2月28日、2・28事件から70年目を迎えたこの日、台湾では台北市をはじめ嘉義、台南、高雄、基隆、花蓮など多くの自治体で犠牲者を悼む追思会が開かれた。
台南市では二二八紀年公園において午前9時から台南市政府主催による「228和平追思会」が開かれ、頼清徳・市長をはじめ、2・28事件犠牲者の遺族として、湯聰模氏(湯徳章氏長男)や王克紹氏(王育霖氏次男)などが参列して開かれた。
日本からも、この日午後、台湾文学館の国際会議庁で講演する門田隆将氏や王育霖氏を伯父とする王明理・台湾独立建国聯盟日本本部委員長、ジャーナリストの福島香織氏などとともに、本会の「門田隆将先生2・28台湾講演ツアー」一行も参列した。
追思会では王克紹氏や頼清徳市長の挨拶後、追悼演奏会や関係者による記念植樹も行われた。
また、この日の午後、台南市台日友好交流協会(郭貞慧・理事長)などが主催した台湾文学館・国際会議庁での門田氏の講演会には頼清徳・市長や張燦鍙・元市長なども出席して開かれている。
228大虐殺70周年追悼会 挨拶原稿
台南市長 頼清徳
70年前、台湾では台湾史上現在まで影響を及ぼす重大な事件「228大虐殺」が勃発しました。なぜ70年も前の歴史を、今日再び取り上げ、記念する必要があるのでしょうか? ある歴史学者はこう言います。「歴史を理解しない民族は、無知な民族である。歴史を忘れる民族は、無情な民族である。無情かつ無知な民族は、前途の無い民族である!」と。特に現在に至るまで深く影響を及ぼしている228大虐殺について、私たちは無知であっても、それを忘れてもならず、歴史から教訓を汲み取らなくてはなりません。
第二次世界大戦後、中国国民政府が台湾の管理を引き継ぎ、台湾の民衆は全中国でも未曾有の熱情をもって、この心待ちにしていた「祖国」を迎え入れました。ところが、台湾人民が目の当たりにしたのは、政治の腐敗、特権の横行、経済の独占、生産の大下落、糧食の欠乏、物価の暴騰、激増する失業、軍紀の腐敗、盗賊の大量発生、治安の悪化、疫病の流行…でした。民たちの心は日ごとに流失していき、希望から失望へ、失望から絶望へと変わり、最終的にはある密輸タバコの取り締まりによる衝突から、228大虐殺が引き起こされました。
1947年2月27日の夜、台北市延平北路にて専売局調査員が女性タバコ販売員を殴打した事件から民衆銃殺事件が発生ました。28日に台北市民は関連機関に対し抗議を行うも結果は得られず、逆に行政長官公署による機銃掃射に遭い、取り返しのつかない事態となり、全島に広まって、各地が蜂起し、全島が激震しました。台湾の各重要市鎮からは多くの青年が武装して反抗し、政治の改革を要求しました。各階級の民意代表と社会のエリートたちが「228事件処理委員会」を立ち上げ、行政長官・陳儀と事後の処理について交渉を行ない、さらに政治改革の要求も提示して、事態はようやく安定を取り戻しつつありましたが、陳儀は「処理委員会」に見せかけの対応をする一方で、実は南京に軍隊を要請していました。国府主席の蒋介石は在台軍政特務員の一方的な言い分を信じ、軽率にも軍隊を台湾に派遣したのです。3月8日の夜、派遣された国府軍隊は台湾に到着し、鎮圧と虐殺を開始しました。続いて「清郷」工作として全島的な捕殺を行ない、民衆の死傷は甚大で、台湾各地の社会エリートたちが犠牲となりました。歴史上ではこれを「228大虐殺」と呼んでおります。
事件勃発後、3月2日に台南へ広まり、台南市内の正義感に溢れた一群れの青年学生たちが警察局の武器を接収しました。学生たちは台南工学院(現 成功大学)を中心として学生隊を組織し、トラックに乗って市内を奔走しながら、「打倒汚職役人!」「自治、自由、平等を要求する!」と叫びました。
台南市参議院は市民大会を開き、「省政の全面改革」、「市長民選の実行」の要求を提出して、3月6日に省レベルの「228処理委員会」に合わせ、台南市は「228事件処理委員会台南市分会」を設立し、台南県でも県参議会を中心として、県レベルの処理委員会を立ち上げました。
しかし残念なことに、青年の抗争も、各地の社会エリートによる協調のための奔走も、国府軍の上陸後に全て反逆と見なされ、直ちに虐殺と粛清が行われました。
私たち台南市の死傷者は比較的少なかったものの、非常に残念ながら、数名のエリートが亡くなりました。例えば、非常に声望の高かった台南県参議院議員、台南県商会理事長黄媽典は、新営にて会衆の前で銃殺され、台南市出身の正義感に溢れた検察官王育霖は、台北で捕殺され、殺される前に酷刑を受けさせられました。
佳里の有名な医師文学者呉新榮とそのご尊父、有名な詩人である呉萱草は、親子共々捕らわれて投獄させられ、危うく殺害されそうになりました。感慨深いのは、呉新榮氏は終戦時に、台湾の「光復」を喜んで、〈国府軍歓迎歌〉を書き、「三民主義青年団」に参加していたのにもかかわらず、その待ち望んでいた「祖国」を歓迎した1年余り後に、「祖国」によって捕らわれて投獄させられ、危うく銃殺されそうになることなど、思いも寄らなかったことでしょう!
ここでは一人一人列挙することが出来ませんが、その他にも多くの青年や社会エリートが捕らわれ、酷刑を強いられました。
私たちが最も惜しむのは、非常に高い声望のあった湯徳章弁護士の死です。誠実な人柄の湯弁護士は、青年学生たちの過激な行動によって不必要な犠牲がもたらされることを心配し、彼らに温和な行動を採るように諭したにもかかわらず、最終的には彼の方が捕殺されてしまったのです! 湯徳章弁護士が捕らわれた時、兵士は彼に学生組織や武器接収者の名簿を提供するよう要求しましたが、湯徳章はそれに従わず、木片で手の指を挟まれる拷問を受け、さらに両手を縛られて一晩中吊るされ、銃床で肋骨を何本も折られた後、最後には民生緑園(現 湯徳章記念公園)に連れて行かれ、銃殺されました。湯弁護士は処刑される前、トラックに載せられて市街地を巡りましたが、彼の表情はいつもと変わらず、市民に対して微笑みを絶やしませんでした。処刑の直前に兵士が「跪け!」と恫喝するも、湯徳章弁護士は真っ直ぐ立ったまま動かず、「台湾人万歳!」と高らかに叫びました。
私たちの知っている通り、228大虐殺は台湾の「国殤」です。学界でも指摘されたように、この事件のキーパーソンは蒋介石であり、彼は228大虐殺をもたらしたばかりでなく、その後の白色テロと呼ばれる恐怖政治の源であり、権威主義政治の独裁者であることが、歴史的なポジショニングによって明らかにされています。
1987年、ちょうど228大虐殺の40周年に、鄭南榕、林宗正、陳永興、黄昭凱、李勝雄らは公義平和運動を発起して、台湾各地で演説行脚を行ない、228大虐殺の真相調査を要求し、冤罪を晴らすと同時に族群の和解を促進させようとしました。当時、台南教会公報が228事件についての記事を載せたことで当局に弾圧され、それが鄭南榕の目に留まったことから、彼は台南から出発することに決めました。台南は全台湾で最初の会場となり、湯徳章記念公園そばの「休日花市場」を出発地点として、ここから移行期正義への第一歩を踏み出したことは、より一層、記念的意義を持ちます。
そして台湾社会において口を噤んでいた「228大虐殺」は、1987年2月15日に「228平和デー促進会」による台南での最初の行脚活動を終えた後から、ようやく台湾社会で広く議論されることとなり、台南は言わば「台湾の第一声」として、「南部の志気」を真に具現化したのでした。彼らは執政当局が真相を公開し、被害者の冤罪を晴らすことを希望しましたが、当時は厳戒態勢が未だ解除されておらず、行脚演説期間中に何度も政府による妨害、軍隊警察による圧制に遭いながらも、民衆の真相を渇望する情熱が消滅することはありませんでした。
同時に、湯徳章弁護士が大衆のために犠牲となった英勇の精神を追悼するため、台南市政府は2014年に湯徳章の受難日である3月13日を「正義と勇気の記念日」に制定しました。さらに2015年には湯徳章弁護士の旧居を「名人旧居」に指定し、記念としました。また、現在は湯徳章記念公園民主パブリックアートデザインを計画しており、今年の12月10日の世界人権デーに落成する予定です。
今年は特別に「南方有志」という、228大虐殺70周年記念特別展シリーズイベントも開催しました。内容には「陳武鎮-判決書油絵木彫アート特別展」、「1987-228平和デー運動映像およびドキュメンタリー展」、「明日に期待する人─228消えた検察官王育霖特別展」、「乱世英魂─湯徳章弁護士記念展」、「不滅の魂─228消えた台湾のエリートたち」等が含まれ、皆様に事件の背後に隠された真相について理解を深めて頂けます。
移行期正義をより着実化させるため、私は2015年の228追悼会に参加した際、蒋介石の銅像を学園から全面的に撤去させることを宣言し、その年の3月施行完了しました。また昨年から、南区、左鎮区、七股区、佳里区、将軍区、永康区、玉井区等のパブリックスペースにあった蒋介石銅像も全て撤去いたしました。
そして本日の午後には、成大学生会も特別に30年前、つまり1987年の「228平和デー促進会」での行脚ルートと、湯徳章弁護士が行脚を強制させられたルートを参照して一周し、先賢の民主を守ろうとした精神を受け継ぎ、人々がもう一度この事跡を思い起こすことに期待しています。
移行期正義の次なる一歩は、真相を明らかにし、加害者を公表して、教科書に書き入れることで、当事者とその家族に慰めを得させ、彼らの許しを乞い、社会とも和解を行なうことであります。そして、さらに重要なのは、228事件が再び起こらないようにすることです。
ヘーゲルはかつてこう言いました。「我々が歴史から学ぶことは、人間は決して歴史から学ばないということだ。」と。228大虐殺から既に70周年が経ちました。私たちは本当に歴史から何も学ばなかったのでしょうか? 当時の台湾人は心から待ち望んでいた「祖国」を迎えましたが、かえって血の雨に晒されました。今日、私たちは歴史の教訓を心に留め、外在的な「祖国」に期待することなく、悲劇を再演させることもありません! 私たちは地に足をつけて、台湾に立脚し、既に運命共同体となって、民主的な台湾の土地の上で、分け隔てなく、平和かつ公義な新しい国を建設しているのです!