佐渡出身で台湾製糖社長や農林大臣などをつとめた山本悌二郎(やまもと・ていじろう)の銅像は、『蕃童(山童吹笛)』や『水牛群像』などの作品を残した台湾の著名な彫刻家の黄土水の作によります。
この銅像が佐渡市から高雄市に返還されたことを機に、昨年7月、佐渡市と高雄市は「友好交流覚書」を締結しました。
このほど銅像のレプリカが完成し、7月22日、高雄市の林欽栄副市長らが佐渡市を訪れて新たに設置されたレプリカの除幕式に臨み、併せて、同席した謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表などが立ち会って「友好交流協定」を締結したそうです。
この詳しい経緯を伝える「Taiwan Today」の記事を下記にご紹介します。
黄土水の作品『山本悌二郎銅像』が結ぶ縁、高雄市と佐渡市が友好交流協定締結
【Taiwan Today:2023年7月24日】
台湾から日本に留学して美術を学び、「帝展」(現在の日展)入選を果たした台湾人芸術家、黄土水(1895-1930年)の作品『山本悌二郎(やまもと ていじろう)銅像』が昨年8月末、設置されていた新潟県佐渡市から高雄市へ無償で「返還」された。高雄市はその後、銅像のレプリカ制作に取り掛かっており、完成したレプリカが今度は佐渡市へ寄贈された。台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表(=駐日大使に相当)、高雄市の林欽栄副市長らが22日、佐渡市を訪れて新たに設置されたレプリカの除幕式に参加した。高雄市と佐渡市は同日、友好交流協定を締結。日本統治時代の台湾で活躍した一人の芸術家が結んだ縁が、両市の新たな交流につながった。
山本悌二郎(1870-1937年)は佐渡出身の政治家。農林大臣を務めたほか台湾製糖株式会社(台湾糖業股份有限公司の前身)の設立に関わり社長も務めた。黄土水が制作した『山本悌二郎銅像』は、もともと高雄市の橋頭糖廠(=製糖工場)に設置されていたが、戦後は撤去されて台湾糖業公司の倉庫に保管されていた。1959年になって日本統治時代の製糖機材などと一緒に日本へ返還され、そのうち銅像は山本の故郷である佐渡市の真野公園に設置されることとなった。
この銅像は、数年前になって黄土水作品を研究する日本の学者、鈴木恵可さんによって「発見」された。その後、台北駐日経済文化代表処や文化部駐日台湾文化センターが台湾出身で佐渡市在住のダンサー・若林素子さんの仲介によって佐渡市との交渉を開始。4年余りの努力が実を結び、銅像の台湾への「里帰り」が決まった。
台湾側は当初、銅像を一時的に借り受け、銅像の修復を行うと同時にレプリカを制作し、オリジナルを佐渡市に返す方針だった。しかし、山本悌二郎の台湾での功績を知った佐渡市の渡辺竜五市長が市民などから同意を取り付け、オリジナルを高雄市に「返還」することを決めた。22日の除幕式でこの決定について尋ねられた渡辺市長は、いまでも自分の決定は間違っていなかったと思っていると述べた
こうした交流を積み重ねてきた高雄市と佐渡市は同日、友好交流協定を締結した。高雄市を代表して調印に臨んだ林欽栄副市長は、「高雄市と佐渡市は農業や漁業が盛んなところなど多くの共通点がある。今後は農業・漁業、文化、観光、教育などの方面で交流を強化したい」と述べた。
なお、文化部と台北駐日経済文化代表処は22日、真野公園での『山本悌二郎銅像』レプリカ除幕式と高雄市・佐渡市の友好交流協定締結を祝うため、佐渡市アミューズメント佐渡大ホールで「山本悌二郎銅像寄贈記念公演」を開催した。若林素子さんが率いる佐渡若林芸術舞団、台湾のNFC舞団、小倉鬼太鼓青年団、佐渡おけさ立浪会などが出演し、台湾と佐渡の更なる友好と発展を祝うパフォーマンスが披露された。