中央通訊社の報道より

台湾で今でも尊敬される日本人は、烏山頭ダムを造った八田與一をはじめ、後藤新平、新渡戸稲造、羽鳥又男、新井耕吉郎など、数え上げれば10人を超える。最近になって、本会理事で群馬県支部長の山本厚秀氏が見出した「水道の父」瀧野平四郎も加わる。

台中の人々に“命の水”をもたらして「水利の父」「白冷圳の父」と称えられている磯田謙雄(いそだ・のりお)技師もその一人だ。台中市の新社区に逆サイフォンの原理を利用し、渓谷を越える全長約17kmに及ぶ農業用の水路 白冷圳(はくれいしゅう)を造った。1932年10月14日に完成している。

完成から86年目の去る10月14日、台中市新社区で磯田謙雄像の除幕式が行われ、林佳龍・台中市長をはじめ台中市から王志誠・文化局局長、周廷彰・水利局局長、磯田技師の出身地である金沢から安達前・金沢市日台親善議員連盟会長、野口弘・金沢市教育長、そして磯田技師令孫の松任谷秀樹氏などが参列した。

心からお祝い申し上げ、下記に中央通信社の記事と台中市政府の「市政新聞」記事をご紹介したい。

実は、磯田技師の像はこれで2体目となる。1体目は5年前の2013年10月15日に、白冷圳故事牆園区に建立された銅像で、ベンチに腰掛け、巨大水管を見守るように設置されている。当時、金沢の地元紙「北國新聞」も写真入りで報じていたが、現在は見られないので中央通信社の記事を併せてご紹介したい。

ちなみに、林佳龍・台中市長は2体の銅像が設置されている新社区内に桜の公園を造ろうとしていて、本会の姉妹団体である台日文化経済協会(杜恒誼会長)が600本の日本の桜の苗木を台中市に寄贈することになっている。

この600本の桜の苗木は、本会から台日文化経済協会に寄贈して準備することで合意しており、すでに今年3月、第一弾の200本の苗木(大漁桜)を台日文化経済協会に寄贈している。来年2月までに第二弾の200本(河津桜)、再来年2月までに第三弾の200本(河津桜)を寄贈することになっている。

日本人技師の磯田謙雄が造った白冷圳の迫力満点の景観の中に、磯田の2つの銅像が立ち、日本の河津桜600本が咲き、日台共栄のシンボルのような台中市新社区となる。

◆白冷圳文化節飲水思源 白冷圳之父雕像座落九渠溝滯洪池 台中市政府市政新聞:2018年10月14日

◆台中で“水利事業の父”、磯田謙雄技師の銅像建立 中央通信社:2013年10月16日


日本人技師の像をお披露目 台中の水路を設計

【中央通信社:2018年10月16日】

中部・台中市新社で14日、同地域を流れる水路「白冷圳」を設計した日本人技師、磯田謙雄の像の除幕式が行われた。林佳龍市長のほか、磯田技師の出身地である金沢からも関係者が駆け付け、先人の努力に感謝した。

白冷圳は日本統治時代の1932年10月14日に完成。86年の歴史を誇る。1999年の台湾大地震で同水路の設備が損傷したのをきっかけに、白冷圳の重要性に注目が集まり、それ以来、毎年10月に「白冷圳文化節(フェスティバル)」を開催し、磯田ら先人の貢献をたたえている。今年で19回目。

除幕式に出席した磯田技師の孫、松任谷秀樹さんは、白冷圳を訪れる度に家に帰ってきたような気持ちになると話し、林市長が白冷圳の文化を重視していることに感謝を述べた。