11月3日付で発表された令和2年秋の叙勲で、台湾から謝牧謙氏(台湾大学・文化大学日本研究センター諮問委員)、劉耀祖氏(池上一郎博士文庫研究学会理事長)、丘如華氏(社団法人台湾歴史資源経理学会秘書長)の3氏が受章されました。改めて祝意を表します。
旭日中綬章を受章した謝牧謙氏(83歳)の功績は「原子力分野における日本・台湾間の学界・産業界の交流深化及び相互理解の促進に寄与」ということでした。
台湾でも日本でも著名な原子力関係の工学博士だそうで、受章者に名前を見たときどこかで見た覚えがあるなと思いました。日本台湾交流協会「交流」(10月27日発行)に名前が掲載されていたことを思い出しました。謝牧謙氏は「福島等5県産食品禁輸継続中の台湾の事情」を寄稿していました。
これまで本会メールマガジン『日台共栄』でも、台湾の福島県など5県産品の輸入禁止問題を何度も取り上げ、台湾は科学的な根拠を基に輸入を解禁すべきと指摘してきました。蔡英文総統が政治判断すべき問題とも指摘してきました。
2018年11月24日の公民投票において中国国民党が提案した禁輸継続が賛成多数を占め、2年間はこの措置を解除できないことが決まりました。しかし、いかに公民投票で住民の意思が禁輸継続であろうと、台湾政府自身が大学に委託したサンプル調査でも放射能の影響はないという結果が出ている以上、科学的根拠が優先されるべきは論を俟たず、台湾政府は特別措置を講ぜよとも主張してきました。
蔡英文総統は 8 月下旬、米国の豚肉には有害なラクトパミンが含まれていると指摘されるも、科学的根拠と国際基準に基づき米国産牛豚肉の輸入を全面的に解禁する旨を発表しました。
恐らく、日本の5県産品輸入禁止問題で、蔡英文政権は当初、民意を集約しようと台湾各地で公聴会を開いていたのですが、中国国民党員が乱入するなどの妨害があり公聴会が成り立たず、公民投票において禁輸継続が賛成多数となった苦い経験をもっていたため、政治判断として米国産牛豚肉の全面的な輸入解禁に踏み切ったものと考えられます。
日本の5県産品の輸入禁止は、20日後の11月24日で期限が切れます。蔡英文政権は未だにどのような措置をとるのか発表していないようですが、米国産牛豚肉の全面的な輸入解禁に踏み切ったと同じ措置を講ずるべきは論を俟ちません。
謝牧謙氏も専門家の見解として「解禁されるべき」とする立場で「3・11 事故から9年が経った今も、福島県産の食品への風評被害や、放射線にまつわる誤った情報が次々とマスコミ、SNS 上で拡散、人々を脅かしている」と指摘しています。メルマガで紹介する論考としてはいささか長いのですが、重要な論考ですので下記にその全文をご紹介します。
驚いたことに、この論考は日本語で寄稿されたものだそうで、それもそのはず、謝氏は東北大学で工学博士号を取得(1969年)されたそうです。著書に『福島事故後 台日エネルギー政策の変換と原子力協力』 (日本学研究叢書 第23号、国立台湾大学出版中心 2017年)もあるとのことです。
福島等5県産食品禁輸継続中の台湾の事情
謝 牧謙(輔仁大学跨文化研究所兼任教授、台湾大学・文化大学日本研究センター諮問委員)
*読者の読みやすさを考慮し適宜、改行しています。(本誌編集部)
本稿は著者がエネルギーレビュー誌 2019 年 9月号特集に寄稿した「福島産などの食品禁輸措置継続中の台湾の事情」の原文をもとに、その後の事情を加味して現実に即した内容である。
1 はじめに
3・11 福島原発事故は台湾に甚大なインパクトを与え、エネルギー政策の転換を迫られた。民進党の蔡英文政権は原発事故への懸念から「非核家園(脱原発国家)」を宣言し、2017 年 1 月 11 日、脱原発を法制化した。2025 年までに全原発を停止し、アジア初の脱原発国家が誕生する。
福島原発事故後、台湾は福島県を含む近郊 5 県からの、お酒以外の食品を全面的に禁止した。しかし近年に至って、過去数年は未検出が続いたなどの実績が評価され、欧米やアジア諸国において輸入規制が次々と緩和されたが、台湾では国民の福島食品に対するリスク認識が高く、尚福島食品の全面輸入禁止が継続されている。
2018 年11月24日に統一地方選に併せ、「脱原発条文廃除」と「福島食品輸入規制継続」の国民投票が行われ、両者とも賛成多数で可決された。ただし、政府は国民投票の結果を受け、2025 年に脱原発の条文を削除するが、従来の方針を変えず、脱原発を進めると宣言した。また、法規定に基づき福島食品の輸入再開は 2 年間禁じられ、今年 11 月に期限切れになる。
2 「核食」国民投票の発端、経緯と結果
政府は3・11 福島事故後、福島、茨城、栃木、群馬、千葉の5県で生産、製造された食品の輸入を禁止し、蔡英文政権は規制緩和に向けた動きを見せていたが、野党・国民党は、郝龍斌副主席を発起人として輸入禁止継続の国民投票を発議し、約 47 万人の署名を集めた。さらに、5県産の農産物を「核食」(「原発事故で汚染された食品」)と叫んで政争の具として、対立姿勢を明確にしていた。
国民投票の質問は「日本の福島県をはじめとする東日本大震災の放射能汚染地域、つまり福島県及びその周辺4県からの農産物や食品の輸入禁止を続けることに同意するか否か」。投票の結果は輸入禁止継続賛成が 779 万票で、反対の 223万票を退け、圧倒的多数で可決された。投票結果は出てから 2年間、同じ議題について再び国民投票を実施することはできない。
3 政府の委託実地調査
本調査は衛生福利部食品薬物管理署が 2017 年、2018 年の2年度に亘り、国立台湾大学医学院毒理学研究所・姜至剛教授に「日本産食品サンプリング検査及び調査研究」を委託して実施されたものであり、研究グループは福島など5県産地に専門家を派遣し、301 項目のサンプル(干ししいたけ、いわし、ドライフルーツ、米、牛乳、小麦粉、お茶、貝、白菜、アイスクリーム、玉ねぎ)を採取、台湾に持ち帰って、台湾電力会社放射試験室、陽明大学品検査分析実験室、屏東科技大学災害科技研究センター放射性分析実験室等3つの独立した機関でセシウム134と137について分析を行った。
その結果、セシウム134と137の含有濃度は極めて低く、すべて基準値内で全部合格であった。ストロンチウム90についても検査したが、何れも未検出である。
この成果を関係機関に提供し、民衆へのリスクコミュニケーションを進めることにしておったが、残念なことに、公布されたのは、国民投票の後であった。公布が早めに実施されていれば事情が変わったかもしれない。筆者も姜教授を訪ね(図表写真 1)、福島食品の調査結果にについて討議し、福島等5県産の食品輸入問題は国民の健康を保障するという前提の原則で、科学的根拠と国際基準に基づき、決定すべきであると結論づけた。
4 「食品禁輸措置継続」を支持する背景
第一に、この問題は福島原発事故によって、人々に放射能汚染の被害が及ぶ「恐れ」を生んだことである。台湾においては、原発事故の時点から、多くの人の認識は事故直後のままである。ほぼ9年が過ぎたが今だに福島県の飲料水、農作物、海産物などに不安を持っている人が多く、リスク認識は依然として高い。これが現実の問題である。
「nippon.com(2018/3/31)」の野嶋剛氏の調査によると、「福島県産の農産物は不安だ」と回答した人の割合は、台湾が 81%と最も多く、韓国が69.3%、中国が 66.3%で、米国の 37.5%、英国の29.3%などと比べアジアで全般的に高かった。台湾は福島食品に対して最も懸念を示す。
第二に、台湾の世論において、輸入規制の継続は民意であり、今回の国民投票で「福島など五県の食品輸入を禁じる規制を継続する」というこの項目は 77.7%という高率で賛成票を集めている。
台湾は日本への関心が強いので、日本情報の伝達密度は極めて高い。そのため、福島原発事故で、台湾社会は日本以上に安全問題が社会不安を引き起こし、政府がいち早く「非核家園(脱原発国家)」を宣言したのもその具体的例である。さらに台湾は近年食品の不正事件が相次ぎ、食の安全に対する意識が高まり、「核食」にも極めて敏感になっている事情もある。
第三は、全く政治的な理由(与野党が政争の具に)と国民の放射線知識の欠如が起因。福島事故をマスコミが恣意的に拡大報道、さらに日本の誤った情報を引用、その結果一般国民の誤解を招き、食品の安全問題に不安を煽り、恐怖を感じさせている。食品安全性評価は範囲が多岐にわたり、科学的根拠に基づいて、理性的に判断すべきものが政治問題として扱われてしまった。
5 福島事故による風評被害事例
〇事例1:広野町のミカン狩り
2013 年 12 月 17 日、福島県広野町の町役場横にある丘で3年ぶりに福島事故後ミカン狩りが再開された。筆者もちょうどその場に居合わせたのでイベントに参加した(図表写真 2)。当日はNHK、読売新聞、朝日新聞等全国のメディアが取材に訪れ、現地は大勢の人で賑わっていた。
当日夜、NHKのニュースで「広野町のミカンには11 ベクレルの放射性セシウムが含まれている」と報道された。翌日、ある主婦から「NHK の報道は恐ろしい。子どもに放射線ミカンを食べさせるな!」という投書が寄せられた。
筆者は当日、甘くて美味しいミカンをいただき、ホテルにも沢山持ち帰り同僚にも分けあった。筆者はウラン精錬研究に長年従事し、今も教職についており、放射線の危険性は十分認識しているつもりである。
福島原発事故後、多くの人々が放射線恐怖症に陥っており、日本政府は1キロ当たり100ベクレルを超えてはならない、という世界で最も厳しい食品の放射線被ばく線量基準値を定めている(図表写真 3)。それと比較して、台湾の基準値は1キロ当たり 370 ベクレルで2016年11月15日改正後、日本と同じ基準になる。アメリカは1,200ベクレル、シンガポールは1,000ベクレル、コーデックス(CODEX)でも 1,000ベクレルと規定している。
従って11ベクレルは健康上の危害をもたらす量でないとわかる。自然界には至る所に放射線が存在し、空気や水と共存しており、人類は生まれた瞬間から放射線に曝されている。大量の放射線は確かに害をもたらすが、基準値を超えなければ心配ご無用。私たちは放射線の本質を正しく理解するべきである。
柯文哲台北市長も昨年(2019年5月25日)福島災区南相馬市を訪れ、復興状況を視察し、現地の和菓子も味わった(図表写真 4)。柯市長は食品輸入解禁の問題は科学的データに基づいて解決すべきとの考えを示した。
〇事例2:蘭嶼島の放射線汚染事件
蘭嶼島は台湾の東海岸、太平洋側にある島で日本時代は紅頭嶼(こうとうしょ)と呼ばれ(図表写真 5)、1876年(明治30)、日本の人類学者・鳥居竜蔵氏が最初の調査を行い、その後、台湾大学考古学人類学者・陳紹馨教授が引き続き調査を行った。
2007年、ドキュメンタリー映画「チヌリクラン 黒潮の民、ヤミ族の船」が日本で上映された(図表写真6)。2012 年、ある日本の大学の先生が環境放射線調査の名目で蘭嶼島に赴き、放射線測定を行い、朗島小学校のグランドで7~50μSv/時と近隣の古い診療所の壁に60~ 104μSv /時の“ホットスポット”を発見した。
両者とも福島の居住制限区域の空間線量率(>3.8μSv/時、<9.5μSv/時)を大きくオーバーし、そのことが記者会見で報告された。
その後、日本のテレビでも放送され(2012 年 11 月 24 日)、原子能委員会は直ちに専門家を派遣、同サイトを再測定、結果は0.02~0.07μSv/時のバックグランド値であった。
それにもかかわらず、マスコミは事実を確認せずに“ホットスポット”を報道し、台湾の国会(立法院)で大問題となった。直ちに台湾と日本の専門家4名(原子力バックエンド推進センター渋谷進専務理事、特別参与石黒秀治氏、原子力安全技術センター特別フェロー森内茂氏、テクノヒル KK 社長鈴木一行氏)による合同現地調査が行われたが(図表写真 7)、検査結果は、バックグランド値であった。
結論は、日本の大学の先生が持参した測定器(SamRAE940)に問題があり、島にあるラジオ中継ステーションの99・4998MHzの電磁波の干渉を受けていることが証明された。その結果は、日本原子力産業協会(JAIF 服部拓也理事長)と日本「原子力報道を考える会」に報告し(図表写真 8)、「原子力報道を考える会」の会報 53 号に掲載された。
それにもかかわらず、その後も、類似の内容が学会、雑誌に発表され、人々の誤解を招いた。マスコミの報道姿勢にも問題があるが、学術研究者としての良心が問われる。
〇事例3:マスコミの煽情的な報道
3・11 事故から9年が経った今も、福島県産の食品への風評被害や、放射線にまつわる誤った情報が次々とマスコミ、SNS 上で拡散、人々を脅かしている。
あるマスコミでは、日本の原子力専門家の講演を引用して、台湾で第四原発事故が発生すれば放射線により3万人が1か月内に急死、がん死亡者は 700 万人に及ぶと報道し、人々を恐怖に陥れた。
また、相次いで日本から政治家や学者が台湾で福島事故のネガティブ発言をした。例えば、福島の米や野菜はセシウムで汚染され、触ったり、食べたりしてはダメ、甲状腺がんの子どもが増え、がんによる死亡者が増加し、原発を誘致するとフクシマの二の舞になる、「福島県には人が住めなくなる」「内部被ばくによるがんが増える」といった無責任な情報が、評論家や自称科学者たちによって、メディアを通じて垂れ流された。誤情報の氾濫は極めて深刻な「風評」を発生させる原因となる。
6 今後直面する課題~風評被害の払拭
3・11 事故から9年半が経過してもなお残る福島の食品の汚染への懸念、その払拭に向けては:
(1)福島事故現状の正確な情報を伝えること
台湾社会には、今でも福島県の現状を巡る風評や偏見は根強く残っていて、その大きな原因はマスコミの偏向報道と民衆の放射線に関する知識不足である。福島復興現状の正確な情報を繰り返し丁寧に発信していくことと、特に福島食品の検査体制と安全性をアピールし、風評の払拭にできる限りの手立てを尽くし、強くPRしていくことが大事である。
一例を挙げると福島県内面積 97.6%(避難指示区域の 2.4%を除く)の空間線量率は海外主要都市とほぼ同水準であること(図表写真9)、福島県海産物の調査結果 2015 年以後不合格率は0%など(図表写真 10)、海外諸国にその国の言葉で知らせるべき事である。福島県には、2018 年1年間で17万人近くの外国人観光客が訪れているが、実に、3人に1人は台湾から。どの国よりも多い。現地に行けば、地元の食べ物を無心に食べている。筆者も3・11 事故後、10 回ほど福島県の被災地区を訪ね(二回は原子力発電所サイトへ)、地元の食べ物、和牛、刺身、リンゴなどを美味しくいただいた。
(2)原子力、放射線知識の教育普及
人々の放射線に対する知識・理解不足が原因で生じた放射線を巡る様々な混乱は、放射線に関する知識の普及がこれまで十分でなかったことを示している。
放射線教育の取組みに当たっては、放射線が身近に存在し、様々な分野で利用されていることを知り、基礎的な知識に加え量的な内容(単位、放射線量とその影響)についても理解を深める。日本では中学3年の理科で放射線教育が始まるが、台湾も学ぶべきである。筆者は大学の教養科目で科学講座を担当しているが、教授を含む文科系学生の放射線知識の無さを痛感している。学生や教育者のみならず一般国民にもあるレベルの原子力、放射線教育が必要である。
(3)マスコミの姿勢:正確と公正、事実の根拠
台湾における根深い政治上の与野党対立と、それに依拠するメディアの報道の偏りがあり、政治論争がイデオロギー化し、激化する。またフェイクニュースを行って世論を誘導しようとする意図があり、福島事故、「核食」についてはセンセーショナルな報道に流れやすく、一般民衆の誤解を招く。
マスコミの報道姿勢としては、「正確と公正」、「独立と寛容」、「人権の尊重」、「品格と節度」、「中立の立場・客観的報道」及び「真実の情報・事実根拠の明示」が有るべき姿であり、人権を尊重し、品位と節度をもって、正確と公正、中立な立場で客観的な報道、それに情報の根拠はできるだけ明示し、事実は歪曲してはならない。
(4)日台間の原子力情報交流の強化
現在、日本原子力産業協会(JAIF)と台湾中華原子力学会(CHNS)の間で2年ごとに「日台原子力専門家会合」を開催し(2008 年以前は日台原子力安全セミナーと称し毎年開催)、福島事故後の原子力安全向上に資する日台双方の取組みについて情報共有・意見交換を行っているが、今後さらに双方の民間団体(NGO)の交流を活発化し、情報収集力を強化、国民の相互理解を深めるべきである。また国民と上手にコミュニケーションをとることが重要な課題でもある。
追記:
本稿執筆中、台湾で米国産豚牛肉と福島食品の安全性問題が再度国民の関心を呼び起こした。蔡英文総統は 8月28日、野党国民党と民間の強烈な反対にもかかわらず、国民の健康を保障するという前提の下に、科学的根拠と国際基準に基づき米国産牛豚肉の輸入を全面的に解禁する旨を発表した。
その背後には米国産牛豚肉の輸入問題で重要な一歩を踏み出せば、台湾と米国の経済協力の重要なスタートになる政治的配慮があると思われる。野党国民党はラクトパミンを含む豚肉の米国からの輸入に反対し、その賛否を問う国民投票の実施(2021 年 8 月)を求めて、9月11日と12日署名集めを始めた。
2018年国民投票による福島食品輸入規制は今年の11月24日に期限切れとなる。政府は米国産豚牛肉の輸入緩和問題と同様に、解禁されるべきであるが、国民感情、政治問題など多層に複数の要因が絡み、いまだに解禁時期について検討中である。
(日本語での寄稿)