台南市政府HPより

5月6日、台南市内の飛虎将軍廟に祀られている杉浦茂峯(すぎうら・しげみね)海軍少尉の母親が茨城県那珂(なか)市出身という縁により、那珂市と台南市は「友好交流協定」を締結しました。

この「友好交流協定」締結は、昨年10月30日に台南市を訪問した先崎光(まっさき・ひかる)市長と台南市の黄偉哲市長の間で合意していたそうで、「文化、教育、スポーツ及び滞在などの幅広い分野における交流を通じて、両市の発展、国際交流の推進を図るとともに、それぞれの資源を有効かつ最大限に活用し、地域経済の発展につなげることを目的」(2023年12月14日「那珂市議会全員協議会記録」)に結ばれたそうです。

台南市内で行われた調印式には那珂市の先崎市長と台南市の黄市長が臨んでいます。

那珂市のホームページでは、杉浦命について「故杉浦茂峰氏が、昭和19年10月12日に台湾方面でお亡くなりになられたことが、茨城県の戦没者名簿に記載されています。本籍地が旧菅谷町(現在の大字菅谷寄居地区)であるため、その名前を那珂市の欄に見ることができます」とあり、また、飛虎将軍廟のホームページには杉浦命が戦死した当時の状況について、下記のように紹介しています。

<1923年に茨城県水戸市で生まれた杉浦茂峰は、1944年の台湾沖航空戦に盛島大201海軍航空隊として出撃しました。(※出撃当時は「兵曹長」だったが、のちに「功6級金鵄勲章」「勲7等青色桐葉章」を受勲しており、死後は兵曹長から少尉に特進。)10月12日、杉浦少尉は台南上空でアメリカ空軍を迎え撃つも撃墜されてしまいます。その場で発火した戦闘機から脱出すれば助かったかもしれません。しかし杉浦少尉は眼下の村を巻き込まぬよう、住民のいない畑へと飛び去ったのちに墜落し、壮絶な戦死を遂げたと言われています。享年21歳でした。>

なお、飛虎将軍廟でも那珂市での杉浦茂峰という表記ですが、ご祭神としてお祀りしている靖國神社の祭神票では「杉浦茂峯」という表記となっています。本誌では、靖國神社に基づく表記を採用します。

ちなみに、那珂市の先崎市長は黒田・平戸市長などと「日台共栄首長連盟」(会長:宮元陸・加賀市長)の会員です。

現在、日台共栄首長連盟は143人の会員を擁し、茨城県からは全国でもっとも多い16自治体が加入していることから、昨年5月に日台共栄首長連盟初の支部として「茨城県支部」を設立しました。笠間市の山口伸樹市長を支部長に、副支部長に先崎市長ら4氏を選出し、台湾との交流を一層活発化し、地域の活性化につなげていくため、県内学校給食へ台湾バナナやマンゴーなどを提供する活動を積極的に推し進めています。

那珂市と台南市の「友好交流協定」締結は、4月29日の平戸市と台南市の「友好交流協定」締結に続くもので、今年で6件目です。1979年10月の青森県大間町と雲林県虎尾鎮の「姉妹町」締結からは136件目(本会調査)となります。

那珂市と台南市の「友好交流協定」締結を祝福し、下記に「飛虎将軍廟」のホームページと台南市「市府新聞」の記事、中央通信社の記事をご紹介します。

◆飛虎将軍廟(鎮安堂 飛虎将軍廟):台南市海尾朝皇宮管理委員會管轄境鎮安堂

◆飛虎將軍牽起情誼 台南市與日本那珂市締盟【台南市「市府新聞」:2024年5月6日】


台湾・台南市 茨城県那珂市と友好交流協定 地元の廟が祭る旧日本兵の縁で

【中央通信社:2024年5月7日】

南部・台南市は6日、茨城県那珂市と友好交流協定を結んだ。母親が那珂市出身の旧日本兵、杉浦茂峰が台南市の飛虎将軍廟(びょう)に祭られていることが縁で実現したもので、黄偉哲(こういてつ)台南市長は、農産物、教育、スポーツ、相互訪問交流などで絆が深められるとし、友好関係の発展に期待を寄せた。

杉浦は海軍のパイロットで、1944(昭和19)年、台南が空襲を受けたため、迎撃のためゼロ戦で出撃。米軍機との交戦で被弾し墜落する最中も、民家の密集する集落を避けて最後まで畑や養殖池のある場所へ操縦し、その後命を落としたとされる。71年に地元住民らが杉浦を祭る祠(ほこら)を建立し、93年になり廟に改築された。

この日台南市政府永華市政センターで行われた調印式で黄市長は、先崎光那珂市長の長年にわたる相互交流への支持に感謝を示し、協定締結ができることをとても光栄だとあいさつ。7月末に台南で台湾と日本の交流促進を目指して行われる台日交流サミットに、那珂市議の参加を呼びかけた。

先崎市長は、協定締結は双方の都市にとって極めて重要な意義があると語った。

この日は台南と日本の交流を促進する民間団体「財団法人台南市台日文化友好交流基金会」と那珂市で国際交流を図る「那珂市国際交流協会」も国際姉妹会提携を結んだ。同基金会によると、友好関係の継続や青少年・スポーツなどの交流に合意したという。