです。
また、先程ご紹介した作家の一青妙さんは、先日、台南に関する本を出版なさっています。台南市は、日本と台湾の両方にルーツを持つ一青妙さんに台南の親善大使をお願いし、日本と台南の交流の架け橋になっていただきたいと希望しています。
最後に、野崎孝男さんですが、記者、練馬区区議会議員を務められ、現在は、実業家として成功を収めていらっしゃいます。台南市の都市外交顧問をお願いしています。
さて、日本と台湾の間には、毎日のように、ルーツ探し、結婚、移住等の新たな物語が紡がれていますが、最近、また一つおめでたい話がありました。台南出身の卓球選手、江宏傑さんと日本の卓球選手、福原愛さんの結婚です。福原愛さんは、長年、中国で卓球をなさっていたそうで、中国の大勢のファンは中国人と結婚して中国に来てほしいと思っていたとのことですが、台湾人と結婚して、台湾にお嫁さんに来てくれました。台南に新居があるので、台南にいらっしゃれば、福原愛さんに会えるかもしれません。
日台を「生命共同体」にと考えた二つ目の理由は、台湾も日本も同じ価値観を持つと考えたからです。日本も台湾も「民主主義が深化し」、「自由を守り」、「人権を守ります」。
三つめの理由は、日本と台湾は、地理的に見て「苦楽をともにし、互いに助け合う」関係にあるからです。日本と台湾は、ともに地震の脅威があるほか、毎年、たいへん多くの台風に見舞われます。ですので、防災に関する経験や技術、人的・物的資源を共有することができます。
このほか、アジア太平洋地域の平和を守るために日台は協力し合わなければなりません。国際的に見て、台湾を守れなかったら日本に危険が及びますし、日本が危なかったら台湾にも危険が及びます。今、日本も台湾もそれぞれに十分な能力をもっています。両者が協力することで、より積極的な役割を担っていくべきではないでしょうか。日本と台湾は「生命共同体」となるべきではないでしょうか。
◆共同誓言
最後に、日台関係を前に進めるために、共同の誓言を持つべきではないかと思っています。
台湾は蔡英文総統の指揮の下、日本との協力関係を強化したい考えです。蔡総統が前行政院院長、謝長廷氏を駐日代表に任命したことは、台湾が日本を重視していることをより鮮明に表しています。謝代表も日台関係を安定させ、これが台湾の安定と発展に繋がることを強く望んでいます。
台湾の政治家として、震災の援助を経験したことで友好的な繋がりができた台南市長として、私の政治生命において「日台間に真心のこもった繋がりを育てること」、そして「日台関係を守ること」を私の重要な任務の一つとし、最後まで貫くことを、ここに皆様にお約束いたします。
私は台南市長として、今ここに、日本の地方自治体との交流の最前線に立っております。日本の各地と交流し互いに助け合うことで、日本と関連ある様々な事を、今後も引き続き深めていきたいと願っています。これからも、日本と台湾の関係が、新たな段階へと継続・発展していくよう、全力で邁進してまいります。
皆様、ご清聴、ありがとうございました。