2004年(平成16年)7月4日付「産経新聞」(東日本版)と7月5付同紙(大阪版)にて台北県烏来にある高砂義勇隊英霊記念碑の移転問題が報道されると、心ある多くの方々から、碑の移設協力募金のご提案やお問い合わせをいただきました。

2004年(平成16年)8月6日付の産経新聞がその続報として、慰霊碑を管理していた周麗梅さんのご子息で、日本留学経験のある邱克平氏が財団法人を設立する方向で進んでいて、移転問題は9月までに結論を出したいとの内容を報じています。同時に、産経新聞が「高砂義勇兵英霊慰霊碑」を守るための義援金を募集し始めたことも掲載しています。

2005年(平成17年)8月20日付の記事では、集まった3,000万円の募金で財団を設立し、慰霊碑を移転・再建する「高砂義勇兵慰霊碑の再建立」に関する記事が掲載されています。


2004年(平成16年)
7月4日 産経新聞報道 高砂義勇隊英霊記念碑の移転問題の発端


8月6日 産経新聞続報


募金について【既に終了しています】


10月1日 【義勇兵慰霊碑の義援金に3,000万円】

台湾先住民出身の「高砂義勇兵」戦没者を祭る慰霊碑の保存のため、「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会」が行ってきた義援金受け付けが30日締め切られた。この間、産経新聞読者等から寄せられた義援金は総額3145件、3,075,511円にのぼった。守る会は台湾側へ寄付の手続きに入る。義援金は慰霊碑の保存を求める国民の声にこたえ、8月6日から守る会を中心に呼びかけられていた。


11月5日【高砂義勇兵慰霊碑義援金 日本の守る会代表らが目録】

太平洋戦争に「日本兵」として出征した台湾先住民出身の「高砂義勇兵」の戦没者を祭る慰霊碑の保存と維持のため、産経新聞読者などから寄せられた義援金目録が4日、慰霊碑を守る会発起人代表の吉川福太郎氏と斉藤繁・産経新聞取締役から、慰霊碑建立委員会代表の台北県烏来郷の簡福源・前郷長(町長に相当)に手渡された。

産経新聞の読者で構成する訪台団「第3回産経李登輝学校」の参加者33人が同席し、慰霊祭も同時に行われた。この義援金は、7月4日付の産経新聞朝刊一面に掲載された記事「高砂義勇兵慰霊碑に撤去の危機」を読んだ読者などが慰霊碑を守る会を作って募集。産経新聞が協力してきた。その結果、3,398件の寄付の申し出があり、義援金の総額は3,201万2,391円に上った。その中には、「日本のために命をなげうった多くの台湾先住民の方がいたことを記事で初めて知った」などとして、寄付を申し出た20代の若者も少なくなかった。今回集まった義援金は、台湾当局が認可する基金会などを通じ、適正に支出を管理していく方針だ。

1993 年に慰霊碑を建立した責任者の1人でもある高砂族出身の簡氏は、「年配の方から若い方まで多くの日本人が高砂義勇兵の歴史を知り義援金を送ってくださったことに感激している」と日本語で感謝の言葉を述べた。


2005年(平成17年)2月25日【「高砂義勇兵慰霊碑」再建立へ 県有地に移設で合意】

先の大戦で「日本兵」として出征した台湾先住民出身の「高砂義勇兵」戦没者を祭る台北郊外の英霊慰霊碑の撤去が求められていた問題で、撤去後の移設地として台北県が県有地およそ1,000平方メートルを提供し、慰霊碑存続を支援する見通しとなった。関係者は11月までに慰霊碑移転と再建立を終え、戦後60周年を記念する「慰霊祭」を行う考え。

慰霊碑は13年前に高砂義勇兵の遺族が台北県烏来郷に建立したが、無償で約1,000平方メートルの土地を慰霊碑に提供してきた観光会社が、新型肺炎(SARS)流行による観光不況のあおりで昨年倒産。新たな地権者がホテル建設で慰霊碑の撤去を要求したため、遺族らで作る慰霊碑建立委員会などで対応策を練ってきた。

同委代表で烏来郷の元郷長(町長)の簡福源氏によると、移設先の県有地は烏来風景特定区内の「瀑布公園」で、高さ約80メートルの「白糸の滝」と呼ばれる滝をのぞむ高台。台北県が約1,000平方メートルの敷地提供に基本同意し、6月までに再建立の用地設計を行う。解体費用などは100万台湾元(約300万円)を限度に新たな地権者が負担する。

同委では慰霊碑再建立と慰霊祭のほか、戦後60周年にちなむ事業として「高砂義勇兵」の記録を展示する記念館建設なども検討している。

一方、「慰霊碑撤去の危機」を報じた昨年7月の産経新聞朝刊を見た読者から義援金が続々と寄せられた。昨年11月時点で、延べ3,398件から寄せられた3,201万2,391円の義援金の目録が、同委に手渡されている。

日本からの義援金は、台湾の財団法人「現代文化基金会」(黄昭堂理事長)に管理を委託して、簡氏らが慰霊碑保存のために今後、設立する社団法人の資金支援に充てられる。


8月20日 【高砂義勇兵 慰霊碑、来月に着工 社団法人設立し再建立】

太平洋戦争に日本兵として出征した台湾先住民出身「高砂義勇兵」の戦没者を祭るため、台北郊外に建立する英霊慰霊碑の再建策が19日までにまとまった。撤去を求められた慰霊碑の移転と再建立のため産経新聞の読者などから3,200万円を超える義援金が集まったが、その受け皿組織として関係者は社団法人を来月5日に設立することを決めた。11月に戦後60年を記念し除幕式と慰霊祭を行うことにしている。

この慰霊碑は13年前、高砂義勇兵の遺族が台北郊外の烏来郷に自力で建立したが、慰霊碑の敷地として約1,000平方メートルの土地を無償で提供してきた地元観光会社が、2年前の新型肺炎(SARS)流行による観光不況のあおりで倒産。新たな地権者が慰霊碑の撤去を要求してきたため、遺族らで作る建立委員会が対応策を探してきた。その窮状を報じた昨年7月4日付の産経新聞朝刊を見た読者らが慰霊碑を守る会(発起人代表・吉川福太郎氏)を結成。産経新聞も協力して昨年11月段階で3,398件の寄付申し出があり、総額は32,012,391円に上った。

こうした日本側の支援の動きに呼応して建立委員会の代表で烏来郷元郷長(町長)の簡福源氏らが、社団法人の「台北県烏来郷高砂義勇隊記念協会」の設立準備を進める一方、台北県から県有地の提供を受けることで交渉がまとまった。

慰霊碑を守る会と産経新聞では、総統府前国策顧問で台湾独立建国連盟主席の黄昭堂氏が理事長を務める「現代文化基金会」に台湾における義援金の管理を委託。基金会が会計監査する形で社団法人の「記念協会」に支援を行うことを決め、黄理事長と簡代表は、慰霊碑再建についての支援計画で覚書を交わした。

前総統の李登輝氏が揮毫した「霊安故郷(霊魂は故郷に眠る)」と碑文が記された高さ約3メートルの慰霊碑は、台北県烏来風景特定区「瀑布公園」の県有地約1,000平方メートルで来月から建設が始まる。作業が順調に進めば、除幕式と慰霊祭は13年前に慰霊碑を建立した。

周麗梅氏(故人)の命日にあたる11月19日に行う予定だ。また、高砂義勇兵の記録や遺品を展示する記念館の併設も将来的に検討する。

記念協会の代表に就任する簡氏は、「高砂義勇兵慰霊碑にかくも多くの日本人が関心を寄せ、義援金を送ってくれたことに深く感謝している」とした上で、「さらに多くの日本人に、太平洋戦争で日本のために志願して戦い散っていった高砂族がいた歴史を忘れないでほしい」と話している。

■高砂義勇兵
日本統治下の台湾で「高砂挺身報国隊」「陸軍特別志願兵」「高砂義勇隊」などとして太平洋戦争に出征した「高砂(たかさご)族」と呼ばれたマレー・ポリネシア系の台湾先住民の総称。総数は6,000人とも8,000人ともいわれる。血書志願するなど忠誠心が強い上、山地生活の知恵から南洋のジャングル行軍では先頭に立って道を開き、迫撃戦でも力を発揮した。半数以上が戦死したとみられるが、生還しても戦後は日本国籍を失ったため、遺族を含め十分な補償や恩給を得られていない。【2005/08/20 産経新聞・東京朝刊】


2006年(平成18年)2月8日【高砂義勇隊の慰霊碑除幕 日本の募金で再建】
takasago-01

8日、台北郊外で除幕された高砂義勇隊の慰霊碑の前で記念撮影する地元の先住民ら

日本統治下の台湾で、日本兵として南太平洋へ出征した先住民、高砂義勇隊の戦没者を追悼する新たな慰霊碑の除幕式が8日、台北郊外の烏来郷で行われた。

1992年に、近くに慰霊碑が建立されたが、敷地権を持っていた会社の倒産で撤去を余儀なくされた。これを伝え聞いた日本人からの募金約3200万円で約1キロ離れた公園内に再建された。

慰霊碑には李登輝前総統が揮毫(きごう)した「霊安故郷(霊は故郷に眠る)」の文字が刻まれ、除幕式には前総統のほか、義勇隊の遺族や日台の関係者ら約50人が出席した。【共同通信】


2月9日【「高砂義勇兵慰霊碑」移設と落成記念式典 李登輝前総統「日本人の善意が英霊追悼」】

日本統治下の台湾で太平洋戦争に日本兵として出征した先住民出身「高砂義勇兵」の戦没者を祭る英霊慰霊碑の移設と落成を記念する式典が8日、台北郊外の烏来(ウライ)郷で、前総統の李登輝氏や日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所の池田維代表など、約百人の日台関係者が参列して行われた。

慰霊碑は遺族らの手で1992年に烏来郷に建立されていたが、2年前に地権者に撤去を求められた。その窮状を伝えた産経新聞の記事をみた読者などから3,200万円を超える義援金が寄せられ、日台関係者の支援により代替地への移設と再建作業が進められた。碑文に「霊安故郷(英霊は故郷に眠る)」と揮毫(きごう)している李氏は、「日本の人々の善意が台湾に届き、台湾の英霊を追悼し遺族を慰めた。慰霊碑には悲しい歴史を成長に切り替える力がある」として再建立をたたえた。

また池田代表は、「現在の日本の繁栄が多くの台湾の方々の尊い犠牲の上に成り立っていることを、日本人は片時も忘れてはならない」と強調した。

慰霊碑の管理団体で遺族が昨年設立した社団法人「台北県烏来郷高砂義勇隊記念協会」の簡福源理事長は、「これで日本の軍人軍属として勇敢に戦った高砂義勇兵の慰霊碑を永久に残すことができる」と再建支援した日本の関係者に感謝の言葉を述べた。産経新聞社から羽佐間重彰取締役相談役が式典に参列した。【2006/02/09 産経新聞】


2月9日【「高砂兵」慰霊碑残った、日本から義援金 撤去の危機克服、移設 台湾】

太平洋戦争中に日本統治下の台湾から日本兵として従軍した台湾先住民の「高砂義勇兵」を祭る戦没者慰霊碑が、日本からの義援金で撤去の危機を乗り越えて移設され、台北県烏来郷で8日、李登輝・前総統ら日台の関係者が出席して完成式典があった。烏来郷は台北市郊外にある温泉地で先住民のひとつタイヤル族の多い土地。

慰霊碑は遺族らが1992年に建立、当時の総統だった李登輝氏が揮毫(きごう)した「霊安故郷」の文字が刻まれている。しかし、敷地を無償提供していた会社が倒産、2004年夏に新たな地権者が撤去を要請していた。この経緯が日本で報道されたところ市民から約3,200万円の義援金が寄せられ、寄付を受けた「台北県烏来郷高砂義勇隊記念協会」(簡福源理事長)が昨年から移設作業を進めていた。移設場所は烏来郷の「瀑布(ばくふ)公園」内で、碑上部は従来の十字架から右手にやりを持った先住民の銅像に作り替えられた。

式典で簡理事長(74)は「慰霊碑が日本と台湾の永遠の友好と平和の証しとなるように願う」とあいさつした。簡理事長によると、烏来郷からは100人以上が出征、生還したのは十数人という。【2006/02/09 西日本新聞 】


2月17日【国民党県政の台北県、用地提供を翻し「高砂義勇兵慰霊碑」撤去求める】

2月8日移設記念式典が行われ、16日「高砂義勇隊記念協会」(簡福源会長)と日本の「あけぼの会」(門脇朝秀会長)との共催で、再建式典が行われた高砂義勇兵慰霊碑について、17日付の『中国時報』は慰霊碑の周囲には日本国旗が林立し、「中華民国」旗が1本しかない、観光客が「日本の走狗」と批判しているなどとの攻撃キャンペーンを行った。これは、在台中国人の台湾人差別意識が今でも残っていることを示すものである。これと呼応するかのように高金素梅・立法委員が17日の昼、台北県副県長に抗議した。

抗議を受けた台北県の李鴻源副県長が「県を代表して謝罪し、記念碑の撤去を求めた」と台湾の中央通訊社が伝えた。台北県は慰霊碑に土地を提供しているが、昨年末の統一地方選挙で民進党から国民党に執政が移った。周錫瑋県長や高金素梅は台湾の歴史と主権を認めない外省人であり、台湾人を代表する資格がない。

台湾人民の人権と生命を踏みにじった蒋介石の銅像こそ撤去されるべきであろう。【2006/02/17 メールマガジン「台湾の声」】


2月17日【烏來高砂義勇軍紀念碑引爭議 北縣府將拆除】

設在台北縣烏來郷的高砂義勇軍紀念碑,週邊飄揚日本國旗、高砂挺身報國隊隊旗,引起社會高度爭議與部分遊客反感。副縣長李鴻源十七日代表縣府致最大歉意,並要求相關單位拆除紀念碑。【中央社記者黄旭昇台北縣17日電】


2月18日【移設間もないウライ高砂義勇隊慰霊碑18日に移動】

台湾の中央社が報道したところによれば、台北県政府の蔡麗娟・建設局長は、同県ウライ風景区管理所が去年10月、台北県高砂義勇隊紀念協会に記念碑建立を許可した際に、既定通り建設局への報告がなかったとして、行政手続き上のミスを調査する方針を示した。

県側と協会側の協議の結果、18日に記念碑を移動して、議論の沈静化を図りたいとしている。協会側は英霊を政治的な議論に晒したくないということなのかも知れないが、台湾が誰のための国かという根本的な議論が行われないまま事態の収拾がはかられるとしたら、台湾人旧日本軍人軍属の名誉回復も行われないことになり、残念だ。【2006/02/18 メールマガジン「台湾の声」】


2月18日【台北縣烏来高砂義勇紀念碑 定十八日拆遷】

台北縣政府建設局長蔡麗娟晩間表示,台北縣烏来風景区管理所在去年十月核准台北縣高砂義勇隊紀念協会暫借土地放置紀念碑,並未依照規定呈報縣府建設局,将請人評会議處疏失。経過縣府与協会協調,已決定十八日遷移紀念碑塑像以及相關的十一座紀念碑,快速解決外界的爭議。【中央社記者黄旭昇台北縣17日電】


2月18日【北縣府要拆碑 烏来高砂義勇軍紀念協会無奈】

台北縣烏来瀑布公園内的高砂義勇軍紀念碑,周邊碑文具有爭議性,縣政府要求当初設置紀念碑的協会,在一星期内拆除,也要追究行政疏失。烏来高砂義勇軍紀念協会表示無奈,将召開理監事会研議将紀念碑遷移他處。【中央社記者黄旭昇台北縣17日電】


2月18日【北縣府將追究建高砂義勇軍紀念碑者行政疏失】

設在台北縣烏来公園内的高砂義勇軍紀念碑,以及在周邊布置的日本国旗,引起社会爭議与遊客反感。台北縣副縣長李鴻源今天下午与原住民立委高金素梅前往会勘,要求当初設置紀念碑的協会一星期内拆除,並要追究相關行政疏失。【中央社記者黄旭昇台北縣17日電】


2月20日【本会が慰霊碑撤去への反対声明を発表】
高砂義勇隊慰霊碑撤去への反対声明と台北県政府への要望

本会会長 小田村四郎

台湾の台北県烏来郷に日本からの募金で移設され、去る2月8日に除幕式を終えたばかりの高砂義勇隊慰霊碑(正式名称・台湾高砂義勇隊戦歿英霊紀念碑)に対し、17日、敷地を提供している台北県政府(県庁)から記念碑設置者である台北県烏来郷高砂義勇隊紀念協会(簡福源理事長)に対し撤去要請がなされた。

報道によれば、これは、「中国時報」など一部地元メディアや靖国神社を訴えていた高金素梅立法委員(国会議員)から「軍国主義的だ」との批判が起こり、正式申請を許可した県当局が「環境規定などに適合しておらず、碑文も公有地に建てるものとしては不適切」などとして、一週間以内に設置者が撤去しなければ県が強制撤去すると伝えられている。

だが、この記念碑は、日本統治時代の台湾から先の第二次大戦に日本兵(高砂義勇隊)として従軍して戦歿した台湾原住民を慰霊する施設であり、日本の忠魂碑と同様、決して「軍国主義」などと非難される謂れはない。むしろ、李登輝前総統が揮毫された碑文「霊安故郷」に示される如く、戦歿した高砂義勇兵の慰霊顕彰を通じて平和を祈る施設である。

決して政治的な意味合いはない。

高砂義勇隊の壮烈な敢闘は、当時の日本国民を感動させ、敵軍である連合軍将兵にも深い感銘を与えている。それ故に、これまで多くの日本人が慰霊感謝のために訪問し、移設問題が起こったときも少なからぬ日本人が義捐金を寄付したのである。

日本との関係浅からぬこの慰霊碑に対して、設置を許可した台北県政府が反日議員の要望に屈するかの如く自らの決定を翻すことは、台湾国内のこととはいえ、日本人として看過することはできない。それは、日本と台湾の親善関係を断絶させるものである。

よって本会はここに高砂義勇隊慰霊碑撤去措置に強く反対し、台北県政府に以下のことを要望する次第である。

一、高砂義勇隊慰霊碑は台湾のものではあるが、同時に日台友好親善関係の象徴である。撤去措置は日本人と台湾人の善意を裏切る行為である。国際信義にも悖るこの撤去措置を即刻撤回するよう要望する。

一、高砂義勇隊紀念協会の簡福源理事長は、「もしも慰霊碑を撤去するなら、私はこの慰霊碑の前で腹を切る」と宣言している。台北県政府は尋常ならざるこの声に耳を傾け、拙速な措置を即刻撤回するよう要望する。

一、よって台北県政府は法治の精神に則り、自ら決定した許可を翻すことなく、速やかに撤去措置を取り消し、慰霊碑を元の平穏な状態に復するよう強く要望する。

平成18年(2006年)2月20日

日本李登輝友の会会長 小田村四郎


2月20日【我々日本人がなぜ高砂義勇隊慰霊碑の撤去に反対するのか】
撤去措置を一番喜ぶのは台湾を併呑しようとしている中国だ!

日本李登輝友の会常務理事・事務局長 柚原正敬

高砂義勇隊慰霊碑の撤去問題に対し、19日付の本会メールマガジン『日台共栄』でも早々に対応する旨をお知らせしたが、昨日午後、小田村四郎会長は「高砂義勇隊慰霊碑撤去への反対声明と台北県政府への要望」を、撤去を表明している台北県の周錫[王韋]県長(県知事)宛に送付した。また、台湾の大使館に相当する台北駐日経済文化代表処(許世楷大使)にも直接届けた。

日本李登輝友の会がこの声明と要望を発表し、台北県に送付した理由について補足して説明したい。

昨日の「台湾の声」でも紹介されているように、昨日午前、「民進党民族委員会(族群委員会)の楊長鎮主任は、周錫瑋台北県長の態度は不適切であり、民主政府の立場を失している。慰霊碑を撤去した場合、台湾を権威主義独裁時代に逆戻りさせることになるとし、周県長に対して、指示を撤回し、原住民の歴史記憶と思いを尊重するよう呼びかけた」という。

撤去に反対する声は台湾国内でも起こり始めている。

周県長は国民党に所属し、馬英九国民党主席(党首)の強力なバックアップで当選した反日派だと言われている。しかし、この慰霊碑撤去問題を政争の具にしてはならない。慰霊碑は英霊に対する慰霊と感謝を捧げる平和の施設であるからだ。

一方、もし台北県長らが台湾国内の問題として処理しようとすれば、対処を誤ることになる。なぜなら、反対声明でも表明しているように、この高砂義勇隊慰霊碑の再建には多くの日本人の善意が関わっているからだ。慰霊碑撤去は台湾国内の問題に留まらないのである。

この撤去の報に接し、我々日本人の中には、国民党が理由もなく台湾人を虐殺した2・28事件という理不尽な事件を思い起こした人も少なくない。台湾人なら2・28事件はもちろん、民進党が指摘するように、蒋介石、蒋経国時代の白色テロがまかり通った「権威主義独裁時代」を思い起こすのも当然のことだろう。戦後台湾史は、まさにそれからの脱却にあったのだから。

台北県政府の今回の撤去措置は、民主化が進んだ台湾にあってはまさに異様というべき措置であり、戦後台湾の暗黒時代を想起させるに十分な横暴性と理不尽性を備えているのである。

もし台北県政府が法を無視して撤去を敢行したら、日本と台湾の親善関係にも大きな溝ができる。これを一番喜ぶのはどこか、台湾を併呑しようとしている中国なのである。中国は台湾と日本をいかに対立させ離間させるか、それを狙っている。台湾を併呑するためには台湾を孤立させればよいからである。台北県政府は、自ら中国併呑という地獄の釜の蓋を開ける愚策を強行しようとしているのである。

日本李登輝友の会としては、座して事態を看過することは日台関係のため、ひいては台湾のためにならないと考え、異例のことではあるが、台北県政府へ撤去措置を速やかに撤回するよう要望した次第である。

台湾は日本の生命線であり、日本は台湾の生命線である。皆様のご賛同をいただければ幸いである。


2月20日【高砂義勇隊慰霊碑の撤去に反対する決議】

日本李登輝友の会神奈川県支部

19日付の本会メールマガジン『日台共栄』でも掲載したように、19日に設立大会を開いた日本李登輝友の会神奈川県支部(石川公弘支部長)でも「高砂義勇隊慰霊碑の撤去に反対する決議」を採択している。

高砂義勇隊慰霊碑の撤去に反対する決議

平成18年(2006年)2月19日

日本李登輝友の会神奈川県支部

私たちはこの度、衝撃的なニュースを耳にした。台北県が、最近再建されたばかりの「高砂義勇隊慰霊碑」の用地提供を取り消し、その撤去を命令したということである。

私たち日本李登輝友の会神奈川県支部は、以下の理由からその撤去に反対し、台北県が本問題を再考するよう強く要求して、本神奈川県支部大会の決議とする。

1 近代法治国家において、公権力が一度許可したものは、公権力を担う政党が(民進党から国民党へ)変わっても取消しえないものである。

2 高砂義勇隊は厳然たる歴史の事実であり、その慰霊は人間としてごく自然の行為である。それを現在時点の考えで、裏切り者扱いするのは、過去の歴史も書き換えられるという、人間の勝手な解釈であり、驕った考え方である。

3 多くの者の、国境を越えた深い哀悼の気持ちと善意で建設された慰霊碑が、公権力の一方的な決定によって撤去されるのは、国際的儀礼の上からも、好ましいことではない。

以上


2月20日【高砂義勇隊慰霊碑:民進党民族委員会、周県長に指示撤回呼びかけ】

烏来の高砂義勇隊慰霊碑に関して台北県長・周錫瑋が撤去を指示している件で、民進党民族委員会(族群委員会)の楊長鎮主任は、周錫瑋の態度は不適切であり、民主政府の立場を失している。慰霊碑を撤去した場合、台湾を権威主義独裁時代に逆戻りさせることになるとし、周錫瑋に対して、指示を撤回し、原住民の歴史記憶と思いを尊重するよう呼びかけた。【2006/02/20 メールマガジン『台湾の声』】


2月21日【台湾で対日歴史観論争、高砂義勇隊の慰霊碑撤去巡り】

台湾・台北県烏来の観光公園に再建された高砂義勇隊の慰霊碑について、最大野党・国民党の周錫瑋県長は19日、「軍国主義思想の礼賛だ」と批判し1週間以内に撤去するよう指示した。これに対し、与党・民進党は、「異なる歴史認識を封殺するのは民主的ではない」と反発、対日歴史観をめぐる与野党の政治論争に発展している。

この碑は太平洋戦争中、旧日本軍兵士として戦い犠牲になった先住民(高砂族)を慰霊するもので、日本からの資金援助などで再建された。8日に李登輝前総統や日本の対台湾窓口機関・交流協会台北事務所長ら日台関係者が出席し、再建式典が行われた。県公園事務所は昨秋、碑再建に同意。しかし、12月の県長選挙で、親中的な外省人(中国出身者)の周氏が、民進党に代わり県長に就任したことで、県は一転、計画の見直しに入った。

周県長は、従軍慰安婦問題まで持ち出し、「(台湾は)日本に軟弱すぎた」と訴えた。ただ、再建を進めた地元遺族たちは撤去に反対している。【2006/02/21 読売新聞朝刊】


2月24日【高砂義勇隊慰霊碑移設完了 記念公園設置へ】

24日、台北県建設局長・蔡麗娟と高砂義勇隊紀念協会タリ・ワタン(簡福源)理事長の間で合意に達し、合意文書に双方が署名した。タリ・ワタン氏は慰霊碑の移設に応じ、蔡局長は慰霊碑を損なわないよう気をつけて移設するとした。移設作業は午後5時に完了した。移設後、文言が不適切とされる箇所は、覆われた。慰霊碑は、当面、ウライ風景管理区で保管され、碑が建立されていた場所は、詳細を詰めた上で、記念公園を設立するとしている。蔡局長は、記念公園の企画にはタイヤル族も参加して、社会が経緯を理解し、原住民の歴史文化を理解できるようにしたいとしている。東森ニュース報道が報じた。【2006/02/24 メールマガジン『台湾の声』】


2月25日【「高砂義勇兵」碑は存続 台湾が妥協案、残る8基は撤去】

台北市郊外の烏来郷に移設が完了した先住民出身「高砂義勇兵」の英霊記念碑が、台北県政府から撤去指示を受けた問題で、同県政府は24日、記念碑そのものは存続させ、残る「皇民」など日本語が入った石碑8基を撤去した。作業は設置者である地元の了承を得て行われ、存続の可否をめぐり一週間にわたって揺れたこの問題は、両者がぎりぎりの妥協案を見いだした形となった。

県政府は24日朝、担当者を現地に派遣して記念碑と石碑の一部を黒いビニールシートで覆い、同日中の撤去を改めて地元に指示した。地元側は反発したが、県政府建設局の蔡麗娟局長が昼前に説明に訪れ、午後から地元側と非公開の折衝に入った。

この結果、地元側は現在の敷地を県が「高砂義勇隊記念公園」とし、この中に記念碑を残すという県政府が提示した案に同意。記念碑側面に刻まれ、県政府が排除を求める「大和魂」などの日本語の文言や李登輝前総統の揮毫は今後、専門家の見解を参考に双方で対応を検討するが、残る8基の石碑は撤去し、県政府が管轄する施設に保管された。

撤去された8基の石碑は、日本の遺族団体などが寄贈したもので、県政府は「天皇を称賛する誤った歴史認識が含まれている」(周錫瑋県長)とし、撤去を求めていた。

14年前に建立された高さ約3メートルの記念碑とその他の石碑は2003年、敷地を提供してきた観光会社の倒産で存続の危機に陥った。だが窮状を報じた産経新聞の記事がきっかけで、読者らから義援金3,200万円あまりが寄せられ、これを資金に地元が県政府関連機関の許可を得て今月8日、記念碑をそっくり県所有の公園内に移設する作業を完了させた。

ところが、最大野党、国民党寄りの台湾の有力紙が記念碑落成から9日後、同公園が「日本に占拠された」とする批判記事を掲載。これに連動するように反日派とされる先住民区選出の立法委員が、県政府に記念碑を撤去するよう迫った。

外省人(中国大陸出身)で国民党の周県長は19日に現地を訪れ、碑文は「原住民に屈辱を与え、歴史を歪曲するものだ」とし、一週間以内に記念碑を自主撤去するよう通告していた。

これに対して地元側は「14年前からあった記念碑や石碑が、なぜ今さら問題視されるのか」(簡福原・台北県烏来郷高砂義勇隊記念協会理事長)と反発。記念碑は「高砂義勇兵」の歴史を刻んだ「入魂の碑」であり、「政治化されるのは納得できない」と存続を求めた。

一方、与党・民進党は「(日台の)異なる歴史観もお互いに尊重すべきで、一方的な県長の姿勢は政治の民主制を損なう」として、方針の撤回を要求。先住民問題を管轄する行政院(内閣)原住民族委員会も「原住民を擁護する立場から、県政府との仲介役を果たす用意がある」としていた。

今回の結果について、移設を行った記念協会の簡理事長は「碑を日台のきずなにしたいという日本からの善意を十分に生かせず、申し訳ない。(移設問題で)高砂族の歴史と民族としての思いに台湾中が注目し、記念碑だけは残すことができた」と話している。【2006/02/25 産経新聞】


3月24日【強制排除の処分撤回を指示 高砂義勇兵記念碑の行政訴訟判決】

台北郊外の烏来(うらい)郷に移設された台湾先住民出身の元日本兵「高砂義勇兵」の英霊記念碑が2006年2月、台北県当局に強制排除された問題で、地元側が排除処分の取り消しと原状復帰を求めていた行政訴訟の差し戻し審判決が24日、台湾の高等行政法院であった。判決は県側の主張を退け、処分の撤回を指示した。

3年に及んだ記念碑問題は、法廷論争でも地元の意向が受け入れられ、解決に向けて大きく動き出すことになった。この記念碑は、敷地を提供した観光会社の倒産で存続が危ぶまれたが、これを伝えた産経新聞の記事をきっかけに3000万円を超える義援金が日本の読者らから寄せられ、2006年2月に現在の県有地に移設された。

ところが県側は碑文が「日本の軍国主義を美化している」などと決めつけ、敷地内にあった8つの石碑を強制撤去、記念碑は竹の覆いで封印した。これに対し「排除命令は違法であり無効」とする地元は、法廷闘争に持ち込んで処分撤回を求めてきた。07年12月に高等行政法院は訴えを却下する裁定を下したが、最高行政法院は地元側の抗告を認めてこれを差し戻し、3回の審理を経たこの日の判決では、一転して処分撤回を指示した。

判決文は一両日中に公開され、県側が上告する可能性もあるが、県は行政訴訟と並行して記念碑一帯の公園化よる地元との「和解」の道を探ってきた。昨年5月には地元側と初めての公開協議を行い、記念碑を歴史的な観光資源として再開発する計画を提示。日本語で書かれた碑文に訳文をつけることなどを条件としながらも、記念碑の囲いを取り払い、他の石碑も全面返還することを約束した。

年末に予定される統一地方選を控え、地元との対立が続くのは得策ではないとの政治判断が県側に働いたとみられる。遅れに遅れた公園化計画も、3月に入ると記念碑の囲いの一部が取り外され、対立点を残しながらも新たな造成工事にも着手し、状況は好転している。

地元で記念碑を守ってきた「烏来郷高砂義勇隊記念協会」のマカイ・リムイ総幹事は「3年の道のりは長かったが、判決は最終決着への大きな一歩だ。日本の善意に対して恥ずかしい思いをし続けたが、今度こそ記念碑を日本精神が根づく義勇隊の誇りの軌跡として、また日台を結ぶ友情のきずなとして残していきたい」と話している。