2月21日朝、台湾高座会会長の李雪峰先生が台湾・新北市内のご自宅で亡くなられました。

台湾からの連絡によりますと、ご息女が李雪峰先生の寝室へ行ったところ、すでに息を引き取られていたとのことです。李雪峰先生は大正15年(1926年)9月18日のお生まれですので、満97歳でした。

これまでのご教導に深甚の感謝を申し上げ、心よりご冥福をお祈りいたします。

李雪峰先生は台北市立商工専修校のときから体が大きく背も高く、剣道2段の腕前で、台湾少年工だった高座海軍工廠時代に8,400人をまとめる寮長をつとめ、帰台されてからは、戒厳令解除の翌年の1988年6月に台湾高座会第1回全国大会が開かれたときに満場一致で会長に選出され、それ以来36年の長きにわたって会長を務めていました。その間、会長交代の声はまったくなかったそうです。

国交のない台湾と日本の交流を支えてきたのは、台湾で8,000人余を擁する最大の親日団体だった台湾少年工出身者で設立した「台湾高座会」でした。その日本側のカウンターパートが「高座日台交流の会」で、本会理事の石川公弘氏が会長、理事の橋本理吉氏が事務局長、理事の岩本武夫氏が幹事をつとめていました。

本会との関係では、李雪峰先生には、本会の李登輝学校研修団(日本李登輝学校台湾研修団)において、蔡焜燦先生とほぼご一緒に何度か講師をつとめていただいたことがありました。

また、李雪峰先生が2013年4月に春の叙勲で旭日小綬章を受章された折、この年の5月半ばに来日される予定だった李登輝元総統が体調を崩されてご来日が中止となった折には、「台湾高座会留日70周年歓迎大会」に来日される先生に代理で講演をお願いしてご快諾いただき、なんとか面目を保ったこともございました。

2009年4月にNHK「JAPANデビュー」問題が起こったときには、台湾高座会が李雪峰会長名で「会員の総意をもってNHKが『JAPANデビュー・アジアの一等国』の放送内容を謙虚に反省し訂正されることを要求」する烈々たる抗議文を当時の福地茂雄・NHK会長に送っていただいたことも思い出します。

李雪峰先生は一方で、台湾少年工たちの帰台の船に李登輝元総統がご一緒だったご縁から、蔡焜燦先生が理事長だった「李登輝民主協會」の常務理事もつとめられていました。

李登輝民主協會と本会は2010年10月に李登輝元総統のお立合いの下に姉妹会を結んでいた関係で、本会から李登輝民主協會に河津桜の苗木をお贈りしていたときには、蔡焜燦先生ともども河津桜を植えた花蓮の国立東華大学や美崙ホテルへもご一緒していただくなど、数々のご厚誼に預かりました。

【2月26日更新】ご葬儀の日程などは下記の通りです
・日時:3月15日(金)15時~
・会場:台北市第二殯儀館(台北市大安区辛亥路三段330号)
・喪主:李蕙蓉さん(ご長女)