昨年7月30日、李登輝総統は曾文恵夫人やご長女の李安娜さん親子、令孫の李坤儀さんご夫妻などご家族と一緒に沖縄県石垣市を訪問された。総統を退任されてから8度目、3年続けてのご来日だった。
7月31日午後2時から石垣市内のANAインターコンチネンタル石垣リゾートで開かれた講演会には、全国から500人を超える人々が集い、李総統は「地方から発信する日台交流の深化─石垣島の歴史発展から提言する日台交流のモデル」と題して講演に臨まれた。
李総統は、台湾からパイナップル栽培や水牛耕作が石垣島に持ち込まれた歴史に言及し、戦前・戦後を通じて密接な関係にあることを強調、日台間交流の深化のモデルになると述べられた。
世界日報のViewpoint「沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)」は6月1日が「石垣島パインアップルの日」だったことから、この李総統の講演に着目し「講演の約半分がパイナップルを通じた石垣島民と台湾人の絆についての話だった」として、講演内容を紹介している。下記にご紹介したい。
ちなみに、この講演は後に日本文化チャンネル桜が放映し、李総統ご自身も月刊「Voice」10月号に石垣島来島記念論考を寄稿されている。この論考では講演内容を大幅に改め、タイトルも「日台連携で世界市場へ」と改めている。現在、「WEB Voice」で全文を掲載しているので、下記にご紹介したい。
◆【日台交流の深化】李登輝元総統in石垣 講演会[桜H28/8/5]【55分8秒】
石垣島と台湾、パインの絆
【世界日報「Viewpoint」:2017年6月14日「沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)」
石垣市パインアップル産地協議会(会長・石垣克治石垣市農政経済課長)は6月1日を「石垣島パインアップルの日」と定めている。
「日本統治時代から多くの台湾人が移民として石垣島に移り住んできた。戦中、戦後を通じて、パイナップル産業をはじめとする農業などの分野で、台湾人が大いに貢献した」。昨年7月31日、石垣市で行われた講演会で、台湾の李登輝元総統がこう述べた。講演の約半分がパイナップルを通じた石垣島民と台湾人の絆についての話だった。
「1930年代には台湾中部から大量の移民が石垣島へやって来た。彼らが主に持ち込んだのは、パイナップルの栽培と缶詰製造の技術、そして農作業を手伝ってくれる水牛たちである」という。
35年には53の栽培農家が移住して、本格的なパインの生産が始まった。その3年後に缶詰製造工場が建設され、沖縄の主要産業の一つに成長したのだ。
ところが、「戦争の激化によって、パイナップル産業に従事する人口は減少し、一時的な衰退に見舞われた。さらに日本の敗戦によって、石垣島と台湾との間に国境線が引かれることになった」。
それでも、「石垣島と台湾の深い結び付きが途絶えることはなかった。戦争によって衰退した石垣島のパイナップル産業を復興に導いたのは、石垣島に残留することを決めた台湾の人々だった」と李氏は強調した。
現在の石垣パインがブランドとして認知されているのも台湾の人々の苦労があってのことだ。「石垣島の人々が台湾からやって来た人々と融和し、今日の石垣島において共存共栄していることに感謝を申し上げたい」という李氏の言葉には重みがある。(T)